第4話

「付いてきて何が悪いのよ」

「悪いもこうも、野生動物……?を家に連れ帰ることはできないよ」


 俺の背中におんぶをするような形で掴まっている狐を離そうとした。だが爪が食い込んでいるのか一切離れてくれないし、肩が引っ掛かれるような痛みも走る。狐はやだやだというように顔をうなじ辺りに擦り付けている。


「や~だ~もう森に帰りたくないんだ~!」


 耳元で思いっきり叫ぶ。木々がざわざわと震える。女の子の声に近いのか甲高くて耳が痛くなる。


「いいじゃないか空。狐は保護する形で飼うこともできるんだぞ」

「ほら!やっぱり連れてってもらえる!」

「でもさっき食べないでくださいって怖がってたじゃんか」

「それはそれこれはこれだよ!」


 森の中で三人(二人と一匹?)の大乱闘が勃発した。その声で鳥はばさばさと何度も飛んで行った。その大乱闘が動物を家に連れ帰るかという小学生が捨て犬を拾って親に飼いたいとねだるような物である。だがしかし俺は飼いたくない親の立場だし、爺ちゃんは小学生の立場だ。オマケに連れてきた動物は喋る。なんだこれ。


「ということであなたのお家に行きます!おじいちゃん!いいですね!?」

「いいぞ!」

「ほ~らいいって!だからあなたの背中からは離れません!」

「えぇ~……」


 爺ちゃんと後ろの野郎が意気投合してしまった。正直俺も連れていきたいが、問題があったりする。それも簡単に変えられない方の問題。まあなんだ、家族だ。

 まず父さんと母さんが許してくれるかどうかだ。たとえ動物を連れてくると連絡してそれで了承されても、喋る狐に驚いて腰を抜かして『そんな化け物捨ててこい!』と言われるのは目に見えている。それに狐はエキノコックスという病原菌を持ってるというし、それで家に入れてもらえないということだった考えられる。ん、エキノコックス?


「狐、ちょっと離れてくれ」

「いやです」

「狐ってのはな、エキノコックスっていう病原菌を持ってるんだ。それが俺に移ったら死ぬ。つまり離れてくれ」

「私は持ってません!保証します!この……あれ、私の名前なんだっけ?」

「えぇ……というか名前あったんだね……。」


 もう死ぬ覚悟で歩くしかないと思った。しかも名前を持っていたという多分いらない情報もゲットした。


「爺ちゃん。父さんに狐連れてくるからそいつの検査誰かに頼んでって言っといて」

「おうよ」

「あとその狐喋るよってことも言っといて。多分信じてもらえないだろうけど」


 父さんがそんな人を知っているかは知らない。一か八かだ。もう連れて帰るしかないんだなと俺は嬉しいのか嫌なのかよくわからない。木々は静かだ。




「ただいま~……」


 何故かゆっくりと扉を開ける。だが引き戸の玄関なのでからからと音が鳴る。つまりほとんど意味はない。


「おぉ、おかえリッツ」


 親父ギャグをかましながら父さんがリビングの方から出てくる。案の定、俺の後ろの狐に目を見張っている。


「そいつが例の狐かぁ……喋るんだっけ?いやまさかねぇ」

「どうも、おとうさん」

「へぇ、ホントに喋るんだ。なんか昔のおもちゃを思い出すなぁ……ってなんでやねん!」


 相変わらず父さんのノリ突っ込みは切れ味が悪い。だがそれよりも、父さんが一切驚かないということに対して俺は何故か驚いた。


「かわいいだろ、その狐ちゃん」


 俺に遅れて爺ちゃんも家に上がる。三人?いるとちょっと暑苦しいように感じる。早くリビングに上げたいが、この狐ごと上げられるだろうか。


「狐ちゃん、ちょっとこっち来い。検査するぞ」

「え、もう検査の人来てるの?」

「ばか、そんな奴知ってるわけないだろ。完全に独学でやってみせる」


 背筋がぞわりとした。独学という言葉がどれだけ恐ろしく信用ならないかを実感する。あのとんでもなく不器用な父さんだぞ。工務店の店長なのに道具を『弟子に』触らせてもらえてないあの父さんだぞ?父さんはこっちに来るように手をちょいちょいと動かしている。その動作が悪魔が誘い込んでいるようにしか見えなかったのは気のせいではないのだろう。


「んじゃ、お言葉に甘えて失礼します。あ、足そのまんまで大丈夫ですか?」


 狐は呑気に答えている。行くなと少し叫びそうになる。別の意味で連れてこなければよかったと後悔する。


「空、なんでそんなこの世に絶望したかのような顔してるんだ?もしかして父さんの腕を舐めてるなぁ?」

「え、いや、そんなこと、ないよぉ?」


 もう俺も限界だと思う。狐はいつの間にか俺の目の前にいる。


「ほ~ら痛いことは何もないよ~。ちょっと写真撮るだけだよ~」

「父さん、本当に写真撮るだけ?」

「当たり前だろ。だってレントゲンだぞ?痛いわけがない」


 レントゲンかとほっとするが、あの父さんだ。変に壊したりがあり得る人物だから、十分注意したい。


「じゃあ父さん、俺ちょっと見学させてもらうね」

「本当に心配性だな~空は。もうちょっと父さんに委ねてもいいんだぜ?」

「工務店の店長やってるのに道具も使えない人には言われたくはないかな……」


 俺と爺ちゃんはやっと玄関から上がれた。そして俺はエキノコックスの検査の見学(監視)をするため父さんの方へと付いて行った。爺ちゃんは台所へ行った。きっと酒を飲むつもりだろう。




