第8話

 仏壇の婆ちゃんは、やはりにっこりと笑っている。その下の棚に鹿のステーキと水を置いた。


「おばあちゃん、亡くなっちゃったの?」


 俺の隣でちょこんと座っている結狐が眉をひそめて聞いてくる。


「うん。老衰で死んじゃった。死ぬ時までずっと笑ってた」


 自然と声のトーンが落ちていく。結狐の尻尾の振り幅がだんだんと小さくなっていくのが視界の端で見えた。目線は婆ちゃんの遺影の少し上を見ている。


「ささ、ごはん食べちゃお」


 結狐と自分を奮い立たせるように言う。結狐はうんと頷いた。

 結狐と自分は椅子に座り、ようやく準備が整った。


「そんじゃ、いただきます」

「「「「いただきます」」」」


 父さんの掛け声で食事が始まった。たまに出てくるいただきマンボとか、いただきジャングルとかのつまらないボケが今日は出てこなくて良かったと思ってしまった。

 早速鹿肉に手を付ける。ステーキの部位は二つ。背ロースかバラのどちらか。きっと爺ちゃんと父さんがバラで、三人は背ロースに違いない。俺の目の前の肉には脂肪がほとんどない。間違いなく背ロース。結狐と母さんの肉を見ると、やはり背ロース。そして父さん、爺ちゃんの肉をチラ見すると、やはり共に脂肪が肉に付いている。大当たりだ。当たったところで意味はないが。そんな遊びをした後、やっと鹿を一口食べる。まずはひと噛み。じゅわり、とした脂は牛肉のようにはあまり出てこない。だがしかし、旨味がかなり強く、ジビエ料理特有の臭みがほとんどない。やはり、美味い。何度食べてもおいしいと感じる。


「んぅ、焼いた肉とっても久しぶり!」


 歓喜に満ちた表情を結狐は浮かべながら鹿肉を頬張っている。ここだけを見ればアニメの一場面にしか見えないが、粉うことなき現実である。実際結狐は可愛いとしか思えない顔だちをしているし、シチュエーション的には最高の言葉以外見つからないのだが、何故か俺は気まずい気持ちでいる。ふと、結狐がちらりとこちらを見やると、目で訴えかけてくる。『肉をくれ。肉をくれ。』と心で言っているのが分かる。自分のステーキを見る。まだ一口しか食べていない。どうする。結狐に肉をあげるか、全部一人で楽しむか。


「空、結狐に肉分けてやんな」


 思わぬ方向から声が飛んできて、体がびくぅっと跳ねる。結狐はそれを見て笑っている。俺はステーキを真っ二つに切り分けようとする。


「ほぉら結狐、バラ肉だぞぉ」

「ちょっとあなた、バラ肉は初心者にはまずいんじゃない?」

「大丈夫だ。結狐は元野生児だぞ?いけるって」

「野生児じゃないんですけど……」


 結狐はジト目になって父さんい突っ込む。野生児は違うけど大体合ってる。


「じゃあバラ肉貰います」

「ほい、切ってやるからな」


 やはり貰う。ここで俺はステーキを切るのをやめた。


「そ~らく~ん、そっちもちょーだい?」

「うぐっ……」


 上目遣い困り眉手を顎辺りに添えるのかわいい三連コンボをかましてくる。やはり可愛い。なんだこの生き物は。俺は悶える。


「仕方ねぇ、くれてやる……」


 泣く泣くステーキ肉の半分を結狐にあげるため切るのを再開させる。飽きてるとはいっても美味いものは美味いんだぞ。結狐は切る様子を子供みたいにずっと見ていた。そして肉をフォークで雑に突き刺し、結狐の皿に乗っけた。


「うは~ありがとぉ~」


 耳をぱたぱた、尻尾をふりふりして浮ついた声で感謝される。あとで覚えておけよ……。食の恨みは深いんだからな……。

 その後に母さんと爺ちゃんからも肉を貰って、すっごい美味しそうに食べて、男が食うような量を全て平らげてしまった。胃袋がどうなってんだと僕も父さんも言った。母さんはぱちぱちと小さく拍手をしていて、爺ちゃんはすでにリビングで寝転がっていた。




「うひゃ~美味しかった~」


 結狐は自分の部屋でごろごろと寝転がっている。獣人の姿で。


「なんでさっきの姿でいないの……」

「え~あれ体力使うもん。もう限界で~す」


 何かしらの力とかではなくて体力なのかと頭の中で突っ込みをかました。服は相変わらずTシャツしか着ていない。つまり下半身は何も纏っていない。まずい。とてもまずい。思春期男児にこの姿は刺激が強すぎる。風呂の件もそうだった。なんだ、結狐は理性破壊爆弾なのか?


「あのさ、ちょっと狐の姿に戻ってくれない?」

「なんで?」

「ほら、あれだから、その姿バレたらだめでしょ?」

「空君の家族だったら大丈夫でしょ」

「あ、いや、ほら、父さんあの時怖がってたからさ、だめでしょ」

「じゃあこの姿で空君のお父さんの前行ってくる」

「ヤメテクダサイ」

「んじゃあこの姿でいてもいいね」


 だめだ、どうともできない。下半身に悪いから狐になってくれとも言えない。言ったとしても何かが絶対に壊れる。どうしたものか。


「空君」

「ん、なんだい……?」

「ほれ」


 ガバっと開脚をし出す結狐。下は穿いていない。答えはもう見えた。それは、


「あ、気絶しちゃった」


 僕の理性の崩壊である。なんだあの破壊力は……。




「そういうことで、狐の姿になっててください……」


 完全にあれで下心がバレた。結狐はニタニタと笑いながら僕のことを見ている。主に下半身を。


「なんだぁ、やっぱり男の子的なことが理由だったじゃん。このドスケベ」

「ドスケベなのはお前だろ。じゃあなんで風呂場であんな目で俺を見たんだ……」

「覚えてないなぁ。なんでだろうねぇ」


 くっくと笑いながら尻尾を揺らす。神を自称していたが、こんな神がいてたまるか。


「早く変身してください……」

「はいはい、わかりました」


 そういうとするりと狐の姿にに変わった。小屋の時に見たあの姿と変わらない。変わったのはあの恐怖に満ちた顔が、今はニタニタと思春期男児を弄ぶ顔になったことだ。


「なんかすぐに変身したな。なんで風呂場の時はあんな苦しそうだったんだ?」

「段階飛ばしの変身って大変なんだよ?しかもあれ何十年ぶりの飛ばし変身だったし……」


 へぇ~とか思いながらごろりと寝転がる狐。これがまだ獣人の姿だったら間違いなく気絶どころじゃ済まなかった。


「ほらほら~欲情しちゃうか~?」

「するわけねぇだろ!」


 スケベそうな目(実際スケベ)でこちらを見ている。本当に神かこいつは?神だったら威厳を見せろと言いたいが、今行っても変なことをしてくると分かり切っているので言わなかった。結狐は楽しそうに尻尾をぶんぶん振り回している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天高く狐ゆる空 虹火ますみ @nijika-masumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