その十八
グレウスは宇宙に浮かんでいた。
気がついたときには、もとの文書室で、ロンドの前に剣をかまえたワレスが立っていた。二人のまわりには千匹……いや、それ以上のネズミがいて、赤く目を光らせている。
《あと少しだったのに、よくもジャマしてくれたな》
黒魔術師の影が怒りの
「あの化け物は、もう少しでおまえの体をのっとるところだったんだぞ。ロンド」
そこはまだ黒魔術師の内世界のようだ。
「いったい、どうやって入ってきたんですか? ワレスさん」
「だてに人に見えないものを見る男と呼ばれているわけじゃない。空間のほつれみたいなものが見えたんだ」
「ああ、ほんと、魔術師むきのその体。もったいない」
もちろん、そんなことを言ってる場合ではなかった。
精神力が勝負の魔法戦において、ロンドたちは相手の心の世界にとりこまれている。形勢は圧倒的に不利。おまけに相手の実体である無数のネズミにかこまれていた。
「あのネズミ、やつの分身です。一匹残らず切り殺せば、やつも、やつの魔力で作ったこの世界も消えます」
「この数を一人でか?」
「私も手伝います」
ロンドはワレスから短剣を借り、周囲のネズミを手あたりしだいに切りまくった。しかし、それにしても、なんという数。殺しても殺しても、どこからともなく、おびただしい数のネズミが、あとからあとから押しよせてくる。きりがない。
《こざかしいまねを》
影がゆらめき、両手をこちらにさしつけてきた。巨大な魔力のかたまりが襲ってくる。まともにその力を受ければ、ロンドたちなど一瞬でどうにかなってしまうほどの力——
ロンドはムダと知りつつ、魔力をふせぐ思念の壁を作ろうとした。どうせ、これほどの力の前には、あってないような障壁なのだが……。
しかし、一直線に進んできたすさまじい魔力が、障壁にあたる直前、ふいに消えた。いや、はじきかえされた。
「……なんで? そうか。ミラーアイズ!」
人に見えないものが見えるワレスのその目。この目はまた、外部からくわわるあらゆる力をはねかえす魔法の鏡でもあるのだ。
反射して返ってきた自分の魔力をもろに受けて、黒魔術師の影が散り散りになった。
そのときだ。
グレウスの耳元で、声がした。
《歌うんだ。グレウス。君の声で》
オスカー!
彼の存在をかたわらに強く感じる。
以前、グレウスを黒魔術師の作ったゆがんだ空間から救いだしてくれたのは……。
(オスカー。君だったのか)
姿は見えないけれど、いつも君はそこにいた。
私を守ってくれていた。
死が二人をわかつとも、とこしえに、君を愛する。
すべりおちる涙とともに、グレウスの唇から歌がこぼれた。
グレウスの声に魅了されないものはいない。それはたとえ動物でも。
ネズミたちが聞きいっていた。じっと目を閉じ、小さな鼻をヒクヒクさせて。
天国への階段が見える。
そのさきで、オスカーは待っている。いつか、グレウスがそこへ行く日のことを。
だから、悲しまなくてもいいのだ。今は遠く離れていても、いつの日か、必ず会えるのだから。
君の頬が薔薇色だったころ
僕らは出会った
川面に映る二人の姿が
晴れやかたっだこと
君はおぼえているかい?
昼も夜も語りあったね
今のこと、過去のこと、未来のこと
ずっと忘れない
あのときの君を
時が忘れても、魂に刻みつけておくから
(約束。今度は、忘れない)
どんなにつらいことがあっても、もう二度と……。
歌いおえると、あたりは暗闇だった。ゆがんだ空間が消えたのだ。
「隊長! ご無事でしたか? ワレス隊長」
明かりを持って、ワレスの部下たちがかけつけてくる。
ワレスは頭をかかえて、ロンドをにらんでくる。
「きさま、おれを殺す気か? 頭がどうにかなるかと思った」
文書室はネズミの死骸の山だ。数は多いが、一匹ずつは小さなネズミだ。セイレーンの歌声には耐えられなかったのだ。
オスカーの気配は消えていた。
また、遠くのどこかへ行ってしまったのだろうか。
でも、グレウスのなかには、消えない彼の愛が残っていた。
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