SS.15:嵐の日に

 

「まったく……6月なのに台風なんて、異常気象にも程がある」


 喫茶カメリアのカウンターの中で、翔平は悪態をついていた。

 まだ6月だというのに、季節外れの台風は昨晩日本を直撃した。

 今日のお昼過ぎに関東地方は暴風圏を抜ける予想だったので、翔平は午後から店を開けることにした。

 今日は土曜日だし、ひょっとしたら近所の常連さんが来るかもしれない。


 ところが夕方まで、かなりの強風が吹き荒れた。

 結局お客さんは一人もこなかった。

 常連さんは年配の人が多いので、逆にこの強風の中に来られても危険だ。

 まあこんな日もある。


 時計を見ると、もう夜の7時前。

 翔平は諦めて厨房の火を落とした。

 ちょっと早いが、閉店の準備を始めた。

 

 得てしてそんな時に限って、客が来るものだ。

 店のドアベルがカランコロンとなった。

 翔平は小さく嘆息する。


「すいません、今日は食事の方はもう終わってしまって……」


 翔平はそう言って入り口の方へ視線を送ると……それから動けなくなってしまった。


 一人の小柄な若い女性が立っていた。

 セミロングの髪を肩まで降ろし、クリっとした大きな猫目。

 主張の強い胸元。

 その瞳を潤ませた瞬間、涙の粒が流れ落ちる。


「パパ……」


「お、俺は夢でも見ているのか……」


 もちろんひと目でわかった。

 この間、谷口が写真も見せてくれた。

 一日たりとも忘れたことはなかった愛娘。

 ひめが目の前に立っている。


 その後ろからもう一人。

 顔も体躯もそっくりなツインテール。

 その猫目もやはり潤んでいたが、同時の怒気もはらんでいた。


「もう! あの時、お姉ちゃん大変だったんだからね! ショックで何週間も学校行けなくなっちゃったんだから!」


 もう一人の愛娘、ひなが泣きながら怒りをぶつけてきた。

 その横でひめは、涙を止めどなく流し続けている。

 翔平も自分の目が信じられなかった。

 ずっと会いたいと願っていた二人の娘が、突然目の前に現れた。

 目が霞んで、よく見えない。


「ひめ……ひな……」


 すると二人の後ろから、谷口と松葉杖をついた男性が続いて入ってきた。


「た、谷口さん……これはいったい」


「大丈夫です。ちゃんとゆめさんの許可は取ってます」


「ゆめの?」


「はい。勝手だったのは承知しています。ただ自分もなんだか放っておけなくて……ゆめさんに翔平さんのことを話したんですよ。そうしたらひめさんとひなちゃんが会いたいって言ったら、連れて行ってほしいって言われたんです」


「ひなは別にどっちでもよかったんだけど……お姉ちゃん一人だと心配だったからついてきただけだよ」

 ひなはそう言うと、恥ずかしそうに視線をそらした。


「そうか……そうだったんだな。とにかくよく来てくれた。まあ座ってくれ」


 翔平はそう言うと、4人をカウンター席に呼び寄せた。

 翔平は入り口のドアプレートを『Closed』にしてカウンターに戻ると、4人と相対する。


「パパ……よかった……生きてたんだね」

 ひめはまだ鼻声だ。


「ああ、なんとかな」

 翔平はそう声を絞り出すのがやっとだった。


 カウンターの中央にひめとひなが座り、その外側に谷口と春樹が座った。

 少しの間、沈黙が訪れた。 


「ひめは看護師になったんだってな。立派じゃないか」


「パパも、カフェ始めたんだね」


「ああ、高校の時の友人に誘われてな」

 翔平はそう言って、ひめの隣りに座った春樹に視線を送る。


「あの……はじめまして。大山と言います。ひめさんとは……その……」


「パパ、こちら大山さん。今ひめとお付き合いしてもらっているの」


 春樹は少し驚いた表情で、ひめの顔を見た。

 翔平はその様子を見て、笑顔を浮かべる。


「そうかい。大山さん、ひめのことよろしくお願いしますね」

 翔平はそう言って、春樹に頭を下げた。


「あ、いえ。こちらこそよろしくお願いします」

 春樹もぎこちなく頭を下げた。


「ひなは……聖クラークに入ったんだな。凄いじゃないか」


「うん、友達に勉強教えてもらってなんとかね……でも今年も受験で大変なんだよ」


「そうか、もう高3だもんな。大学に行くのか?」


「ひなはね、学校の先生になりたいんだって」

「ちょっとお姉ちゃん……」


「そうか。立派だな」


 娘たちがこんなに立派に育ってくれた。

 俺は何もしてやれなかった……。

 その後悔と罪悪感に、翔平は押しつぶされそうになった。


「あの……遅い時間に申し訳ないんですが、なにか食べるものとかお願いできると嬉しいんですけど」

 谷口が空気を読んだのか、遠慮がちに訊いてきた。


「ああ、そうだな。みんな腹は減ってるか?」


「うん」

「ペコペコだよ」

「僕もできれば何か頂けますか?」

「春樹さん、ナポリタンがおすすめですよ」


「わかった。今すぐ作るよ」

 涙声をごまかすように後ろを振り返ると、翔平は厨房に再び火を入れた。


 しばらくして、4人の目の前にはナポリタンの大盛りが2つと取り分け用の皿が2枚置かれた。

 鉄板の上でジュージューと音をたてているナポリタンに、4人の歓声があがった。


「とりあえずシェアして食べといてくれ。いまミックスサンドを作るから」


 翔平はそう言うと、ミックスサンドにとりかかる。

 なれた手つきで二人分用意すると、それもカウンター越しに置いた。


「これ……うちのカフェのヤツと、そっくりだね」

 ひなが疑問を口にする。


「ん? ああ……たしかにきゅンの『妹お手製のミックスサンド』と同じレシピだけど……ていうかまだ同じレシピ使ってんだな。そのカニカマの彩りがアクセントだ」

 翔平はまだ真面目に働いていた時のことを、少し思い出した。


 それから翔平は、4人といろんな話をした。

 二人の娘と、ぎこちないながらも10年近くの時を少しでも埋めるように……。

 ひめの職場のことや、ひなの学校のこと。

 どの話もどんな話題も、翔平は聞くのが嬉しかった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 時刻は夜の10時を過ぎてしまった。

 4人とも帰り支度をした。

 春樹と谷口は支払いの準備をしたが、翔平はもちろん断った。


「パパ……また来てもいい?」


「ああ、いつでも来てくれ。大歓迎だよ」

 翔平はひめにそう返した。


「ひなは受験だから、しばらくは来れないと思う」


「ああ、そうか。受験、頑張れよ」


 そんな娘たちとのやりとりを、谷口と春樹は温かい目で見守っていた。

 翔平は店の外まで、4人を見送った。

 車の後部座席でずっと後ろを振り返りながら手を振るひめが見えなくなるまで、翔平はずっと店の前から手を振り返していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る