「ほら、何にもない!だから言ったじゃない!」


 俺の膝をぷにぷにの肉球でぽこぽこと殴ってくる。正直気持ちいい。


「いや、悪かったって」


 童話に出てくる生き物に見えてしょうがない。頭を撫でそうになるが、今撫でたらもっとぽこぽこしてくるだろう。それでもかまわないが。


「そういえば、風呂とか入った方がいいんじゃないのか?」


 今まで自然の中で育ってきたのだから、風呂に入らないと不潔ではないかと狐に言う。狐は可愛らしく首を縦に振る。尻尾もぶんぶん振っている。少し獣臭いような気がしてくる。


「んじゃ行くか風呂」


 狐を抱え込んで洗面所へと赴く。部屋を出ようとする。そして足に激痛が走る……!


「あ゛あ゛!!いっでぇ!!」


 久しぶりに過度に小指をぶつけた。指の正面――つまり爪と肉の間――から逝ったからか痛みはとんでもない。


「あはは!何やってんの!」


 腹に抱えている奴はどっと笑いだす。お前の足もぶつけてやろうか。


「うっぐぅ……行く、ぞぉ……」


 悶えながらも階段を下りて行った。途中で二回ほどこけそうになり、その都度笑われた。頭をぐりぐりしてやりたくなる。




「ふひゃ~……あたまきもちぃ~……」


 人用のシャンプーでとりあえず狐の頭をわしわしと洗っている。成分的に大丈夫だろうか。茶色い汚れが大量に出てくるが、予想よりかは多くはない。


「ほら、流すぞ」


 シャワーをなるべく弱めに出して頭にかけてやる。狐は今にも眠りこけてしまいそうなほど、というか寝ているのか、首を右へ左へかくかくさせている。ほんのちょっと顔にシャワーをかけてやった。


「わっち!?ちょ、やめろぉ!」

「こら、寝るんじゃない」


 顔を犬みたいにぶるぶると振って水を落とした。頭を振っている最中に頭の山吹色の毛が茶色い毛になって『髪の毛のような色』になったような気がした。


「んじゃあ体洗うぞ。ボディーソープとか人用だけど大丈夫?」

「え、体は自分で洗うよ!大丈夫!そのボディーソープとかいうの貸して!」

「え、いや、その手でどうやって洗うんだよ。恥ずかしいのか?」

「恥ずかしいとかじゃないし!とにかくボディーソープ貸して!」

「いや、背中とか洗えないじゃん。せめてそこだけでも……」

「いいえ!私が洗います!大丈夫でーす!」


 女の子(?)だからか、体を洗うのをとんでもなく嫌っている。だがしかしそうもいかない。というかその手でどうやって体を洗うのだろうか。


「はいはい、暴れないでください」

「や~だ~絶対えっちなことする気だぁ!」

「そんなことしません!っておい抜け出すな!」


 腕から滑り落ちるようにして抜け出した。頭の毛の色が茶色に変わっている。気のせいではない。そこからだった。

 狐の体の骨格、足や体などが変形していく。それもするすると滑らかに。明らかに大きく不釣り合いな体の形になっていく。人間の骨格に近い形、そして人間と同じ毛の生えていない肌になっていく。

「んうぐぅ……!ふぅ……!」

 苦しんでいる。だが快楽に浸っているようにも聞こえる声。艶めかしい。頭の毛は人間のような茶色い毛に変わる。艶のある女性のような髪の毛になる。目は白目が多くなり、鼻先は黒から白に置き換わり、人間の顔へと近づいていく。恐怖、そして嫌悪だった。あまりにも現実離れしている。見るからに気持ち悪いし、俺の手も足もがたがたと震えている。だがしかしそれから目が離せない。それを美しいと感じる俺がそこにいた。指の感覚がなくなるような感覚。そして鳥肌。見入っているうちに、あまりにおぞましい変身は終わった。


「……んぁ……ふぅ、ほら、私、女の子だし……この体見れば、分かるでしょ……?」

「……あ……」


 何も言えない。涙が出る。目の前の『少女』の起こした、異常な光景。頭が白くなったり黒くなったりしている。息が荒くなる。


「大丈夫?」

「……う、ん……」


 こんな状態が大丈夫なわけがないだろうと言ってやりたかった。だがそんな気力はない。足が震える。指先の感覚がない。少女の耳が揺れる。狐の面影は耳と尻尾以外にない。


「ということで、私は体を洗います。あなたは湯船にでも浸っててください!」


 淡々と言ってのける。俺はなんとか限界が来てそうな体を動かして湯船に浸かった。足先は未だ冷たく感じる。少女は山吹色の尻尾を振っている。

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