No.38:人的担保
「社長のおっしゃる通りです。なので……とりあえず佐竹製薬に15億円の融資という形を取っていただけませんか?」
俺は心中の焦りを抑えてそういった。
「佐竹製薬は現在プロイトフェンの権利販売を国内の製薬会社に打診しています。数週間以内には30億前後で買い手が見つかるのは確実です。貸し倒れのリスクは、ほぼゼロと言っていいでしょう」
「いやいや、融資はあかんで。貸した金をすぐに返してもろて、わずかな金利をもらってもメリットがない。やるならワシは佐竹製薬の株式を取得したいんや。経営に参画する意味でもな」
「はい。ですので……」
これがこのディールの肝だ。
「その15億円の融資契約書に、デット・エクイティ・スワップ、DESの特約を記載します。それでいかがでしょう」
全員無言になった。
おそらく健一さんと雅さんは意味を理解していない。
5秒程度の沈黙の後、
「ほおぉぉぉー」
と竜泉寺社長が声を漏らした。
デット・エクイティ・スワップ、DESとは借入金を資本金に組み替えることだ。
今回のスキーム当てはめると、こうなる。
まず月末に竜泉寺社長から佐竹製薬に15億円の融資を実行する。
その後竜泉寺社長は、相応の時間をかけて佐竹製薬の企業調査を行う。
そして佐竹製薬が投資に値すると判断した場合、『融資金』を『出資金』に組み替えることができる。
つまり竜泉寺社長が、佐竹製薬の株主になるということだ。
もし投資に値しない、と判断された場合。
今打診している国内の製薬会社に販売したプロイトフェンの権利代金30億円の中から15億円、利息とともに竜泉寺社長に返済される。
いずれにしても、竜泉寺社長の取るリスクは極めて低いと言っていい。
「お前さん、ようこんなえげつないやり方、思いついたなぁ。そもそもDESなんちゅうのは、中小零細企業がオーナーからの借入金が膨らみまくったとき、見た目を良くするだけの小手先の手法や。本来こんな使い方をするもんやない」
「ええ、その通りです。でも佐竹製薬は明後日15億円が必要。社長は投資するために相応の時間が必要。この両方を満たすためには、これしか思いつきませんでした」
俺は本音を漏らす。
「社長が佐竹製薬に出資したと仮定して、発行株式数や純資産額、マーケット環境から株式公開となった時の推定株価を俺なりに計算してみました。おそらく出資額の3倍、マーケット環境が良ければ5倍以上のキャピタルゲインが見込めるはずです」
3倍としても、15億円が2-3年後には45億円。
これは、美味しいディールだ。
竜泉寺社長は、長いため息をひとつ吐いた。
「なるほどなぁ……ようわかった。ただな、一つだけ気に食わんことがあるわ」
「……なんでしょうか」
「そのプロイトフェン、やったか? ほんまに30億円で買い手がつくんか?」
「あ、はい。それは以前日本の製薬会社数社から、既にオファーを受けていました。桜庭部長の話では、買い手はすぐに見つかると」
「天変地異が起こってもか? 起こらんとも限らへんやろ?」
天変地異って……ほとんど言いがかりじゃないか。
「プロイトフェンは30億で売れなかった、佐竹製薬は投資するに値しなかった。もしそうなったら、お前さんどうしてくれるんや?」
「……」
何が言いたいんだ?
「その時のための、人的担保をもらおうか」
「人的担保……とは?」
「もしプロイトフェンは30億で売れへんかったら、お前さん、ワシの娘と結婚せい」
「はぁ?」
とんでもない事を言い出したぞ。
「ちょっと父さん」
「ちょっと、浩介君には恋人がいるのよ」
健一さんと雅さんが、止めに入ってくれた。
「恋人いうても、所詮は高校生や。子供の遊びみたいなもんやろ。どうや、大山くん。その場合、ワシの娘と結婚できるか?」
この人、本気で言ってるのか?
「娘さんっていうのは……葵……さんのことですかね?」
「葵? ああ、葵なぁ……あいつは面倒くさいからアカンわ。雅はどうや? 年かてそんなに離れてないやろ? 姉さん女房もええもんやで」
「……ご本人がいる前で……それに雅さんのご意見も」
「うちは、いいわよ」
まさかの即答だった。
「雅さん! なに言ってんすか!」
「日本一の天才少年でしょ? そりゃあその辺の男たちより、ずっと優良物件だわ。どう? 浩介君」
……雅さん、ここで寝返るのかよ。
「本人もこう言うてるで。お前さん、どないする?」
まったく……俺はなにを試されてるんだ?
「プロイトフェンが30億で売れればいいんですね」
「そうや」
「俺が受ければ、この融資のスキーム、受けていただけますか?」
「ああ。約束する」
乗るしかない。
達也さん……頼みますよ。
「わかりました。その条件、受けましょう」
一瞬の沈黙の後、竜泉寺社長は破顔した。
「ハーッハッハッ。お前さん、よう言うた。その覚悟、見せてもろたで」
隣で雅さんもクスクス笑っている。
「ワシが気に入らんかったのは、お前さんの当事者意識や」
「当事者意識?」
「そうや。この一連のディールで、佐竹製薬が破産しようがワシの15億が消えようが、お前さんは少しも痛みはせんよな?」
「……物理的には、そうかもしれませんね」
「ワシはそれが気に入らんかったんや。ほんまに自分の事として、佐竹製薬やワシのことを考えてくれとるか、その覚悟があるのかを知りたかったんや」
「……試したんですか?」
「まあまあ、そんな怖い顔すんなや。お前さんの覚悟、きちんと受け取ったで」
「うちはわかったけどね。お父さんが試しているの」
「雅さん……」
だからあんなに平然としてたんだな。
「でも浩介君が未来の旦那さん、ていうのもアリかなと思ったわよ」
「勘弁して下さい……」
まったく……。
俺も言われっぱなしという訳にもいかないな。
「竜泉寺社長。さっき俺が当事者意識が低いのではと言われていましたが、それは全く違いますよ」
「ん?」
「佐竹製薬の桜庭部長は、俺の……大事な人のお父さんなんです。その人を路頭に迷わせたくない。大事な人の家族の笑顔を守りたい。その一心で俺は今ここにいます」
俺はモニターの向こうの竜泉寺社長に、強い視線を送った。
「俺は……誰よりも当事者意識は強いつもりです。まあ実際に資金は出せませんが……」
「いやいや、そうやったな。忘れとったわ。そもそも君がアプローチしたのかて、それがあったからやったな。いやあ、試すような真似をしてスマンかった」
「いえ、俺も勉強になりました」
いろいろとな。
人を試すときは、こうやるんだ、とか。
「佐竹製薬には取締役会の議事録を作ってもらってます。明日にでも佐竹社長か桜庭部長が、契約書をもってそちらへ伺います。実印と印鑑証明書をご用意頂けますか?」
佐竹製薬の方は非上場のオーナー企業なので、取締役会もオーナー一族に集まってもらうだけだ。
「仕事が早いなぁ。わかった、金も用意しとくわ。そしたら明日、待ってるで」
「はい、よろしくお願いします」
健一さんと雅さんにもお礼を言い、Web会議を終了した。
俺は椅子の背もたれに、ぐったりと体を預けた。
疲労感がハンパなかった。
なぜか吉松屋の牛丼が無性に食べたくなった。
玉子付きで。
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