ロンドの草稿 その十 2
グレウスはエスリンにどんな言葉を言ったのか、自分でもおぼえていない。おめでとうだかなんだか月並みなことを言って、母の部屋へ急いだ。
「母上!」
母は自室で食事をしていた。その食べること。
入ってきたグレウスを見て、用件を察したようだ。ニッコリ笑う。
「もう堕ろすことはできなくてよ。グレウスや」
翌年、竜の年、太陽の月、太陽神の日に、母は罪の子を生んだ。男の子だ。
まるで自らの役目を果たしおえたかのように、産後の肥立悪しく、母は祖父のもとへ逝った。眠るような最期だった。
「この子は私とおまえのあいだの子として育てよう。生まれてすぐに母を失った、哀れなこの子を」
太陽神の三つぞろいの勇者として生まれたその子は、ドラマーレ家の始祖、神聖騎士ヴォルギウスの名をもらい、ヴォルグと名づけた。日を置かず、エスリンが生んだ女の子の双子の兄として。
子どもたちは可愛い。エスリンはよき母、よき妻で、グレウスをなごませる。
だが、母を失ってから、グレウスは胸の半分に穴があいたように空虚だった。憎んでも、嫌悪しても、愛していたのだ。
ひとり寝の夜、広い寝台で、母の寝息をとなりに感じる。もう一度、歌ってほしかった。子どものころのように子守唄を。
(ぼくのセイレーン姫)
グレウスの心がほんとに晴れることは、その後なかった。
母の喪があけ、子どもたちが二歳になったころ。子どもたちの誕生パーティーをひらいた。その席に、オスカーが呼んだのだろう。ゾナチエが来ていた。それもオスカーの両親や妹とともに。
「おひさしぶりですこと。わたくし、あなたのご親友とはすっかり親しくさせていただいているのに、あなたとはまったく話す機会がなかったわ。これを機に仲よくしてくださらないかしら」
グレウスが文句を言うと思ったのか、すばやくオスカーがあとをとる。
「グレウス。すでに僕らは家族ぐるみでつきあってるんだ。君の可愛らしい子どもたちの話をしたら、ぜひ会いたいと言われて」
グレウスは冷淡に彼らを見た。
「どうぞ、ごゆっくり」
二人の子どもを両手にかかえて、グレウスはオスカーたちのそばを離れた。
その夜のことだ。
子どもたちの寝顔を見ると、グレウスはエスリンにお休みのあいさつをして自分の寝室へ帰った。寝室の前で待っていたのは、真剣な顔をしたオスカーだ。
「君に話がある。グレウス」
「明日にしてくれ。今日は疲れた」
「そうやって煙にまくのはやめてくれ。大切な話なんだ」
「どうせまたゾナチエのことだろう? 聞く耳持たない」
「どうして君は彼女のことを目の敵にするんだ。子どものときのことなら、もういいだろう? これは僕からのお願いだ」
グレウスは笑った。
「君は以前、僕が狂わないよう守ってくれると言ったね? なのに、僕を傷つけた彼女のほうをかばうのか」
いつものオスカーなら、そう言えば降参した。が、そのときはひかなかった。思いつめた口調で言う。
「僕は彼女を愛している」
愛して……。
「そう。女への愛の前には、かわいそうな友人との約束なんて、どうだっていいんだ」
「君にはエスリンや子どもたちがいるじゃないか。君はかわいそうじゃない。誰もに敬愛される、立派な——」
グレウスの内にかわいた笑いがこみあげてきた。
何を言ってもムダなのだ。二人の心は完全に離れてしまった。オスカーはグレウスのことなど、もうまるで見ていない。
「今の君には、僕が立派な人間に見えるのか。君も、ほかのやつらといっしょになってしまったんだな」
「グレウス」
グレウスは寝室の扉をあけて、暗い部屋に入った。
「帰ってくれ。君の顔は見たくない」
「グレウス!」
扉を閉めると、涙がこぼれる。
外からオスカーがドアをたたいていた。
「グレウスッ! 僕らの友情はこんなことで壊れてしまうものだったのか? 僕は君が好きなんだ。君に祝福されない結婚なんてしたくない。どうか、僕とゾナチエの婚姻をゆるしてほしい。グレウス! グレウス!」
扉に鍵をかけて、グレウスは寝台によこたわった。
一晩じゅう続いた、オスカーの声を聞きながら。
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