その十四
*
ダグラムからロンドのことをたのまれた翌朝。
朝食をすませたら文章室へ行ってみるかと考えながら、まだ身支度もすまない起きがけに、とうのロンドがワレスの部屋へやってきた。泣きはらした赤い目をしている。
「ワレスさまぁ」
よろよろしながら、ワレスの胸にすがりついてくる。いつもの調子でつきはなそうとして、ワレスは思いとどまった。まさかほんとに心を病んでいるとなると、さすがになぐれない。
「朝っぱらからなんだ? 今、着替えの最中なんだが」
きゃっと言って、ロンドはとびのく。そのくせ、ワレスのぬいだ下着をベタベタさわって喜んでいるのだが。やっぱり変態だ。
「用があるんじゃないのか?」
部屋はもちろん、ハシェドを始め、同室の三人の部下がいる。彼らの着替えのようすをじゅんぐりながめて、ロンドは嬉しそうだ。
「ロンド!」
「あら、そうそう。じつは、ジュールが昨夜から消えてしまいまして。どうしようかなぁ……なんて」
「ジュールというと、おまえの恋人の——」
ロンドはワレスの腕を、思いっきりつねった。仕草はなよなよしているが、けっこう力はあって、これがかなり痛い。
「痛いなッ!」
「ワレスさまのいじわるぅ」
ハシェドたちがクスクス笑っている。
ワレスは腕をさすりながら、
「いじわるも何も、恋人が消えたから、そんなはれた目で、おれのところへ来たんだろう?」
もう一度ロンドが指を伸ばしてきたので、ワレスはあとずさった。
「やめろ。おまえ、自分の力かげんを知れ。本気で痛いぞ」
「これは違いますぅ。昨日の晩、それは悲しい夢を見たからですぅ」
「夢? まぎらわしい」
と言ってから、ワレスは思いなおした。夢は心のなかを映す鏡だ。
「どんな夢だ?」
ロンドはあれこれ考えこんでいたが、てれくさげに笑った。
「忘れました。それより、ジュールのことなんですけどぉ」
まるで話をそらすふうだったので、おや、と思う。
(こいつ……?)
考えていると、アブセスが声をかけてきた。
「ワレス隊長。こちらのお洋服。洗濯しておきますか?」
まじめなアブセスは、いつのまにか、ワレスの身のまわりの雑用係をうけおっていた。それをアブセス自身が不思議に思っていないところが微笑ましい。
「ああ。頼む」
「ほかに何か?」
「今はない。食事に行っていいぞ」
「はい」
出ていくアブセスを見送って、クルウが笑った。
「彼は女性でしたら世話女房になるタイプですね。では、私も失礼します」
クルウも出ていく。が、彼の残した言葉で、ロンドは物思いに沈んでいる。
「天気のいい日のお洗濯は楽しいですからね。わたくしも、あの人のために……」
「誰のために?」
ロンドは我に返り、
「あら、いえ。なんでも。じゃあ、あとで文書室へ来てください。待っておりますから」
そそくさと出ていった。
「今日のロンドはようすが変ですね。この前のこともあるし、何かあったのでしょうか」
「さあな」
ハシェドとともに部屋を出て、ワレスは食後に文書室へよった。自分で呼んだくせに、いつものロンドの出迎えはない。
探しまわると、それらしいのが、部屋のすみで床にうずくまっている。何やらいっしょうけんめい紙にしたためているので、ワレスはうしろからのぞいた。しばらくして、ようやくロンドは気がつく。
「キャアアッ。ワレスさま!」
「熱心に書いてるな。以前、言っていた物語か?」
ロンドはあわてて隠そうとする。
「いや。いや。見ないでぇ」
「なぜだ? チラリと見たが、なかなか達者な文章じゃないか」
「いやですぅ。恥ずかしいですぅ」
「ふうん。前は天才じゃないかと自慢してたくせに。まあいい。ジュールがどうしたって?」
ワレスはむりじいしなかった。
ロンドはあたふたと紙をまとめる。
「部屋に置いてきますから。待っていてください。話はそのあとで」
奥へかけていくロンドを、ワレスたちは見送った。窓ぎわの長卓には、今日も誰の姿もない。
「近ごろ、ロンドはあれにかかりっきりですね」と、ハシェド。
ワレスは暗い気分になって答えた。
「あれは物語なんかじゃない。たぶん自分の過去のことを書いてるんだ」
「過去ですか」
ワレスは悲しくなった。
いったい、どんな気持ちで、ロンドはあれを書いているのだろう。狂ってしまうほどの自身の傷口を紙に残す作業は、必ず苦しみをともなうはずだ。それでも書かずにはいられないロンドの心境を思うと。
「さっき、うしろからのぞいたとき、名前が見えた。グレウスという。ぐうぜんだが、おれはその名を知っている。皇都の学校で、おれが入学した年に卒業していった第一校の生徒だ。入れ替わりだから、ちょくせつ会ったことはないんだが、有名だったんだ。その歌声が神がかりなまでに素晴らしいというので、教師や上級生がよく話していた。グレウス・レンド・ル・ドラマーレ。サイレン州の貴族だ」
「サイレン州なら、おれの故郷ですよ。とすると、あのドラマーレかな?」
「どのドラマーレだ?」
ハシェドは歯切れが悪い。
「おれの実家は以前も言ったとおり、貿易商をしてます。その関係で貴族の知りあいが多いんです。ドラマーレ伯爵家といえば、サイレンの貴族のあいだじゃ、ちょっと有名です。悪名が……と言ったほうがいいかな。サイレンというのが、大昔の魔女の名前だってことはご存知ですか? セイレーンという魔女なんですが」
その麗しい声で、人の心を惑わしたという伝説の魔女。
「知ってるよ。州もそうだが、サイレン州にはこのセイレーンからつけられた名前の土地や都市が数多い。それほど多くの伝承が各地に残っている。単数の魔女というより、古代に崇拝された神か魔物の一族だ。今でも劇場や音楽ホールでは、楽神として親しまれている」
「そうなんですよ。そのセイレーンの血をひいてるっていうんですよ。ドラマーレ伯爵家は。そのせいでか、一族は誰もがすごい美声の持ちぬしで、そして……これはウワサですが、なぜか、みんな自殺したり、発狂してしまったりするんだそうです。ほんとかどうか知りませんがね。それにしても隊長、くわしいなぁ」
「じつは、おれもサイレンの出なんだ」
「わあ、奇遇だなぁ。おれ、サイレンスファイですよ。隊長は?」
「おれはもっと南。海辺に近い石切場のサレイだ。とんだ片田舎だよ」
「風光明媚な土地じゃないですか。たしか近くに温泉が出るんですよね」
「近いといっても、温泉は三街も東だぞ。というか、この話、ナイショだぞ。誰にも言うな」
「わかってますよ。嬉しいです」
ハシェドはワレスが犯した幼い日の罪を知っている。そこが、その始まりの場所。誰にも知られるわけにはいかない。秘密を共有する危うい甘さを、二人はかみしめた。
「……にしても、どうなんですかね? ロンドが、まさか、その?」
「ああ」
にわかには信じがたい。が、そう考えるほうが自然だ。
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