SS.11:喫茶カメリア


「ここか……」


 車を走らせること1時間半。

『喫茶カメリア』と書かれている看板の前で、谷口は少し緊張していた。


 翔平と遭遇したスーパーから10分ぐらい走った住宅地のど真ん中で、とてもわかりにくい場所にあった。

 駐車場も2台分しかない。

 

 その喫茶店は、昔からある古びた感じのお店だった。

 良く言えば趣のある『昔ながらの街の喫茶店』といった風合いだ。


 時刻は今、夜の7時半。

 谷口がこの時間に来たのには理由がある。

 店の閉店時間は8時で、今日営業しているのは昼間電話をして確認してある。

 閉店近くに行って食事をしたあと、コーヒーでも飲みながら話ができるかもしれない。

 そんなことを考えたからだ。


 谷口が店の扉を開けると、カランコロンと音がしてコーヒーのいい香りがした。

 カウンターも含めて20席ぐらいのこじんまりとした店で、テーブル席に客は二人だけ。


「いらっしゃ……ああ、アンタかい」


 入ってきた谷口を見て、カウンターの中にいた翔平はバツが悪そうに口にした。


「こんばんは」


「ああ……カウンターにするかい?」


「えっと……はい」


 谷口はカウンターの一番奥の席に座った。


「腹減ってるか?」


「はい、ペコペコです」


「ナポリタンでも食うか?」


「えっ? はい、大好きです。ナポリタン」


「わかった。今作るから」


 翔平はそう言うと、カウンターの奥でパスタを茹で始めた。

 その間に玉ねぎ、ピーマン、ソーセージ、エリンギをカットし、フライパンで炒める。

 それらに火が通ると一旦外に出して、トマトベースのソースをフライパンに入れて温め始めた。

 野菜類をまたフライパンへ戻し少し温めると、今度は別のコンロでスキレットを火にかける。

 茹で上がったパスタをトマトソースの中に入れて温めると同時に、スキレットの上に溶き卵を流した。

 そして溶き卵がジュージューと音をたてているスキレット上に、ソースを絡めたパスタを盛り付けた。

 

 その間約10分。

 見事な手さばきである。


「はいよ」


「うわー、美味しそうですね」


「美味しそうじゃなくて、美味しいんだよ」


「鉄板の上に卵が敷いてあるんですね。初めて見ました」


「ああ。ナポリタンと言えば横浜だけど、名古屋あたりではこうやって出すのが普通らしいんだよ。俺はこっちの方が好きでね」


「そうなんですね。とりあえず、いただきます」


 谷口は待ちきれず、フォークでパスタと卵を巻き取って口に運んだ。


「う、うまい!」


 ケチャップの酸味と玉ねぎの甘味、それに卵のまろやかさがミックスされて絶妙な味わいだ。

 大手ファミレスとかでは味わえない、街の喫茶店の味だ。


 谷口は夢中になってナポリタンを食べていた。

 すると……


「マスター、ごちそうさん。お金、ちょうど置いとくからね」


「ああ、ありがとう。悪いね」


「俺、明日はそのナポリタンにするわ」


「ははっ、明日の注文は明日考えてくれればいいから」


 二人の客がちょうど帰るところだった。

 常連客だろう。

 翔平が軽口を叩いていた。


 谷口が夢中で食べていたナポリタンは、もう殆ど残っていなかった。

 大盛りにすればよかった。

 そう思っていた時……


「飲み物はブレンドでいいか?」


「あ、はい。お願いします」


 谷口がそう言うと、翔平はカウンターから出て店の入り口の方へ向かった。

 ドアにかかっているプレートを『Closed』にして戻ってくると、コーヒーを淹れ始めた。


 翔平がコーヒー豆をミルで挽くと、いっそうコーヒーの香りがあたりに広がった。

 挽いた豆をネルフィルターに入れ、温めたポットの上にセットする。

 注ぎ口が細くなっているケトルでゆっくりとお湯を回し入れると、フィルターの中のコーヒーがきれいに膨れ上がった。


(いい豆を使ってるな……)


 実は谷口も、かなりのコーヒー通だ。

 自宅では面倒なのでコーヒーメーカーで淹れているが、豆はいつもコーヒー豆専門店から購入している。

 なのでコーヒー豆に対する知識も、それなりに持っている。

 こうやってお湯を注いで綺麗に膨らむのは、コーヒー豆が新鮮な証拠だ。


 翔平は温めたカップにコーヒーを注ぐと、ソーサーの上に乗せて谷口の前に差し出した。


「あいよ」


「ありがとうございます。いい香りですね」


「ああ、俺はコーヒーは香りが命だと思ってるよ」


 谷口はブラックのままコーヒーを口にした。

 一口飲んだ瞬間、強烈な、それでいてバランスの取れた芳香と味わいが広がった。


「ああ、うまい……」


 若干濃い目なのに、雑味がなくスッキリしている。

 これだけのコーヒーを飲んだのは、初めてかもしれない。

 谷口はそんなことを思った。


「いい豆を使われているんですね」


「ん? ああ、いい豆というよりは、新しい豆を使っているんだ。焙煎してから10日以上経ったものは、店では出さねえ。香りが飛んじまうからな。仕入れ業者を見つけるのが大変だったよ」


 翔平はそういうと、コップの水を一口飲んだ。


「ところで……お前さんはひなとどういう関係だい?」


「あ、えっと……その……年の離れたお友達といいますか……」


「……そうか。まあ俺がとやかく言うことでもねえしな」


 翔平はカウンター内の椅子に、ゆっくりと腰掛けた。


「で……聞きたいんだろ? 俺のこと」


「えっと……まあ、はい」


「まあ昔話になっちまうが……ちょっと付き合ってくれ」


 それから翔平は、自分の過去のことを話し始めた。

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