No.55:合格発表と決意


 そして3月6日。

 ついにその日がやってきた。

 東帝大学二次試験の発表の日。


 俺は朝9時に、スマホで合格発表サイトにアクセスする。

 あっけなく自分の受験番号を見つけた。

 合格だ。

 正直、あまり感慨はなかった


 俺は雪奈にLimeのメッセージで、東大に合格したことを伝えた。

 雪奈からは「おめでとう! さすがだね」と絵文字をたくさん使った返事が返ってきた。


 キッチンへ行って、コーヒーを入れる。

 リビングでテレビをつけると、日経平均はバブル崩壊後の最高値を更新というニュースをやっていた。

 試験があったので、ここのところトレードシステムは止めている。

 とてもそれどころではない。


 ところで……留学試験の結果って、いつ来るんだろうか。

 俺は正確な日付を知らない。

 郵送で送られてくる、とだけ聞かされている。

 この時代に郵送か? と思ったが……。


 昼前にスマホが振動した。

 Limeのメッセージだ。


 谷口:こんにちは。先程そちらのマンションの1階の郵便受けに、郵送物を投函しました。ご覧になってもらえますか?


 郵送と言っても、谷口さんが直接持ってきてくれたんだな。

 いろいろと非効率だ。


 俺は1階のロビーに降りて、郵便受けを見る。

 そこに入っていた封書を持って、また戻ってきた。

 リビングのソファーで、その封書を開けてみる。

 中から1枚、A4の紙切れが出てきた。

 無機質に書かれた文章の中に、「合格」の太文字が見えた。


        ◆◆◆


「もうちょっと他になかったのかよ」


 俺は一応悪態をついておく。


 俺は昼過ぎ、オヤジに「両方とも合格した」とだけLimeを入れた。

 すると「おめでとう。お祝いに何かテイクアウトで買って帰るよ」と返信が来た。


 会社帰りに買ってきてくれたんだろう。

 俺たちの目の前には、吉松屋の牛丼が並んでいた。


「まあ浩介も食べたかったんじゃないかと思ってさ。それにほら、今日は奮発して玉子とお新香も買ってきたよ」


「別にいいんだけどな……いただきます」


 まあこれが我が家のスタイルだ。

 俺は玉子をかき混ぜて、牛丼の上からかける。


「それで? どうするか結論はでたの?」


「いや……結局なにも進まない。ハーバードは魅力的だ。でも雪奈と8年も離れるなんて、とても考えられない。そこから前に進めない」


 結局はどっちを取るかになってしまう。

 俺はお新香を割り箸でつまむ。

 そういえばお新香のテイクアウトって、初めてじゃないか?

 そんなくだらないことを考えていた。


 ふとオヤジを見ると、割り箸を持ったままぼーっと固まっている。


「オヤジ、どうした?」


「ん? あ、いや、最近その留学の話になるとさ、頭の中に何かが引っかかってるのを感じるんだよ。ほら、喉の奥の方に小骨が刺さってるような感じ?」


「この前からずーっとそう言ってるよな。単に物忘れが激しいだけじゃないのか? まだ40代だろ?」


「ああ、そんな感じなのかな……あーーやだやだ、年は取りたくないや」


「若い彼女作ったんだから、もうちょっと若返ると思ってたんだけどな」


「それとこれとは、別の話だよ。あ、七味かけるの忘れた」


 オヤジは七味の小袋を破って、残りの牛丼にかける。


「さすがに今回の件は、浩介もなかなか結論が出せないよね」


「当たり前だろ? 今まで生きてきた中で、こんな難題に直面したことなんてなかったぞ。こんなのだ」


 俺も愚痴しか出てこない。

 オヤジは俺のそんな顔を、焦点の合っていない視線でじっと見つめていた。


        ◆◆◆


 翌日3月7日。

 

 夕方から雪奈が来てくれる。

 東大二次と留学の試験、両方とも合格したことを伝えてある。

 今日はお祝いに、ちらし寿司と唐揚げを持ってきてくれるらしい。


 ちょうどいいタイミングだった。

 俺の腹は決まった。

 あとは……雪奈の反応が心配だ。


「本当におめでとう。両方とも合格しちゃうなんて、さすが浩介君だね」


 夕食前、俺の部屋で雪奈はにこやかな笑顔を浮かべ、そう言ってくれた。


「ああ。そのおかげで、頭痛の種も増えたけどな」


「そうだね……でも選択肢が多いのは、いいことだと思わない?」


「ケースバイケースだと思うぞ」

 俺は正直な感想を漏らした。


 俺たちはたわいもない話に終止した。

 話さなければいけないことがある。

 それはお互い分かっていた。

 分かっていたから、話せなかった。

 話してしまうことが、お互い怖かったから。


 それでも……俺たちは、前に進まないといけないんだ。

 話さないと。


「雪奈、聞いてほしい」


「浩介君……」


 雪奈の表情から、笑顔が消える。



「俺は……やっぱりハーバードに行きたい」



 俺は医学の道に進むと決めた。

 そのためには、最高で最短距離の道を進みたい。


「……うん」


「世界最高峰の医学レベルの世界で、自分を磨きたい。そして……できれば将来、この手で多くの人を救いたいんだ」


「うん、そうだね……浩介くんは、そうするべきだよ」


「でも……雪奈と離れたくない」


「私だってそうだよ!……でも、仕方ないじゃない……私なら大丈夫だよ。心配しないで」


 目を真っ赤にしてうつ向いた雪奈の顔を見て、俺は言葉を続けるのを躊躇した。

 

 でも俺たちは前に進まないといけないんだ。

 だからはっきり言わないとな。

 俺の気持ちを……。

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