第13話 俺達ってどう見える?
「げ、源次郎その人はもしかして……」
美智雄が酸欠の金魚のように口をパクパクさせながら霧名ちゃんの顔を穴が開くほど見つめる。会話の中にいきなり女が飛び込んできて、しかも先刻前まで話していた相手に飛びつけばそんな顔にもなるだろう。渡辺先輩も似たようなものであった。
一方の霧名ちゃんはというと引きつった笑顔を浮かべたまま固まっていた。同じ学校の人間に俺と馴れ馴れしくしている瞬間を目撃されるというのはもっとも危惧していた事案だったはず。それが起こってしまい、対処しあぐねているのだろう。というかあのテンションからして完全にそのリスクを忘れていたに違いない。
かくいう俺もこの事態をどう収集すれば良いのか考えあぐねていた。両親の離婚は他人に口外した記憶は無いため単に姉と紹介することは容易い。だが名前はどうする? 『霧名』なんて特徴的な名前、下手をすれば明後日の月曜日には勘付かれる。口先八丁で誤魔化すほかないが、生憎と俺はそこまで弁が立たない。
「ねぇ、自己紹介してあげなよ」
不自然な沈黙に耐えかねた俺はやむを得ず、霧名ちゃんにそう促した。当の本人はようやく気を取り直したようで曖昧な返事を発して口火を切った。
「えっと……源次郎の
最後にペコリとお辞儀をしてどうにかやり過ごす。従姉とはうまい手だと感心したが、名前がよりによって『霰』とは。
「あ……従姉さんなんですね! そう言われるとなんだか似てらっしゃいますね!」
と緊張した様子のにやけずらで言葉を返す渡辺先輩。『似ている』との感想に俺は内心冷や汗をかいたし、霧名ちゃんの手に籠る力が微かに強まる。姉弟揃ってピンチに震えているのだ。今すぐこの先輩に「黙ってろどチビ!」と罵声を浴びせたい。
「そうすか? 霰さん、すごくお綺麗ですから似ても似つかないですよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。佐伯くん……だったかしら?」
「はい、佐伯美智雄です」
相変わらずの優男ぶりでそう世辞を述べる美智雄に俺は心中でサムズアップして礼を送った。しかし今日の霧名ちゃんが大変身しているとはいえ、似てないというのはそれはそれで悲しい。
「それに二人とも背が高くてスタイルが良いからお似合いだと思います」
「ちょ、美智夫!? 何言い出すんだよ!」
「ははは、照れることないだろ!」
俺は今度こそ堪らず目をひん剥いて声を上げてしまった。心拍数が一気に上昇している。
佐伯美智雄は気の良い性格だが普段はこんな風に色恋沙汰に関わるようなことを言う男ではない。どちらかといえば恋愛には奥手で、俺と同じく女子と話すのが苦手な性分。もちろん童貞だ。
その美智雄がなぜ今日に限ってそんな歯の浮くようなセリフを口にするのか、全く理解出来ない。俺が退部してからの四ヶ月でこの男に何があったと言うのだ?
「あらまぁ、お上手。でも私達別にそういう関係じゃありませんよ?」
傍の霧名ちゃんは美智雄の世辞を上手に受け取りつつやんわりと否定した。
「源次郎とは昔から仲が良いですけど、姉弟同然の間柄ですから。歳も離れてますし」
「それは失礼しました。ちなみにおいくつですか?」
「まぁ、歳上の女に年齢は聞くものじゃありませんよ?」
「あ……す、すみません」
霧名ちゃんに綺麗にいなされ、美智雄は赤面してペコペコと頭を下げた。ようやくいつもの美智雄らしくなってきたと思うのと同時に、さっきのは彼なりに頑張って気を利かせただけだと納得した。
「まぁ、歳に関しては……大学は出ている、と言っておきますね」
にこりと愛嬌のある笑みを浮かべて霧名ちゃんは最後に締め括る。美智雄も渡辺先輩も顔を赤くして背筋をピンと伸ばした。俺も含め、この場にいる男ども全員が恋に落ちてしまうのではというような美しく笑顔である。多分この人、今すごく機嫌が良いな。
「それじゃあ、私達まだ用事があるので失礼しますね。源次郎、行きましょう」
「そ、そうだな。じゃあな美智雄、また学校で。渡辺先輩もお気をつけて」
簡単に別れを告げと美智雄は赤面したままであるが気丈に返す。他方渡辺先輩はぽやんと心ここに在らずな様子で手を軽く振るのであった。
