SS.12:運命的な出会い


 翔平はゆめと結婚してから二人の子宝にも恵まれ、幸せな家庭を気づいていた。

 翔平は食品関係の会社でサラリーマンをしていたが、脱サラしてゆめと二人で『いもうとカフェ・きゅン』を開業した。

 翔平自ら厨房へ入り、食事や飲み物を担当した。

 サブカルブームにあやかり、開業当初からカフェは盛況だったらしい。

 多忙で娘たちには寂しい思いをさせたが、暇を見ては遊びに連れて行ったりしていた。

 幸せな家庭だった。


 ところがカフェの成功とともに、翔平の生活は変わっていったらしい。


「人間、小金が入ってくるとロクなことはねえ。俺はギャンブルと酒と女に走るようになっちまってな」


 翔平は次第にパチンコ、競馬、競艇……ギャンブルにハマっていった。

 ギャンブルに勝っては若い女の子がいる店で酒を飲み、負けては消費者金融から金を借りた。

 当然ゆめは、そんな翔平を咎めた。

 ところが翔平は、生活を改めることはなかった。


 あとは絵に描いたように、翔平は坂道を転がっていく。

 借金の額は増え、そのうちに酒を飲んだ後に店の女のところへ泊まったりするようになった。

 そして多額の借金の督促状が自宅へ届くようになると、ゆめの堪忍袋の尾が切れた。


「借金は私が肩代わりするから、もう家を出てって!」


 離婚届を翔平の前に叩きつけ、ゆめは叫んだ。

『許可なく子供たちには会いません』という内容の念書と一緒に。


「あー出てってやるよ! 出てきゃいいんだろ?」


 売り言葉に買い言葉だった。

 離婚届と念書に判子を押して、翔平は荷物をまとめて家を出た。

 家を出るときにずっと泣いていたひめと、ゆめと一緒に怒っていたひなの顔が、翔平は今でも忘れられないという。


 その後、他の女の家を転々としていたが、長くは続かなかった。

 働かずにずっとヒモ状態の中年男を置いてくれる気の利いた女性は、そうそういない。

 翔平は行くところがなくなり、気がつけば路上生活者になっていた。


「ホームレスっていうのは悲惨で仕方ねえっていうイメージがあるが、案外生きていけるもんだぜ」

 翔平は自虐的な笑いを浮かべた。


 公園で寝泊まりしては、炊き出しの食料で飢えを凌ぐ。

 それでも夏場はなんとかなったが、冬になると寒さとの戦いだった。

 

 そんな生活が半年も続いたある日、翔平はいつもとは違う少し離れた炊き出し場へ向かった。

 そして……そこで運命的な出会いが待っていた。


「ひょっとして……山野か?」


「えっ?」


「オレだよ。広岡だよ。高校の時の」


「広岡か!?……久しぶりだな」


 炊き出しの豚汁を出してくれた男は、翔平が高校のときに一番仲が良かった友人、広岡だった。


「10年ぶりぐらいか? 山野……カフェはどうしたんだ?」


「ああ……いろいろあったんだよ」


「そうか……よかったら話を聞かせてくれないか?」


 翔平はこんな落ちぶれた自分を見られるのは恥ずかしかった。

 そもそもホームレス生活の中で日頃会話をする相手もいなかったが、心のどこかで誰かに話を聞いてもらいたいとは正直ずっと思っていた。

 広岡とは高2のときに同じクラスとなり、よく気が合った友人だ。

 お互いの家にもしょっちゅう行き来するぐらい仲がよく、親友だったといってもいい。

 そんな広岡と翔平は炊き出し場の隅で、パイプ椅子に座って話し始めた。


「それは……大変だったな」


「大変も何も……俺がバカだっただけだよ」


「まあ確かにそうかもしれんが……」


 翔平は久しぶりに自分の気持を吐露すると、随分スッキリした気分になった。

 一方の広岡も5年前に脱サラして、今は貧困にあえぐ若者や路上生活者の自立を支援するNPO法人の代表を務めているらしい。


「山野、いま借金はあるのか?」


「今は無い。家を出るときに、全部女房に肩代りしてもらったからな」


「ああ、それじゃあ家には戻りにくいよな。山野、今でも飲食業の仕事はできると思うか?」


「? ああ、それは昔カフェで全部やっていたからな。ちょっとやれば思い出すと思うが……こんな人間、雇ってくれるところないだろ?」


「そうか。いや実はな……」


 今度は広岡が、自分の両親のことを話し始めた。

 広岡の両親はもともとこの公園の近く住んでいたが、広岡が家を出て独立すると夫婦二人で郊外へ引っ越した。

 父親が老後に喫茶店をやりたいという夢を実現するためだった。


 たまたま店舗つきの住宅が売りにでていたので、自宅を売却してその住宅を購入した。

 そして夫婦二人で喫茶店を始めた。

 それがこの店舗、喫茶カメリアだった。


 喫茶カメリアの経営は順調だった。

 住宅地のど真ん中にあるこのお店は、近所の常連の憩いの場になった。

 老夫婦二人では体力的に少しきついぐらい、お店は繁盛していた。


 ところが……幸せな時間は長くは続かなかった。

 5年前、広岡の母親が急逝。

 心臓発作で救急車に運ばれると、そのまま病院で帰らぬ人となった。


 その後、広岡の父親一人で喫茶店は営業を続けた。

 店の規模的に、メニューを絞ればなんとか営業を続けることができた。

 ところが……2ヶ月前に、広岡の父親も倒れてしまった。


「脳梗塞でな……一命は取りとめたが介護が必要で、いま介護老人保健施設に入ってもらってる」


「そうか……大変だったな。俺も広岡の親父さんとお袋さん、よく覚えているよ」


「オレもこのNPOの仕事が忙しくて、父親の介護まで手が回らなくてな」 


 そう言って広岡は少し淋しげな表情を浮かべていたが、すぐにキリッとした顔で翔平を見上げた。


「それより山野、父親がやっていた喫茶店なんだけど……引き継いでやってみないか?」


「え? 俺がか?」


「ああ。実はオレはもう店を売ってしまおうと思ってたんだけど……店に行ってみると心配してくれた近所の常連さんに囲まれてしまってな。『マスター、大丈夫なの? いつ戻ってくるの?』って言われて……どうやら地元のお客さんに、もの凄く愛された喫茶店だったんだよ。そんな店を閉じるのは、なんかもったいないと思ってな。でも俺は飲食店は全くの門外漢だし……どうだ山野、やってみないか?」


「お、俺でいいのか?」


「ああ。とりあえず給料が払えるかどうかはわからないけど……自宅兼店舗だからそのままタダで住んでもらっていいぞ」


「本当か!?」


「ああ、早速この後、店に行ってみないか?」


「え? この後って話が急だな……まあいいけど」


「よしっ、じゃあ炊き出しが終わるまで待っててくれ」


 広岡は立ち上がると、ふたたび炊き出しに戻った。

 豚汁を注いで手渡している広岡を、翔平は不思議な心地で見ていた。

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