第5話


 先程の変身は、余りにも悍ましく、身の毛もよだつ衝撃的な光景であったが、それはそれだ。今の変身後の彼女の姿は、顔の造形から上半身、下半身の見た目や姿形、どれをとっても俺のような人間と遜色がなかった。


 彼女……そう、狐は女の子の、少女の姿に変身した。お風呂場で、だ。勿論、服といったプライベートゾーンを隠すようなものは無い。全裸だ。


 そして、俺は言わずもがな男。これの意味するところは男女が全裸同士で風呂に入っているということ。


 彼女の見た目は14歳ぐらいに見えた。そして俺は16歳の高校一年生。頭の中は性欲だとかの煩悩に塗れているような時期。


 このシチュエーション、問題しかないじゃないか!


「な、なぁ」

「ん?どうしたの?」


 少女の姿になった狐は、黙々と身体を洗っている。俺はなるべくその身体が目に入らないように……いや、絶対に見ないように顔を伏せる。


「その……何か、洗おうとして、申し訳なかった」

「ふんっ」


 ……だって、狐が女の子の姿になってしまうなんて。聞いたことがない。こんな非現実的な事を、オカルト系を大して信じてもおらず、実際に目にしたこともない俺が、予測できるわけがないんだ。


「何か言った?」

「え!?いや、何でもないよ」


 頭の中の思考が僅かに声に出ていたらしい。危ない……。今の言い訳が明るみに出ていたら何言われるか分からないからな。


「お前は、その、狐……いや、何なんだ?」


 ふと頭の中に出てきた、至極当然な疑問を口に出す。


「狐だよ!見て分からないの?」

「そういうことじゃなくて」

「じゃあ、何だって言うのよ」

「あぁ……質問の仕方が悪かったのかな。さっき、狐から、ヒトの姿に変身したよね。普通の狐はヒトになったりしないし、なれない。いや、そもそも質量保存の法則を無視していた」


 狐の体重は3〜14kgと言われている。それに対して人間の少女は50kg程度であるというのを何処かで聞いた。この差は歴然としていている。


「そんな科学を無視した変身をしていたお前は、異常だ。まるで……妖のような」


 確か、人に化ける狐、化け狐という妖怪がいたはずだ。今までの知見から推測したものだった。


 しかしすぐ様にその予測は、明瞭かつ叱咤するような声で否定される。


「失礼な!妖なんかと一緒にしないでよ。私は神様なんだから」

「神様……?」


 本物の神様が目の前にいて『私は神様だ』なんて言われたら、貴方ならどうするだろうか。俺はただ惚けるしかなかった。


 きっと、神社の境内であるとか、死の間際に瀕した走馬灯の中であるとか、それこそ死後の世界とかなら、すんなりと信じれたのかもしれない。


 何より彼女は、狐の耳と尻尾が生えている以外は本当に幼い女の子のようで。神秘的な威厳もなかったので、何とも受け入れ難い。


 ただ、この子にはこの子也の矜持があるだろうと考え、それは心の中で思い留めて置いた。


「狐の神様なのか……?狐の神……稲荷?」


 パッと出てきた単語が稲荷。


「いなり……?」


 彼女も復唱するが、意味を理解していないであろう発音だ。


「私はその、いなり?じゃない……と思う」

「神って言ったら、何かご利益とか、あるはず。お前……」


 お前と発言したところで、考え直す。そんな二人称は、神に対して失礼ではないか。


 正直信じきれていないとはいえ、神様に類するような力を持っていることは確かだ。間違いなくバチが当たりそうなので、改めることにする。


「え〜っと、貴方様?は何の神様なのでしょうか」


 神道の宗教観に依れば、世界には八百万の神々がいるとされる。狐から連想した結果の、稲荷ではあったが、この見方が正しければ無鉄砲に憶測した所で当たる訳がない。


「えっと、それは……あれ?何だったかな」


 お湯の流れる音が消える。風呂場には、彼女が桶を置き、カランとした音がやけに響いた。


「ご利益とか無いのでしょうか。何分、神様に対する見識、知識は浅く、よく分かっていないのですが」

「ご利益はある……はず!私は偉大な神様なんだから。あと、元の口調と態度に戻って。何か気持ち悪い」

「流れるように気持ち悪いって言わないでくれよ。傷つく……」


 敬うべき神様に対してあるべき姿と態度を示していたところお叱りの声を頂いたので、御言葉通り戻すことにする。


「どうして、顔を伏せっているの?」

「え、いや、えっと……これはその」


 突然の変化球を飛ばされ狼狽える。同じ思春期男子なら、この俺の気持ち分かるはずだ。今までの質問は正直これを誤魔化すための細工でしかない。


 この子が神様であるかどうかなど、どうでも良くなってしまうほどに俺の頭は限界を迎えそうになっていた。


 自分の心臓が早鐘を打っている。意識すれば意識するほど、鼓動は速くなっている気がした。


 ……早く風呂を出たい。この後は俺が洗う順番だけど、そんなの無かったことにしたいくらい自然と一緒に風呂場に入ろうとした過去の自分を呪った。


「べ、別に気にするな!あと、次俺が身体洗うからさ。貴方様は湯船に浸かっていてくれませんか?」


 そうしないと俺の身が持たないからな!


「口調戻ってないし……。あ、そうだ!」

「……え?」


 その、閃いたと言った感じの言葉に悪寒を覚える。すーっと、温かな御湯に触れた全身に冷ややかな風が戦ぐ。


「この神様である私が、身体を洗ってあげようか?」


 

 数瞬、いや体感時間で言えば一刻の時が流れ、そして凍りついた気がした。


 その後、風呂場に充満した湯気が、ふわりと動いて、確かな時間が流れていることをダイレクトに視覚的に伝える。


「いや、良いです……!本当にそういうの、しなくて良いので!」

「そんなに強く拒絶しなくても……本当に洗ってあげるわけないでしょ!」


 束の間の安心を感じる。あぁ、お風呂に浸かるというのはなんて心地の良いことなんだろうか。


「ねえ、私の顔をちゃんと見て話してよ」


 神様はどうしてこんなに非情なのか。実際、この子が神様であるというのだから本当に救いようが無い。


「無理です」


 シンプルに不可能であることを伝える。神様、そのミッションはインポッシブルです。


「どうして?」

「無理なものは無理なんです」


 お願いだから折れてくれ。この開放的な密室の空間で見たら、顔どころか色んなところが見えて、俺のアレが暴走してしまう。


「どーうーしーて!」

「いやだって……」

「だって?」


 ここで一泊。深呼吸を挟む。息を呑み込む音が風呂場に反響した。


「お前の……その、色々と見えちゃうから」


 顔を伏せたままでいるため、彼女の表情や動きは見えない。


「や、やっぱりエッチなことする気だったのね!」


 声遣いから思うに、こちらに対して犯罪者予備軍のような視線を向けているのが分かる。だから、それに対して俺が出した答えは一つ──。


「それは理不尽過ぎるだろぉぉぉおお!?」


 結果、俺は目を瞑りながら流れるような動作で風呂場を後にした。

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