SS.16:ひなの奮闘
「春樹さん、谷口さん。本当にありがとうございました」
喫茶カメリアを出て、谷口の運転で家路に向かう車の車内。
後部座席に座ったひめが、そう口にした。
「よかったね。久しぶりに会えて」
「はい。元気そうでしたし、よかったです」
隣に座る春樹に声をかけられ、ひめはそう答えた。
「ひなちゃんは……来てよかったのかな?」
「えっ?」
気を使ってくれた谷口の言葉に、ひなは一瞬言葉に詰まる。
「そうですね……来るまではいろいろと言ってやりたいこともあったんですけど……実際に会ってみたら、なんだか文句も言えなくなっちゃいました」
「そっか」
谷口は多くは訊いてこなかった。
それがひなには嬉しかった。
(やっぱり谷口さんは大人だなぁ……なのにひなは、本当にまだまだ子供なんだ……)
今日の事だってそうだ。
谷口はひなに「嫌だったら無理に行くことはないからね」と再三念押ししてくれた。
いつだってひなに寄り添ってくれて、ひなの意思を尊重してくれる。
そんな谷口に、ひなはますます惹かれていった。
「谷口さん。ひなが大学に受かったら、また一緒に行ってもらえませんか?」
「え?」
ひなは……ひめが羨ましかった。
ひめが隣に座った春樹を、『お付き合いしてもらっている』人と紹介した。
ひなは、とてもそんな事は言えない。
「ひな、一生懸命勉強します。だから大学に合格したら、また一緒に行ってもらえませんか?」
このままじゃダメなんだ。
谷口の横に立てる女性になりたい。
そして……周りの人たちにも認めてもらいたい。
「うん、わかった。そのときは必ず一緒に行こう。約束するよ」
「ありがとうございます。ひな、頑張りますね!」
「うん、頑張って! 応援してるよ」
谷口の優しい声が心地よかった。
そしてこの日から、ひなは勉強意欲のギアを一気に上げた。
◆◆◆
ひなの志望校は、地元の相模国立大学教育学部だ。
5月の模試ではE判定……壊滅的な結果だった。
それでもひなは、1年生からの教科書を必死におさらいした。
授業が終わったら学校の図書室へ、週末は市内の図書館へ。
いつもの仲間と一緒に勉強した。
わからないことがあったら、遠慮なく浩介や雪奈に質問した。
浩介は時折練習問題を作ってくれたし、雪奈はわかりやすく教えてくれた。
夏休みに入っても、寸暇を惜しんで勉強した。
ただ……ひなは暗記科目が苦手だった。
英単語を覚えたって、翌日には頭から抜けてしまう。
結局、時間をかけるしかなかった。
睡眠時間を削って勉強する日々が続いた。
8月の全統模試。
志望校への判定は、E判定からD判定に上がっていた。
少しづつだけど、努力は報われている。
それでもまだD判定……全然安心できるレベルじゃない。
秋になっても、皆と一緒に勉強を続けた。
時折浩介の家で雪奈と一緒に勉強をすることもあった。
そして夕食を浩介、雪奈、ひめ、春樹、谷口、ひなの6人で一緒に食べることもあった。
つかの間の安らぎの時間だった。
10月の模試では、志望校への判定はC判定に上がっていた。
なんとかなるかもしれない。
春にはE判定だったひなは、手応えを感じていた。
年末年始は、最後の追い込みに入った。
挫けそうになると、たまに谷口とビデオ通話で話をしたりした。
谷口はいつでも『大丈夫だから。頑張って』と励ましてくれた。
そして1月の第2週の週末。
いよいよ大学入学共通テストだった。
二日間の日程を終えて……ひなの手応えは微妙だった。
もちろん自分なりに頑張った。この一年の努力の全てを出した。
それでも自己採点の結果は、微妙だ。
いずれにしても、二次試験の結果で決まる。
ひなは二次試験に備え、さらにギアアップする。
2月の頭には私立の試験もある。
ひなは私立は都内の教育系短大を一つだけ受けることにした。
私立短大は単年の学費は高いが、2年で済むので学費の負担総額は少ない。