そうして二人の前を辞し、俺達姉弟はそそくさとエスカレーターの方角へ逃げるのである。
*
眼鏡を受け取った後、霧名ちゃんの希望でお茶をすることになった。同じ建物内の店のため、バスケ部の連中に見つかるのではと危惧したが、向かった店がフェミニンなカフェで男だけでは入りづらい雰囲気に満たされていたため胸を撫で下ろした。
「それで、どうして母さんの名前なんか名乗ったのさ」
俺は注文したアールグレイの香りを嗅ぎながら呆れ気味に霧名ちゃんに尋ねた。ほのかな柑橘系の香りはあの二人との遭遇の緊張感を和らげてくれた。
「仕方ないでしょ。他にそれらしい名前が浮かばなかったんだもの」
正面の席に着く霧名ちゃんは言い訳し、ローズヒップティーを一口飲み、小さくため息をついて安堵感を露わにした。
今しがたあの二人に霧名ちゃんは『和泉霰』と名乗ったが、それは俺達の産みの母の名だ。もちろん和泉は結婚していた当時の姓なので、今は『石動霰』になっているはずだ。
「あらやだ、鳥肌。お母さんの名前なんて名乗るものじゃないわね、
チャコールグレーのトップスの袖が
「母さん、今日は仕事?」
「えぇ、そうよ。どうして?」
「いや、どうしてるかなって思ってさ」
紅茶を一口啜り、俺もため息をついた。
俺達の母は税理士だ。四月中下旬のこの頃はまだ繁忙期のため、春は「忙しい」が口癖の人だった。
カップから視線を上げて姉の顔を盗み見る。整った目鼻立ちとシャープな顎のラインには当然と言うべきか母の面影がある。唯一異なるのは切長な吊り目である。これは父親譲りで、母はもっと柔らかい目元をしていた。
「何よ?」
観察する俺と姉の目が合う。何か訝っているようで不機嫌さが見て取れた。こんな姉に正直に「母さんに似てる」などと口走れば何を言われるか分からない。
「さっき美智雄からお似合いって言われたなぁと思い出して」
「あはは、そういえばそんなこと言われたわね」
霧名ちゃんは美智雄との会話を思い出して顔を明るくさせた。不機嫌から上機嫌に一転、賑やかな人だ。
「私達って恋人同士に見えるのかしら? そういえば誰かさんも『俺達きっとお似合いです』って言ってくれたわね」
「そんな話、もう忘れた」
「忘れるな! 私、あれ結構嬉しかったのよ?」
ぷくっと頬を膨らませ、目を細めて睨まれる。鋭い視線よりも『嬉しい』という気持ちを素直に伝えられたことに俺は驚き、顔が少し熱くなるのを感じた。
「それとも私と恋人に見られるの、嫌?」
上目遣いで、少し悲しそうな顔から放たれる問いかけ。
霧名ちゃんと恋人同士。もちろん姉弟だからあり得ないことだが、それにしても満更でもない自分がいる。
「い、嫌なわけないだろ。むしろ嬉しいくらい……かな」
言葉の裏には姉を悲しませてしまったかとの罪悪感と本心を知ってほしいとの願いがあった。
目を見張るほどの美貌の姉と釣り合っていると言われるのは決して悪い気はしない。もっとも今の姉は一回りは歳上に見えるため流石にお似合いは言い過ぎな気がするも、それでも自分の容姿に関して自信を持てる。
それに何より、和泉霧名はかつての俺の憧れの人なのだから。
「ふふ、お姉ちゃんっ子なんだから」
「えぇ……言わせておいてそりゃないよ」
「あら、言わせただなんて人聞きの悪い。それとも今のはただのお世辞?」
「そんなことない……かな」
「ほら、やっぱりお姉ちゃんっ子じゃない」
揶揄いながらも浮かべる心底嬉しそうな微笑みが眩しかった。お姉ちゃんっ子呼ばわりされたことは腑に落ちないが、その笑顔が見られたのでよしとし、俺はそれ以上の抗議はしないでおいた。
「源次郎、ありがとうね」
「何が?」
唐突に例を言われるも俺の頭には疑問符しか浮かばない。今日は俺からお願いして眼鏡選びに付き合ってもらった上、洋服まで買ってもらった。礼を言うのはこちら方なのに。
「ふふ、なんだろうね」
霧名ちゃんは愉快そうな口調ではぐらかし、一層相形を崩したのだった。
随分不思議なところで笑うのだなと可笑しく思え、俺もまた口元に笑みを浮かべてしまった。
家族と過ごすなんでもない休日。俺は久々に本心からの笑顔を浮かべた一日であった。
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