No.56:「……あ゙ーーーー!!」
「……あ゙ーーーーーー!!!!!!」
「おわっっっ」
昨日俺と一緒に牛丼を食べていたオヤジがいきなり大声を上げて、箸を持ったまま立ち上がった。
そしてそのまま口を半分開いたまま、固まって動かなくなった。
「オ、オヤジ?」
一瞬俺は真剣に、オヤジの背中の乾電池を交換しようかと考えた。
いったいどうしたんだ?
オヤジは数秒間固まったあと、急に再起動した。
すると今度はバグったSiriのように叫びながら暴れまわった。
「そーだよ! 例外! 例外だよ! 例外規定だ! なんでこんな大事なことを忘れてたんだ?! あーもう、本当に年は取りたくないよ! 本当にやんなっちゃうな!」
口からまわりに米粒を撒き散らしながら、オヤジは叫び続ける。
「き、きったねーな、オヤジ! どうした? 落ち着け」
「浩介、聞いてくれ」
オヤジの目が真剣になる。
「国の制度下の研修制度には、必ず研修規定があるはずなんだ。浩介はその研修の規定を読んだかい?」
「? いや、官房長官からの話と、この間見せた研修の案内書だけだ」
「やっぱりね」
オヤジの口角が上がる。
「いいかい。その研修は浩介が第1号となる研修だ。おそらく政府の目論見としては、その研修の対象は若い学生ということになるんだろうね。でも制度的に、年齢や性別、家族構成に制限をつけることは、今の多様性が問われる時代ご法度なんだよ」
たしかにそうかもしれないが……。
「それがどうかしたのか?」
「浩介、その規定には必ず例外規定がある。いや……今の時代、それは普通の規定に含まれているのか……」
「例外規定? 何のことだ?」
「研修予定者に配偶者や子供がいる場合の規定だよ。制度的に『独身者に限る』とは書けないだろ? だからそういう規定が必ずあるはずなんだ。もちろん政府の思惑とは別だから、建前上の規定だろうけどね」
「配偶者? 配偶者って、結婚してるってことだろ? オヤジ何言ってんだ? 俺も雪奈もまだ高校生だぞ。結婚なんて出来るわけが……」
「おいおい、浩介。まさか日本の法律で、何歳から結婚できるかを知らないなんて言わないよね?」
「……」
俺も雪奈も18歳。
結婚は……可能だ。
「おそらく配偶者規定に従えば、研修生の配偶者は一緒に研修先への渡航が可能だよ。ビザも配偶者ビザが支給されるし、渡航費も支給される。同じところに住めるし、生活費の一部も上乗せされるんじゃないかな」
……驚いたな。
そんな裏技、想像すらできなかったぞ。
「でもあのババア……官房長官は一言もそんなことを教えてくれなかったぞ! それに……なんでオヤジがそんなことを知ってるんだよ?」
「あはは、そりゃ政府としては最後まで隠したかったんだろうね。だって渡航者が一人増えるだけで、どれだけの経費がかかると思っているんだい? ムダな支出は極力抑える。まあ研修費の原資は税金だから、ある意味仕方ないだろうけどね。それに今回のケースは浩介に単身で行ってもらって、勉強に集中して欲しかったっていう目的もあったんじゃないかな」
オヤジはお茶を飲んで、一息つく。
「でも思い出してよかったよ。これも因果だね。実は浩介のおじいさんが国費留学をした時も、全く同じケースだったんだ」
「……大山俊介が?」
「ああ。あれはいつだったかな……僕が小学4年生ぐらいだったと思うけど……。僕の父親が酔っ払って、自分が若い頃に国費留学でアメリカへ行ったときの話をしたんだよ」
オヤジは椅子の背もたれに、体を預けた。
「マサチューセッツ工科大学への留学の話があったときに、すでに僕の母親とつきあっていたんだ。その時に政府の事務方の人に、研修規定を見せろと迫ったらしい」
さすがというか……俺は全くそこまで気が回らなかったぞ。
「その時の研修制度も実態は独身学生を対象にしていた。そして規定も結構いいかげんだったらしい。で、その規定の最後にはこう記されていたそうだ……」
『研修予定者に配偶者・未成年の子供がいる場合、別途規定を定めることとする』
