墜落のシリウス第六話、七話『セイレーン姫の恋』他
涼森巳王(東堂薫)
セイレーン姫の恋
一章
その一
https://kakuyomu.jp/users/kaoru-todo/news/16817330669199503085(表紙)
砦の司書の朝は早い。
毎日、夜明け前に起き、身支度をすませると、まず全員で朝の礼拝がおこなわれる。ユイラ教の主たる十二神に砦の安全を祈り、神聖語をとなえながら城内をねり歩く。これが、およそ一刻。
このころには昼の勤めをする傭兵や、正規兵のほとんどは起きてきて、にわかに砦は活気づく。
両目のところだけくりぬいた、灰色のフードをかぶった司書の集団が近づくと、兵士たちはあわてて室内へひっこんだり、廊下のすみに身をよける。まるで亡霊でも見たかのように。
失礼しちゃう、と考える反面、まあ、しかたないわねとも思う。
なんといっても司書は見習いとはいえ、魔法使いなのだから。
なぜか、どこへ行っても、魔法使いというのは気味悪がられる。遠くにいる人と話したり、幻を見せたり、人にできないことができるので、気持ち悪いらしいのだ。
大衆というのは一部の異端者を嫌うもの。
それはこの辺境の砦においても同じだ。
(なによぉ。あんたたちのために魔物がよりつかない結界を張ってやってるんじゃないのよぉ)
ロンドの心のひとりごとは、司書長のダグラムに聞こえたらしい。ぽかりと見えないこぶしで頭をはたかれて、ロンドはおじきした。
《すみません……》
《そんなことだから、あなたはいつまでたっても半人前なのですよ。ロンド》
《そこのところは承知しておりますです。でも、こんなことしたって、力の強い魔物は入ってくるじゃありませんか》
《だからこそ、防げるだけの小物をよせつけないことに意義があるのです》
《まあ、そうですね》
これ以上、心の声での会話が続くとボロが出る。ロンドはたてまえ、素直にしたがっておいた。こうして心の声で話すあいだも、結界を張る作業は続けなければならない。魔術師としてあまり器用ではないロンドには、ちょっとばかり荷が重い。
ようやく、砦を一周。
そしてやっと朝食。
兵士たちなら楽しい時間なのだろうが、これがまた特殊な香草だの、薬草だのを使った魔法使い専用の食事だ。体を清浄にたもち、精神力を高めてくれる。それはいいが、人間の味覚に快いものではない。つまり、ほとんど拷問的にマズイ。
地下の先輩たちのなかには、おかしなものを食べたがる人もいるが、それは見習いのうちに、この魔術師フードに味覚がやられてしまったからではないかと思う。
たまにはアルメラ湾産の干しあわびのステーキでも食べたいわねと考えて、ロンドは首をかしげた。
(あら、いやね。まただわ。あたしったら、いつ、そんなもの食べたのかしら?)
ときどき、ロンドにはこういうことがある。
自分の知らないはずのことを知っていたり、身におぼえのないことを人から責められたり……まあ、いい。どうせすぐに忘れてしまう。
じつのところ、自分がいつ、どんなふうにして砦にやってきたのかさえ、よくわからないのだから。
世界一の大国で、長い歴史を誇る華やかなユイラ皇帝国のなかでも、東の果てに位置する、この辺境の砦は、ふつうに暮らす人々が、ふらりと迷いこむような場所ではない。
最前線の魔族の森と接するこのボイクド城からなら、一番近い街まで馬でも七日。そのあいだはずっと深い森で、いくつかの砦がひっそりと点在するだけだ。
いったい、この森のなかを、どうやってロンドはここまで来たのか……。
ふつうの人ならだいぶ悩むところだが、ロンドはたいして気にしていなかった。悩んだって答えが見つからないことを、とっくに理解していたからだ。
地獄の責め苦のような食事のあと、ロンドがフードをあげて手を洗っていると、ほかの司書の目を盗んでよってきたジュール・ドゥールが、すばやくロンドのうなじに唇をつけた。ロンドは反射的に口走った。
「さわるな」
そう言う瞬間のロンドの目は、刃物のようにするどい。しかし、それはほんの一瞬。次の瞬間には、男の体に女の心を持った、いつものクニャクニャしたロンドに戻っているのだが。
「イヤだと言ってるじゃないですか。わたくし、心に決めたかたがいるのです」
「ワレス小隊長だろう? あいつはなびかない。あれほど嫌われてるくせに、いいかげん、あきらめろよ」
ジュールの手がロンドの肩を抱いてくる。
たしかに、ロンドの顔の造りは悪くない。優しい女性的な面差しは洗練された美しさだ。ユイラ人にはきわめてめずらしい一重まぶたとベビーブルーの瞳も個性的だが、まだ若いのに百歳の老人みたいな白髪が、なんとなく不釣り合いで、見る者を不安にさせる。
いや、何より、どこがというわけでなく、ロンドには病んだようなふんいきがある。
おまけに肉体と精神の性別が異なるというたちだ。
ユイラでは男色はわりと盛んだ。そのくせ、女装したがる成人男子は好まれない。
ユイラ人というのは、もともと男も女も細身で優美なので、女装してしまうと女との差別化ができない。つまり、素のままで美しいので、女装することにあまり意味がないのだ。
そのせいで女からは反感を買い、男を愛する男には興ざめに思われるのだろう。
だから、ロンドのように自分をほんとうに女だと信じている男には住みにくい世の中だ。
ところが物好きにも、ジュールはそんなロンドに迫ってくる奇特な男だ。本来ならロンドのほうでありがたく思わなければならないところなのだが、彼にもいちおう選ぶ権利がある。ワレスという意中の人がいる今、ほかの人間は眼中にない。
「いいかげんにしてくださいませんと、まがりなりにも魔術師のはしくれですから、実力行使におよびますよ?」
「おまえの魔法なんか怖くないさ」
たしかに、それはそのとおりだ。
今現在、砦にいる全魔法使い見習いのなかでも、ロンドは一、二を争うほど魔法がヘタだ。ジュールのほうが魔術師としての階級も、はるかに上だ。
「うう……とにかく、失礼します。わたくし、今日は治療班ですから、急ぎませんと」
司書は砦では医者がわりだ。毎朝、交代で負傷者を診る。
そそくさと去るロンドを、ジュールは見送った。
ジュールの口からは知らず知らず、ため息がもれる。
ジュールだって、ふだんのフニャフニャしたロンドが好きなわけではない。ときおり見せるもう一つの顔があまりに鮮烈で忘れられないのだ。
さっき、さわるなと冷たく言いはなった一瞬の表情。まるでロンドのなかに、もう一人、別の誰かがいるかのようだ。
(ロンドは忘れてしまっているのか。砦に来たときのこと)
ジュールはおぼえていた。
あのときのロンドは生きているのが不思議な状態だった。体は回復したが、かわりに彼は何かを失ってしまったように見える。そういうアンバランスなところが、気になってならない。
今のところ、ロンドの内包する違和に気づいているのは、ジュールと司書長のダグラムだけだが……。
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