それでも4大と比べると、卒業時の資格が違ってくる。
あくまでもひなの目標は、相模国立大学の教育学部だ。
母親のゆめが心配するほど、睡眠時間を削ってひなはスパートをかける。
体重も随分減って、最近では食欲も落ちてきた。
どれだけ勉強に時間を割いても、不安は拭えない。
そして……そんな生活が裏目に出る。
2月に入って私立短大の試験前日。
ひなは高熱を出し、咳が止まらなくなった。
日頃の無理がたたり、肝心な日に風邪をひいてしまった。
その日は日曜日で、病院は開いていない。
仕方がないのでひめに薬局で薬を買ってきてもらった。
それを飲んで早めに寝て、試験に備えた。
しかし翌朝、ひなの気分は最悪だった。
「なにこれ……世界がグルグルまわるんだけど……」
薬が切れると、熱が上がった。
ところが薬が身体に合っていないのか、飲むとひどいめまいが襲ってきた。
タイミングが悪く、生理も重なった。
最悪だ。
会場へ向かう電車の中で、ひなは貧血でフラフラだった。
試験が始まっても、問題文の文字が視界の中でぐにゃりと歪む。
めまいと吐き気で、試験どころではなかった。
数日後の合格発表。
ひなはあっけなく、不合格となった。
あとは国立の二次試験のみ。
そしてもしそれに落ちたら……浪人か就職か。
もう後がない。
「私立短大、落ちちゃいました……」
谷口とのビデオ通話。
ひなはさすがにショックを隠しきれない。
谷口と話し始めたひなは、半ベソ状態だった。
「大変だったね、ひなちゃん。でも一つ勉強になったじゃないか」
「勉強……ですか?」
「そう。試験に関しては、勉強よりも健康管理のほうが大事だってこと。これでわかったでしょ? だから国立二次のときに、その反省を活かせばいい」
谷口の言葉は、前向きだった。
「ひなちゃん、自分は思うんだけど……生きていく上で『本当の失敗』なんていうのは、ほとんどないんじゃないかなって思うんだ。どんな失敗だって、それは成功への踏み台になっていると思うんだよ。ただやっかいなのは失敗したその時は、そのことに気づかないってことなんだけどね」
「成功への踏み台……ですか?」
「そう。だから次は体調管理を徹底しよう。大丈夫、きっとうまくいくから」
「ひな……大丈夫ですかね?」
「うん、それだけ一生懸命やってきたんだ。自分を信じて、最後まで頑張ろうよ」
「……はい、そうですよね。最後まであきらめないで、頑張ってみます!」
「そうそう、その調子。たくさん食べてたまには軽く運動して、体調管理をしっかりね」
「わかりました。谷口さん、ありがとうございます!」
単純かもしれない。
それでもひなより人生経験の長い谷口の言葉は、ひなの心に響いた。
国立二次試験まで、あと10日ちょっと。
学校はすでに自由登校となっている。
ひなは生活パターンを変えた。
毎日3食、決まった時間に食事をした。
睡眠も1日7時間は取ることにした。
そして朝食を取ったあと30分間、運動の時間に充てた。
散歩をしたり軽く体操をしたり、とにかく身体を動かした。
効果はすぐに現れた。
私立短大に落ちてあれほど落ち込んでいた気分が、前向きになった。
勉強をしていても、昔勉強して覚えたことが頭の引き出しの中から出てくるようになった。
ひな自身、驚いていた。
これならいけるかも……ひなは徐々に自信を回復していった。
そして2月25日。
相模国立大学教育学部の二次試験当日だ。
多少の緊張感の中、ひなの頭の中はスッキリしていた。
睡眠、体力、栄養、全てが充実している。
谷口さんのアドバイスのおかげだ。
ひななりに、試験の手応えはあった。
やれることはやった。
しかし試験は相対評価だ。
ひなの出来が良くても、他の受験生がもっと良かったら試験は落ちる。
あとは祈るだけだった。
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