No.54:一緒に行ければいいのにな……


「お疲れさま! 頑張ったね」


 雪奈は俺とハグをしながら、そう声をかけてくれた。

 その日の夜、雪奈の家で俺の労をねぎらってくれるとのことで、夕食に招待された。

 夕食までにまだ時間があったので、雪奈の部屋で休憩させてもらっている。


「ああ、本当に疲れたよ」


「でも手応えはあるんでしょ?」


「ああ、まあな。悪くないはずだ。あとは結果だ」


「浩介くんなら、大丈夫だよ」


 大丈夫……何が大丈夫なんだろうか。

 もし留学の方が受かってたら……俺はどうすればいい?

 俺はその答えを考えることが、とても怖かった。


「浩介君、なにかためらってるでしょ?」


「……そりゃ、ためらいもするだろ」


「ふふっ、まあそうだよね」


 俺の腕の中で、雪奈はそう笑った。


「浩介君自身、よく考えてね。私は浩介くんがどんな選択をしても、喜んで受け入れるから」


「雪奈……」


「だから約束してくれる?」


 雪奈は俺から体を少し離す。

 そして俺の顔を見上げた。


「『私のために』ということは、絶対考えないでほしい。自分がどうしたいのか。そのことだけを考えて。そうじゃないと、私は多分……自分を許せなくなると思うんだ。だから私のためにも、そうして」


 そう言うと、少し寂しそうな笑顔を浮かべた。

 オヤジが言った通りになったな……俺は苦笑した。


「ああ。ていうか、問題は俺の方にもあるんだ」


「問題って?」


「俺のほうが、多分雪奈のいない生活に耐えられない」


「浩介君……」


「そんな世界、想像できるか?」


「できないよ! できないけど……」


 雪奈は半泣きだ。


「それでも……それでも浩介君は、将来もっとたくさんの人たちを救えるようになるんだよ? 私だけじゃなくって、もっと大勢の人たちを」


「目の前のたった一人を悲しませてまで、俺は多くの人たちを救いたいと思わないぞ」


「もう……そういうのを屁理屈っていうんだよ」


 雪奈はもう一度、俺に抱きついてきた。


「一緒にアメリカに行ければいいのにな」


「そうだね。それで一緒に生活してさ」


「ああ」


「私も料理を作ってあげられるし」


「それは魅力的だ」


「私だって、英語の勉強もできるよね?」


「勉強どころが、向こうの大学だって夢じゃないぞ」


「アメリカの大学? それはかなり難しそうだなぁ」


 俺たちは抱き合いながら、そんな絵空事を話していた。

 こんな現実逃避でもしなければ、俺も雪奈も平静を保つことができなかった。

 俺は雪奈にキスをして抱きしめる。

 2人の間の隙間を埋めるように。


        ◆◆◆


 3月に入っても、俺の中の結論が出ないままだった。

 俺は一体、どうすればいいのか。


 状況は変わらなかった。

 ハーバード留学は、俺のこれからの人生にとって最高の機会を与えてくれるだろう。

 費用面も含めて、これ以上の厚遇はない。


 一方で8年も雪奈と離れることは、俺の中ではとても受け入れられない。

 俺はこの2年間を振り返ってみる。

 

 俺は慎吾を除いて、仲間と言える存在がいなかった。

 それが雪奈と出会い、雪奈が俺の心の中に入り込んできた。

 葵にひなになっちゃん……仲間も増えた。

 そして雪奈は今、俺のかけがえのない恋人。

 そんな雪奈を日本に置いて、8年もアメリカで過ごすなんて俺にとっては地獄だ。


 それに雪奈だって……。

 大丈夫だとは言ってるが、辛いに決まってる。

 8年も離れたら、いろんなところに綻びが出てくるかもしれない。

 あれだけ可愛いんだ。

 いろんな男からアプローチも受けるだろう。

 そんな状況を、看過できるわけがない。


 やはり日本に残るか?

 待遇面は別にして、東帝大学は日本の最高学府だ。

 医学の道を学ぶのに、不足はないだろう。

 なにより、雪奈と一緒にいられるんだぞ。


 ただ……その場合、俺は人生最大のチャンスを棒にふることになる。

 大山俊介から譲り受けた才能を活かすためには、どちらを選択するべきか。

 そんなことは、最初から明らかだった。


「はぁー……」


 俺はリビングで、食後のお茶を飲みながらため息をつく。

 テーブルを挟んで向かい側のオヤジもビールを飲みながら、なにやら考えているようだった。


「オヤジも考え事かよ?」


「ん? ああ。なんか絶対に大事な事を忘れている気がするんだよ」


「オムライスじゃないのか?」


「オムライスは、週末にひめさんと行ってきた。喜んでたよ」


「仲のいいことだな……」


 俺はやさぐれる。


「浩介はやっぱり結論がでないのかい?」


「ああ。考えれば考えるほど、堂々巡りだ」


「そりゃまあそうだろうねぇ。いっそどっちかの試験が落ちてくれるとスッキリするかもしれないね」


「本当にそうかもしれない」


「東大落ちて、バーバードが受かったら?」


「……多分その線はないな」


「おー、大した自信だね」


 そんなくだらない会話が、今の俺には必要だったようだ。

 たとえ問題解決には、なんの役にもたたないとしても……。

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