No.36:申し上げにくいんですけど……


「大山です。夜分にすいません」


 俺はいてもたってもいられず、夜10時過ぎだというのに電話をした。


「いや、いいんだ。大山くん、何か分かったのかい?」


 達也さんは不機嫌な様子を一切見せず、そう言ってくれた。


「北京総合新薬のWeb会議用PCを通して、王社長と蒋部長の会話を聞くことができました。録画したファイルはGドライブにアップロードしてあります。先程リンクをメールでお送りしたので、明日の朝にでも通訳担当の社員の方と一緒にご覧になって下さい」


 俺は一気に吐き出した。

 達也さんは小さくため息をついた。


「そうかい……スパイ行為のようであまり気が進まなかったんだけどね。で、何か分かったかい?」


「ええ。達也さん、申し上げにくいんですけど……」


 でも言わなきゃいけない。



「このプロジェクトは、最初から仕組まれた詐欺取引です」


「なんだって!?」



 達也さんの声が大きくなった。


「達也さん、そちらに今回のプロジェクトの契約書のドラフトってありますか?」


「いや、今手元にはないけど……でも内容は大体覚えているよ」


「その契約書の中に、『中国薬品監督基準局が定める禁止成分が含まれる場合は、この契約自体無効となる』とかなんとか、そんな条項ってありませんか?」


「ああ、もちろんあるよ。中国当局が禁止している成分を使って生産するなんてことはできないからね。でもその点はちゃんと事前に調査済みだよ」


「それです」


「? どういう事だい?」


「北京総合新薬は佐竹製薬から製造方法の詳細を受け取った後、原材料の一部を禁止成分として中国薬品監督基準局にバックデートで登録してもらうつもりなんです。多額の賄賂を渡して、秘密裏に……です」


 達也さんから言葉が出てこない。

 俺はさらに続ける。


「その後北京総合新薬は、佐竹製薬のレシピ通りにプロイトフェンを製造していく予定です。ただしその禁止成分が使われていることを隠蔽した状態で、です。そしてほとぼりが冷めたころ、シレッと禁止成分を解除するつもりらしいですよ」


「そ、そんな……じゃあ、契約はどうなるんだ?」

 達也さんの焦った声が、やっと聞こえた。


「北京総合新薬は今月末の15億円は一旦支払うつもりでいると思います。ですが製造方法を受け取ってからすぐに禁止成分の異議申し立てをするつもりでいます。つまり残りの60億円は、最初っから払う気がなかったんですよ」


 再び達也さんの声が聞こえなくなった。


「それに最初に支払う予定の15億円についても、先方は返還請求の裁判を起こすつもりでいます。達也さん、契約書に裁判となった場合の係争地って、中国国内の裁判所になっていませんか?」


「……ああ、なってる。北京の裁判所だ」


「……まず勝ち目はないでしょうね」


 2人とも言葉が出なかった。

 10秒ほど沈黙が続いた。


 おそらくその15億円については、向こうも「返ってきたら儲けもの」ぐらいの感覚かもしれない。

 それでもたったの15億円でプロイトフェンを製造技術が手に入り、しかも売り上げに対するマージンも支払わなくて済む。

 これだけでも大バーゲンだ。


「つまり最初から中国のお役所と北京総合新薬がグルになって、佐竹製薬の技術を盗み出すつもりだった、ということです」


 5秒ほどの沈黙の後、達也さんはため息をついた。


「……倒産だ」

 達也さんが掠れるよう声でそういった。


「31日に、12億円の支払をしないといけない」


「それを遅らせるわけには、行かないんですか?」


「無理なんだ。もうすでに2回も遅らせてもらってる。これ以上は無理だよ」


「国内の製薬会社でプロイトフェンに興味を持った会社がありましたよね? その会社に肩代わってもらったりとか、できないんですか?」


「時間があれば可能だよ。でも契約の細部を詰めるには相応の時間が必要なんだ。『とりあえず月末に12億払って下さい』といって、応じてくれる会社はどこにもないよ……完全に詰んだ」


 倒産……


 俺は大池官房長官の顔が思い浮かんだ。

 クソババアが片方の口角を上げ、ほくそ笑んでいる。


 このままじゃあのババアの思うツボじゃないか。

 達也さんがリストラにあうかもしれない。

 失職するかもしれない。


 雪奈はどうなる?

 なっちゃんは?

 美咲さんは?

 皆の、あの輝くような笑顔が失われるのか?



 そんなこと、ぜってーさせねぇ!



「達也さん、わがままついでに、俺がこれから言うものを用意してもらえませんか?」

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