「この規定のことを、政府の事務方の人たちは『例外規定』と呼んでいた。そしてこの規定を読んで2人は急いで入籍して、一緒にアメリカに行かせろとゴネたらしい」
……なんて行動力なんだ。
やっぱりすげー人だったんだな、大山俊介。
「父親が酔っ払って『国費留学で、俺たちは例外規定を使って渡航した初めてのケースだったんだぞ』って、上機嫌で話していたのをなぜか覚えているよ」
オヤジの目が遠くなる。
「でもそんな話、よく思い出したな。30年以上も前の話だろ?」
「ほら、僕は父親の血を全く受け継がずに普通の子供だったろ? だから父親も自分の自慢話なんて、僕にはほとんどしなかったんだよ。僕にプレッシャーを与えたくなかったんだろうね。だから逆に記憶に残っていたんじゃないかな。酒の勢いは怖いねぇ」
オヤジはそう言うと、いつもの柔らかい表情に戻った。
俺は極力冷静になるように努めた。
頭の中を整理して、口を開く。
「オヤジ……その……結婚してもいいと思うか?」
「なに言ってんだよ、浩介。それは浩介と雪奈ちゃんが決めることだろ?」
オヤジは破顔する。
「浩介、この際だから言っておくよ。親が子供に対して望むことなんて、たった一つしかないんだ。それは……子供が幸せであることだよ」
オヤジの目つきが、また父親のものになった。
「もし二つ望んでいいんだったら、健康で幸せであることだ。それ以上は何も望まない。親ってそういうもんなんだよ」
……俺は言葉が出なかった。
なんだよ……こんな時だけ……父親づらすんなよ……。
「とにかく、その規定の確認を取ったほうがいい。大池官房長官に、コンタクトを取れるのかい?」
「ああ、早速聞いてみる!」
俺は急いで立ち上がり、自分の部屋へ戻る。
リビングのドアを閉める前に、俺は振り返った。
「オヤジ」
「ん?」
「ありがとな」
「……ああ、頑張れよ! 浩介」
俺は自分の鼻声をごまかすように、少し強めにドアを閉めた。
◆◆◆
「配偶者……規定……」
目の前の雪奈は、うつろな眼差しでそう呟いた。
「雪奈、研修生の配偶者であれば、一緒に渡航ができる。ビザも支給される。何の問題もなく、一緒に住めるんだ。」
俺の顔を見つめる雪奈の顔が歪んだ。
目に一杯の水をたたえて。
「俺は最初、離れて暮らして雪奈が大丈夫か心配してた。でもそれは間違ってた。俺の方が全然大丈夫じゃないんだよ」
雪奈の目から溢れ出した水は、そのまま綺麗に流れ落ちてくる。
幾筋もの、きらめく糸のように。
次から次へと。
「雪奈がそばにいない世界なんて、何の価値もない。そんな無意味な世界で、俺は勉強も研究も続けられない。できっこない」
雪奈の肩が震えている。
嗚咽が聞こえた。
「だからお願いだ」
俺の思い。
届いてくれ。
「俺と結婚してほしい。そして一緒にアメリカについて来てくれ」
雪奈はついに大声で泣き出した。
「親元を離れて寂しい思いをさせるかもしれない。でも二人一緒だったら、って、おわっ!」
雪奈は俺の胸に飛び込んできた。
「行くよっ! 行くに決まってるじゃない! 行っていいんだったら、どこにだってついて行くよっ! アメリカだって、月だって、火星だって! どこにだってついて行くからっ!」
そう言って、俺の胸の中で一段と大きな声で泣き始めた。
「怖かったんだよ! 辛かったんだよ! 本当に離れちゃったら、どうしようって! アメリカで忙しくなって、私のことなんか忘れちゃったらどうしようって!」
「雪奈……」
それからしばらく雪奈は俺の胸の中で泣き続けた。
大きな声で泣き続けた。
しばらくして小さな嗚咽が収まると、そのまま眠ってしまった。
俺はそのまま、抱きしめ続けた。
きっと、ずっと心配だったんだろうな。
でも……もうこんな思いはさせないからな。
本当に、ずっと俺のそばにいてくれよ。
雪奈の寝顔を見ながら、俺は二人の幸せな未来を妄想した。
おでこにキスをすると、雪奈は少し身じろいだ。
その可愛い寝顔を、俺はいつまでも見ていたかった。
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