SS.10:山野翔平


 谷口の運転する車は3人の高校生を乗せて帰路の途中だ。

 後ろからはひめと春樹が乗った軽自動車がついてきている。

 車は一般道から高速へ入ったところだ。


『俺はこの近くで喫茶店のマスターをしている。といっても雇われだけどな。ここで会ったのは、本当に偶然だ。それと……事情があって俺は子どもたちには会えないんだよ。だから俺のことはひめとひなには黙っといてくれ。もちろんゆめにもな』


 そういって男は財布からヨレヨレになった名刺を谷口に渡すと、足早に車に乗り込んで走り去ってしまった。


『喫茶カメリア マスター 山野翔平しょうへい


 名刺の住所は、確かにあのスーパーの近くだった。


 谷口はひなが小学生の時、両親が離婚したという話は聞いていた。

 姓が山野ということは、ゆめさんは旧姓に戻さなかったということだろう。

 たしかに思春期の子供のことを考えると、当然そういう選択肢もある。


 彼は……山野翔平は『子どもたちには会えない』と言っていた。

 しかし、谷口はカフェの前で翔平を見かけた。

 つまり……「会いたいけど会えない」状況なのだろうか。


「オヤジたち、ちゃんとついて来てますかね?」

 後部座席の浩介が後ろを振り返りながらそう言った。


「ああ、3台後ろにいるよ」

 谷口はバックミラーを見ながら答える。


「浩介くんのお父さんとひめさん、うまくやってるかな?」

 雪奈が楽しそうに訊いてきた。


「ん? ああ……きっと鼻の下を伸ばしながら楽しんでるよ」

「そうかな? お姉ちゃんの話につきあわされて、コースケのお父さん大変だと思うなー」


「はは、そうなのかな? でも年が離れてる分、春樹さんはひめさんの話を聞くのが楽しいって言ってたよ」

 話を聞いていた谷口は、そう言った。


「だといいんですけどねぇ……多分お姉ちゃん、浩介のお父さんに父性を感じてるところもあると思うんですよ。お姉ちゃん、昔本当にパパっ子だったから」


「そうなんだね……ひなちゃん、そのパパって……いまどうしてるのか聞いてもいいかな?」

 谷口はできるだけ自然に尋ねてみる。


「それがひなもわかんないんですよ。なんか昔、公園で寝泊まりしているのを見た人がいるって話もあったんですけど……ママにも聞いたんですけど、どこにいるのか、生きているかどうかすらもわかんないんです」


「……そうなんだね」


「ひどい父親だったみたいなんですよ。お店のお金持ち出したり、よそに女の人作ったりして……それでもパパが家から出ていったとき、私よりお姉ちゃんがもの凄くショックだったみたいで……毎日泣いてたのを覚えてます」


「そっか。それだけパパっ子だったら、辛かっただろうね」


「お姉ちゃん、今でもたまに言うんですよ。パパ、どこかで生きてるかなぁって。ひなはもう、ほとんど忘れちゃってますけど」

 ひなはそう言って、少し寂しそうに笑った。


 まだ明るい時間帯に、一行は浩介のマンションに帰ってきた。

 今日はここで解散だ。


「あのっ……谷口さん」


「なんだい? ひなちゃん」


「また連絡してもいいですか?」


「ああ、いつでもいいよ。それから……気分転換が必要だったら、またどこかへ出かけよう。自分もなかなか時間が読めないけど、たまには気分転換したいからね」


「はいっ! お願いします!」


 谷口はひなの元気な声を聞くと嬉しくなった。

 一方で……翔平のことはこのまま自分の胸にしまっておくべきだろうか。

 谷口は判断がつかなかった。


           ◆◆◆ 


「そっかぁ……あのスーパーでそんなことがあったんだね。僕は谷口さんが急いで外に出ていったから、てっきりお腹でもこわしたのかと思ったよ」


「いえ、自分もあのとき見かけた男がいたので、これは偶然じゃないと思って……でもまさかこんな展開になるとは思っていませんでした」


 谷口は今、春樹と電話中だ。

 あの海辺のレストランへ行った日から、2日経った。

 それでも谷口は、翔平の件をどうすればいいかわからなかった。

 このまま放っておいていいのかさえ、判断がつかない。

 ここは年長者の意見を聞いたほうがいいだろう。

 そう考えて谷口は、春樹に連絡を取った。

 春樹もひめと交際中だから、相談相手としても適任だろう。


「春樹さん、どう思いますか?」


「うーん……実は僕もひめさんと話をしていると、彼女のお父さんの話がでてくることがあるんだよね」


「そうなんですか?」


「うん。小さい頃一緒にお祭りに連れて行ってもらったこととか、海に行ったこととか……多分ひめさんの中で、お父さんの存在は大きかったみたいなんだ」


「そうなんですね……ひめさん、お父さんに会いたいのかもしれませんね」


「どうだろうね。ただそれは僕たちだけで判断しちゃいけないことだと思うよ。少なくとも母親の……ゆめさんにも話を聞くべきだと思う」


「ああ……そうですよね」


「ところで……その翔平さんっていうのは、どんな感じの人だい?」


「自分も外見だけしかわからないんです。痩せ型で無精ひげを生やして、長い髪を後ろでまとめてる感じで……まあいわゆる『喫茶店のマスター』って感じですね」


「そうなんだ……できればもう少し、情報が欲しいよね」


「自分、今度その喫茶店に行ってみますよ。まあ話ができるかどうか、わかりませんけど」


「そうだね。そうしてもらった方がいいかもしれない」


「春樹さんも一緒に行かれますか?」


「いや……悪いんだけど谷口さんだけで行ってもらえると助かるかな。ひめさんや子供たちには内緒にしておいた方がいいと思うし、僕はまだ松葉杖が必要だからいろいろと目立つからね」


「ああ、そうですよね。了解しました。次の非番の日に行ってみることにします」


「悪いね、谷口さん。助かるよ」


「いえいえ、春樹さん。こちらこそ相談に乗っていただいて、ありがとうございました」


 さすが春樹は年長者だ。

 いろいろなことが俯瞰できる。

 電話を終了したころには、谷口の頭の中は随分とスッキリしていた。

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