その二
「とにかく、すごい数のネズミなんだ。悲鳴が聞こえて行ってみたら、仲間はやつらにやられてた。まわりの地面がビッシリ赤い光でいっぱいで……それが全部、やつらの目なんだよ。ほんの数分で何百ってネズミが集まって、し、死体は……骨になってた。きれいに骨だけ。やつらはおれたちを見て襲いかかってきた。死に物狂いで逃げたよ。逃げることしかできなかった」
「はいはい。そのよく動く口が食べられなくて、よかったですね」
ひざからしたの皮をたくさん、かじりとられた兵士の傷にアルコールをふりかけながら、ロンドはニコニコしてこたえる。ロンドは感受性がにぶいのか、ひどいケガを見ても臆さない。おかげでテキパキ治療ができるので、ある意味、適職と言えた。
「それにしても、近ごろ、ネズミの被害が多いですねぇ」
つぶやいていると、同じ治療班にあたった先輩司書のスノウンが声をかけてくる。
「手が遊んでいるぞ。ロンド」
「あらまあ。ごめんなさいましねぇ」
おっほっほっと笑うロンドに、スノウンは冷たい。
「ダグラムが案じていた。おまえは一つのことに意識が集中しないと」
「わたくしも、そう思います」
「思うなら、なおすように」
「はーい」
ぜんぜん、こたえてないロンド。
しかし、こういうのが、ある日とつぜん、大魔術師になったりするので、この世界はわからない。
司書数人で手わけして治療にあたる。本日も負傷者収容室は大盛況。昨日の死者は十四名。死人は地下の先輩がたの管理だ。
地下にいるのは見習い期間を終え、一級試験に通った、れっきとした魔術師ばかり。なかにはその道八十年というベテランもいる。
彼らは地下に結界を張って、日夜、砦を守っているらしいのだが、ロンドごときには、まだまだ無縁の世界だ。
——病理学など、騎士の我々が学んでも、なんの役にも立ちそうにないが。
——それは不得手なやつの口実にしか思えないな。ひとたび戦になれば、その知識が命を救ってくれないものでもない。だろう?
——僕が薬学を苦手なのは認めるさ。しかし、戦など起こりはしないよ。この
——まあ、そう不平を言わず、努力したまえ。次の試験はネズミが媒体となる病気と治療法だね。
耳もとで声がする。
「どなたですか?」
あたりをキョロキョロして、ロンドは首をかしげた。
「おかしいですね」
「ロンド」
スノウンがにらんでいる。
「はいはい。すいません」
首をすくめて、ロンドは治療に専念した。
*
——聞いた? また、わたしたちのオモチャが来るのですって。
——あら、また? お母さまもこりないわね。どうせすぐにヒステリーを起こして追い返してしまうくせに。
——しょうがないのですってよ。わたしたちみたいな名門の家に、引き立て役の遊び相手がいないなんて、みっともないって。
——みっともないのはお母さまよねぇ。
——それで、男の子なの? 女の子?
——男の子ね。なんでも、わたくしたちの従兄弟にあたるらしいわ。
——男の子なら、いじめてやりましょう。男の子なんて乱暴で、無神経で、大嫌い。前の子のあの泣き顔ったら。
——姉上!
——あら、グレウス。
——言っておきますが、男の子なら、ぼくの遊び相手だ。将来、ぼくの侍従にするためのね。何度も言うように、ぼくの遊び相手を追いはらうこと、やめてください。
——追いはらうだなんてねぇ。
——生意気。
——あれは、あの子たちが勝手に帰っちゃうだけよねぇ。
——古井戸につき落とされて閉じこめられれば、誰だって帰ってしまいます!
——あら、あれはあの子がどれくらい我慢できるか、見てただけだわ。あとでちゃんと大人に知らせるつもりだったわよねぇ。
——二日もほっといて、何を言ってるんですか!
——いやな子ね。グレウス。すぐ大きな声を出す。跡継ぎだからって、いばって。今からそんなじゃ、お母さまみたいになっちゃうから。
ロンドは悲鳴をあげてとびおきた。
「ロンド」
「何事だ?」
仲間の司書たちが目をさまし、とがめる。
司書の寝室は文書室のとなりに四部屋にわかれてある。
現在、司書は二十四人。一室に六人ずつだ。
ロンドは彼らにこたえるゆとりなどない。両手で顔をおおい、ふるえていた。
「いつものか?」
「……そうだ」
「また夢だな?」
「そうだ」
「それは夢で、現実ではない。起こされるこっちの身にもなってくれ」
ロンドはとつぜん、大声をあげた。
「ほっといてくれ!」
叫んでから、ふいにロンドは我に返った。
「あ……すいません。また、やってしまいましたか? わたくし」
「いいかげんにしてくれ」
「はあ……」
ロンドはサンダルをはいて、ベッドをおりた。
「頭を冷やしてまいります」
同室の者たちがため息をつく。
ロンドだって申しわけなく思っているのだ。が、こればっかりはしょうがない。何も見たくて、あんな夢を見るわけではないのだ。
いつも内容は違う。起きるとたいてい、すぐに忘れてしまう。そして、おぼえているあいだでさえ、夢のどこが悲鳴をあげるほど恐ろしいのか、自分にもわからない。今もそうだったが、ふつうの日常会話であることが多い。
「神聖騎士ヴォルギウスを初代とする名門、ドラマーレ家の嫡男として生まれたグレウスは、誰もを魅了する少年でした。黄金に輝く髪と水色の瞳。太陽のような——」
「ロンド。何をブツブツ言ってるんだ?」
廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。ジュールが闇にとけるように立っている。
災難なことに、ジュールは同室なのだ。起こしてしまうのはロンドが悪いのだが、そのたびにしつこくされるのは迷惑でしかない。
「何か、ご用ですか?」
あからさまに顔をしかめてやると、ジュールは苦笑する。
「そう嫌うことはないじゃないか。心配して来てやったんだ」
「けっこうです。たぶん今夜はもう平気ですから」
「なぜわかる?」
「なぜって言われても……」
ロンドが困っていると、ジュールが近づいてくる。
「夢でとびおきたときのおまえは、いつもあの顔をする」
「え?」
不審に思って見なおしたとき、ジュールの口がおりてきた。唇をふさがれ、あわてて押しかえす。
「あなたのこと……嫌いじゃないわ。でも、こういうことするあなたは、いや」
ジュールが失笑する。
「嫌いじゃないわ、か」
れっきとした男の声でそう言われれば、たしかに奇妙だろう。が、ロンド自身はそのおかしさに気づいていない。
「わたくし、もう帰ります」
ロンドは急いで逃げだした。
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