SS.02:スーツ姿の男性
「穏やかじゃないな」
スーツ姿の男性はそう言った。
身長は……コースケよりちょっと高いぐらいか。
ガッシリした体型で、その胸板の厚さはスーツの上からでもわかる。
ショートカットで、切れ長の目元の精悍な顔つき。
あ、ちょっとカッコイイかも……。
この非常事態で、ひなはそんなことを思った。
「おーおー……あんまし邪魔しないほうがいいぜ。俺ぁ空手経験者だからな」
手をおろした金髪が、男の人を睨みつける。
「おおっ、ヤスって空手有段者だったのか?」
ピンクメッシュが囃し立てる。
どうやら金髪はヤスっていう名前らしい。
「8級だ」
「負けフラグ!?」
そう言い終わった瞬間、 金髪が男性の顔面に拳を振り下ろした。
ガツッと鈍い音がした。
男性は顔を押さえながら、中腰にうずくまった。
「きゃあ!」
ひなは悲鳴を上げる。
「おお、空手8級スゲェ!」
「おめー、イキってんじゃねーよ!」
ピンクメッシュとツーブロックも加勢する。
酔っ払った3人が、その男性を殴る蹴るの暴行をし始めた。
彼はただ中腰でうずくまり、防戦一方だ。
「やめて!」
ひなは金髪の服を引っ張って、止めにはいる。
金髪はこちらを振り返った。
「うっせんだよ、さっきからよー」
「ねーちゃん、ちょっとそのおっぱい触らせろよー」
ピンクメッシュがひなの胸を触ろうと、腕を伸ばした。
ひなは手で胸を抑え、ブロックする。
ところが……ピンクメッシュの手がとどくことはなかった。
「……汚い手で、その子に触るんじゃない!」
防戦一方だった男性が、ピンクメッシュの腕を後ろから掴んでいた。
その切れ長の目元には、明らかな怒気が込められている。
よく見ると鼻血が出ている。
金髪の一撃が、命中したせいだろう。
「なんだおめー? まだいたのかよ」
「そのままおとなしく、寝てりゃーいいのに」
男性は3人を睨みつけたまま、背筋をスッ伸ばした。
「言っても分からない連中だな。じゃあ……ここから先は、ちょっとした正当防衛だ」
そういうと、3人の正面に素早く立ち位置を移した。
それと同時に、その男性の腕が動いた……ような気がした。
正確に言うと、よく見えなかった。
音さえも、よく聞こえなかった。
ただ残像のようなゆらぎだけが、ひなの目に残っていた。
所要時間は、多分1秒もかかっていない。
ところが次の瞬間……3人とも鼻を押さえ、中腰にうずくまった。
「えっ?」
今、なにが起こったの?
ひなは狼狽した。
「鼻尖軟骨をかすめただけだ。折れてはいない……と思う。だがこれ以上騒ぐのであれば、次は鼻骨か鎖骨か膝蓋骨を折る! どこがいいか、好きなところを選べ!」
彼は、迫力のある声でそう言った。
つ、強い!
なにこの人?
今の全然見えなかったんだけど。
ひなが驚愕していると、後ろから声がした。
「ひな、警察呼んだわ! あっ、あんたたち! お金払いなさい!」
母親のゆめが叫んでいる。
3人組は、まだ鼻を押さえたままだ。
ひなは、スーツの男性に歩み寄る。
彼はまだ、鼻血を出したままだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
男性の声は穏やかだった。
その声は、明らかにひなを落ち着かせようとする気遣いに満ちていた。
落ち着いた優しい眼差しで、ひなの顔を正面から見る。
そして男性がその視線をひなの胸元に落とした時……
「ブフォッ」
鼻血の流血量が、一気に倍増した。
「た、大変!」
ひながハンカチを出して、男性に近づく。
しかし彼は体を一歩ひいて、手で制御する。
「自分は大丈夫です」
「えっ? で、でも……」
「その綺麗な手を、汚してはいけません」
「え……」
その言葉に、一瞬ひなは動けなくなった。
今までこういうバイトをしてきたせいもあって、ひなはいつも性的な目にさらされていた。
男の人はそういうもんだ、ぐらいに思っていた。
だから女もある意味、性的対象に見られるのも仕方ないとさえ思っていた。
そうじゃなければ、いもうとカフェのような商売は成立しない。
だからその言葉が刺さった。
『その綺麗な手』
自分が汚れているとは思っていない。
ただ綺麗だとも思っていなかった。
ひな自身、自己肯定力が高くなかった。
でも自分が……自分の手が「綺麗」だって、言ってくれる男の人がいた。
その言葉は、ひなにとってキラーワードだった。
「あなたは大丈夫でしたか?」
「へっ?」
その言葉で、ひなは我に返る。
「怪我とか……されていませんか?」
「は、はひっ! 大丈夫れす!」
「それはよかった。でも無理をしてはいけませんよ」
彼はそう言うと、ひなの背後に目を向けた。
ひなも振り返る。
二人の警官こちらに向かってきていた。
ゆめが「こっちです!」と、警官に手を上げている。
警官が男3人組の前に立ち、事情を聞き始めた。
これでもう、大丈夫だ。
ひなはお礼を言おうとして、また振り返る。
「……あれ?」
だがそこにはもう、誰もいなかった。
「なんで……そんなぁ……」
お礼の一言でも言いたかった。
そしてできれば……連絡先も聞きたかったのに……
時計の針は戻せない。
ひなは大きなため息をつくことしかできなかった。
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