No.57:言質をとったわよ
昨日の夜、オヤジから話を聞いて俺はすぐに谷口さんに連絡を取った。
事の重要性を感じ取った谷口さんは、すぐにババアにコンタクトを取ってくれた。
しばらくして「今夜23時なら時間がとれますが、どうしますか?」とLimeが返ってきた。
俺はすぐさまOKの返事を打つと、23時前にマンションの1階へ車で来てくれた。
こんな遅い時間まで対応してもらって、本当に谷口さんには感謝だ。
残業代は、ババアに請求してほしい。
「もしもし」
俺は車の中で、谷口さんから借りた専用回線のスマホで話し始める。
「大山君、こんばんは。こんな時間にかかってくるなんて、悪い予感しかしないわ」
「予感的中だと思いますよ」
俺は研修規定について訪ねた。
配偶者規定みたいなものがあるはずだ、と。
俺の話を聞いたあと、ババアは大きなため息をついた。
「入れ知恵をしたのは、あなたのお父様ね」
「御名答です」
「まったく……因果なものね。天才物理学者のお孫さんが、おじいさまと同じことをするなんて……配偶者規定、一応あるわよ。想定はしてなかったけどね」
そりゃあ想定してなかっただろうな。
俺も雪奈も、まだ18歳だ。
「官房長官。その規定を使わせて下さい。俺は配偶者と一緒に、アメリカへ行く。そうじゃなければ、この研修は辞退させてもらいます」
「ハァー……簡単に言ってくれるわね。既に事務方には内々に大山くんの単身渡米で話を進めていたのよ。これでまた配偶者が増えるなんて……またあの連中に『あのクソババア、直前に仕事増やしやがって』って、文句言われる身にもなってみなさい」
「な、なんかすいません」
いろんなところでババア扱いされていたんだな。
とりあえず謝っておく。
「でも官房長官、もし一緒に行かせてもらえれば俺は死ぬほど勉強して、日本の将来の医学に絶対に貢献します。それでお返しさせてもらいますから」
「言ったわね。言質をとったわよ」
ふふっ、と小さな笑い声がスマホ越しに聞こえた。
「と言っても、もう官房長官はもうすぐ退任だわ」
「えっ? そうなんですか?」
「なに言ってるの。来月総選挙でしょ。少しは政治に関心を持ちなさい」
そう言えばそうだったな。
4月に衆議院の任期満了に伴う総選挙があった。
「じゃあ将来、大池総理になったときにお返ししますよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
明るい声が返ってきた。
「大山浩介君、とにかく日本政府はあなたに期待しているのは本当よ。しっかり頑張ってね」
「はい。ご期待に添えるよう、頑張ります」
その時俺は、素直な気持ちでそう言った。
俺に最高の医学の道を提供してくれた。
それに……俺は最高の配偶者を手に入れることになる。
天敵のように思っていた相手が、実は最高の協力者だったなんて。
本当に人生、わからないものだ。
俺はこの時、そんなことを考えていた。
◆◆◆
それから先は、話が進むスピードが本当に早かった。
俺は自分の部屋で雪奈にプロポーズしたあと、リビングにいるオヤジに報告した。
3人で雪奈が持ってきてくれたちらし寿司と唐揚げを食べながら、オヤジは「次は雪奈ちゃんのご家族に話さないとね」と俺たちに言った。
もちろんオヤジも喜んでくれた。
翌日、すぐさま俺は雪奈のお宅にお邪魔した。
達也さんも美咲さんも、なっちゃんも集まってくれていた。
国費研修の話を、一から説明した。
全員驚いていた。
俺は「雪奈さんと結婚することを、お許し頂けませんか?」と、達也さんと美咲さんに頭を下げた。
よくドラマのワンシーンであるやつだ。
まさか俺が18歳で、このセリフを口にするとは思わなかった。
美咲さんとなっちゃんは、両手をあげて喜んでくれた。
達也さんは、心にくるものがあったみたいだったが、最後には「娘をよろしくお願いします」と言ってくれた。
俺は心から安堵した。
ところで俺たちの周りで、もう一つの奇跡が起こっていた。
ひなが、相模国立大学の教育学部に合格した。
最後の最後で、逆転サヨナラホームランを決めたのだ。
俺は自分の事のように嬉しかった。
ひなの愚直な努力が、最後に報われた。
受験の神様は、ちゃんと見ていたんだ。
一方で俺と雪奈には、やらなければいけないことがてんこ盛りだった。
でも一番先にやらないといけないこと。
それは入籍だった。
俺も雪奈も、パスポートを持っていない。
しかも「大山雪奈」名義のパスポートが必要だ。
ビザの問題もある。
俺たちは達也さんと美咲さん、それとオヤジの許可を得て、とにかく婚姻届を先に提出することにした。
3月10日。この日が二人の結婚記念日になった。
達也さんとオヤジが、婚姻届の証人欄に署名捺印をしてくれた。
研修の合格通知が届いた日から、わずか4日後だった。
程なくして、俺たちは卒業式を迎えた。
俺は卒業生代表の答辞を述べた。
登壇の前に「ハーバード大学へ国費留学の予定」と紹介されると、会場全体がどよめいていた。
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