No.30:無理ゲー


「はぁぁぁーーー」


 俺は黒塗りセダンの後部シートで、盛大なため息を吐いた。

 佐竹製薬のこと。

 プロイトフェン製造に関する契約のこと。

 そして……雪奈のお父さんのこと。


 ただでさえ、情報量が多すぎる。

 頭の中がパンパンだ。


 そこへ来て、ダメ押しにコレか?


 車の中で、俺はファイルケースの中に入っていた一枚の紙を見てそう思わざるを得なかった。


 佐竹製薬の資金繰り表。

 今月末の会社の資金の出入りが管理されている帳簿だ。

 3月31日に、12億円の支払いがある。

 蚕を育てるための研究施設の建設資金の支払いと、その他一般経費だ。


 この12億円の支払いのため、北京総合新薬からの15億円の入金をあてにしている。

 つまり……北京総合新薬との契約が締結されなければ、この12億円の支払いができない。

 すると、どうなるか。


 支払いの大半は先日付小切手で既に渡されている。

 31日に銀行に残高がなければ、不渡りを出す。

 今後の資金手配の見込みがなければ、事実上の倒産だ。


「……倒産?」


 ちょっと待て。

 もしかして、官房長官は倒産してもいいと考えているのか?


 仮に佐竹製薬が倒産したとする。

 しかしそれだけの技術力のある会社だ。

 そのノウハウを欲しい会社はいくらでもあるだろう。


 倒産後、民事再生法を適用して会社更生を図ることは難しくない。

 新たなスポンサーもつくだろうし、金融機関も借金の棒引きに応じるだろう。

 財務体質は改善され会社は再生し、技術は第三国に流出しない。


 これが官房長官のシナリオなのか?


 でもその場合、旧経営陣はどうなる?

 通常のケースでは、旧会社役員は更迭されるケースがほとんどだ。

 実務管理者も、良くてリストラ、ひょっとしたら解雇もあり得る。


「リストラ……」


 俺は自分のオヤジの顔が浮かんだ。

 オヤジはリストラにあってから、母さんとの不和が生じ始めた。

 そして母さんは男をつくって家を出ていった。

 幸せとは程遠い時間だった。


 雪奈のお父さん、達也さんがリストラに?

 それはダメだ。

 解雇なんて、もってのほかだ。

 なっちゃんも聖クラークに入学する。

 娘2人の私学の学費だって、相当な負担なはずだ。


「これ、完全に詰んだヤツだろ……」


 どっちかを立てれば、どっちかが立たなくなる。

 こんな無理ゲー、一介の高校生にぶん投げんじゃねぇ!


「あんのクソババァーー!」


「大山さん、どうしました?」


 助手席に座っている谷口さんが、頭を後ろに向けて話しかけてきた。

 とりあえず俺は気になっていたことを聞いてみた。


「谷口さん、官房長官のスカートのファスナー全開だったんですけど、言ってあげればよかったんじゃないですか?」


「……」


「気づいてましたよね?」


「黙秘します」


 ……この人も大概だな。

 自分のボスで遊んでるぞ。


「それにしても、あの大池官房長官、とんだタヌキババアですね」


「タヌキババアですかぁー」

 ハッハッハッと谷口さんは大笑いする。


「一国の官房長官をタヌキババア呼ばわりする高校生も、大概ですよ。大山さん」


 谷口さんは、まだ笑っている。


「政治家は例外なく、全員タヌキですよ。それでも……大池先生は、この国の行く末を誰よりも憂いている政治家の一人です。自分は一介のSPですが、大池先生のためだったら命を張れますね」


 まったく……まああの官房長官のSPとか、これぐらいドMじゃないと務まらないだろうな。


 そんなことを考えていると、俺のスマホが振動した。

 Limeのメッセージだ。



 雪奈:チキン南蛮をたくさん作ったの。夕方持って行っていいかな?



 有難いことに、食料配給の申し出だ。


「谷口さん、何時ぐらいに着きそうですか?」


「おそらく4時半ぐらいだと思います」


 俺はメッセージを返す。



 浩介:俺も外出中だ。駅に4時45分待ち合わせでどうだ?


 雪奈:うん、わかった。じゃあまた後でね。



 時間があったら、雪奈とオヤジと3人で食事をしてもいいしな。

 俺もみそ汁の作り方ぐらい、雪奈に教えてもらおう。


 そのあと俺は、谷口さんとLimeの交換をした。


「もし大池先生と連絡を取りたい場合は、自分にご連絡下さい。アレンジしますから」


 谷口さんはそう言ってくれた。

 そんな機会が、やってこないことを望むが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る