第12話 ハプニングは突然やって来る

 その後JINSの店員さんに選んだフレームと眼科で出してもらった処方箋を渡し、眼鏡を購入した。幸いレンズの在庫があるため一時間ほどで受け取り可能とのことで、俺達はその間別のフロアで時間を潰すことになった。


 行き先は霧名ちゃんの希望で洋服屋。ただし実際に赴いたのはメンズショップである。


 今、試着室の個室にて俺は商品のシャツに袖を通し、姿見で格好をチェックする。一息付き、カーテンを開けて外で待つ姉に出来栄えを見せてやる。霧名ちゃんは頭から爪先までをじっくり検分し、いたく納得したご様子でうんうんと頷いた。


「うん、良いじゃない。爽やかさんになってる。はい、次はこっちね」


 と足元の商品カゴから別なシャツを取り出し、俺に差し向ける。霧名ちゃんの足元には商品カゴが二つある。片方は試着前、もう一方は試着済み。試着済みのカゴはすでにぎっしり服が詰め込まれているが消化分はトータルの三分の二程度で、未試着はまだまだたんまり残っている。


「霧名ちゃん、もう疲れた」


 さっきから服を着たり脱いだりを繰り返したお陰で腕と肩の筋肉が張っている気がする。洋服を着ることがこんなに重労働だなんて知りもしなかった。


「こら、情けないこと言わないの。せっかくお姉ちゃんが見繕ってあげてるんだから我慢なさい」


「別に頼んでないし」


「何か言った?(ギロリ)」


「言ってません!」


「はい、じゃあこっちを着ましょうね! きっと格好良いから」


「とほほ……」


 押し切られ、俺は次の服を受け取って大人しくカーテンを閉じた。

 昔、姉が自分の洋服を俺にあれこれ着せ、着せ替え人形にされてもてあそばれた記憶が俄かにフラッシュバックする。その際も疲れたと言っては我慢しろと叱られ、着るのを拒否すればぶたれ、結局従わざるを得なかった。


 今ここで「付き合っていられない」と逃げ出すことは容易い。彼女は俺の親ではないから関係性を盾に拘束することは出来ないし、力づくでというのも無理だろう。向こうもいい歳こいて弟に手を上げることはしないはずだ。


 しかしそうと分かっていても俺は無抵抗を貫いた。理由は俺にも分からない。それはある種、水が高いところから低いところに流れることがことわりであるようなもので、両者の間には覆し難い力学が働いているのである。簡単に言えば『摂理』である。


「はい、着ましたよー」


 次なる服を着て、もはやセルフチェックも面倒になった俺は鏡を見ることなくカーテンを開いた。試着したのは白ベースにダークグレーの袖をしたラグランTシャツだ。持っていないタイプのアイテムなので正直似合っているか心配ではある。


「なるほどー、こんな感じか……」


 口元に手を当て、ふむふむと仕上がりを霧名ちゃんは検める。その反応は良いのか悪いのか外見では分からない。そして真意を告げる前に霧名ちゃんは未試着のカゴから次の服を取って差し出す。


「上からこれを羽織って」


 ネイビーのテーラードジャケット。受け取り、カーテンは閉めずに言われたままに袖を通した。


「うん、良い感じね。サイズはどう?」


「ジャストサイズ。腕とか動かしてもキツくない」


「下のラグランと合わせてもそんなに変じゃないわね」


「でも、折角下がオシャレなのにジャケットで隠したら意味なくない?」


「外歩きの時は羽織ってても、お茶する時は脱ぐでしょうから無問題モーマンタイよ」


 そこまで考えているのかと感心のため息をつく。

 今日の霧名ちゃんのコーデを見てとっくに勘づいていたが、彼女はかなりおしゃれ感度が高そうだ。来ている服は派手さこそないものの霧名ちゃんのすらっとした長身を引き立たせており、自分に似合う服を心得ていると見て取れる。俺は服飾の知識は疎いからその分彼女の思慮深さには頭が上がらない思いであった。


「うん、決めた。これを買うわよ」


「えっ、買うの!?」


 ギョッとして姉の顔を穴が開くほど見つめる。今日の軍資金はお義母さんからもらっているが、生憎と眼科の診察料と眼鏡代のみでお釣りは返すよう釘を刺されている。自分の小遣いはといえば二着も買うには心許ない。


「大丈夫、今日は私持ち。今日は源次郎の服を買うって決めてたから」


「何、その決心!?」


 鼻息を立てて決意表明する霧名ちゃんは一応の値段確認のため、着ている服の値札を確認する。「よしよし」と安堵の声が聞かれ、決意は一層固まったご様子だ。


「き、霧名ちゃん……。買ってもらうのは流石に申し訳ないよ」


 一方の俺としては、ご好意は嬉しいけどなぜそこまでしてくれるのか理解出来ず戸惑いを隠せない。


「申し訳ないことないでしょ。身内同士なんだから遠慮しない。遅めの誕生日プレゼントと思って受け取る」


 俺の意を介さず「さぁ服を脱げ」と霧名ちゃんは急かす。確かに身内同士の贈り物と思えば遠慮も薄れるがいまいち釈然としない。その思いは見透かされたのか、姉は眉間に少し皺を寄せた微笑みを浮かべてこう言った。ちなみに俺の誕生日は二月である。


「これは私が着せたくて買うの。弟が格好良い服着てたら姉の私も格好良いでしょ?」


「はぁ」


 分かるような分からないような。だが『格好良い』と担がれると満更でもない氏、殊更ことさら『姉弟』の部分を強調されると断るのは気が引けるのである。姉がそうしたいというのならここは素直に好意を受け取って上げよう。


「一つ貸しね」


「プレゼントでは!?」


「服はプレゼントだけどコーディネートは別料金よ」


「悪徳商法だ!」


 見事にめられた。俺は悔しさを噛み締めつつカーテンを閉めてすごすご撤退し、改めて姿見で今の服装をチェックする。釈然としないものの、おしゃれ感度高めな姉のコーディネートとだけあって我ながら似合っていると認めざるを得ない。仕方なし、今回は借りということにしよう。


 私服に着替え、それを試着室の前で待機していた霧名ちゃんに渡す。すると俺に用済みになったカゴの服を戻すよう言いつけ、そそくさとレジに向かってしまった。俺は風のように去っていった姉の背中に、次に服の山を孕むカゴに唖然とし立ち尽くした。


 これを今から一人で片付けるのか……。


 考えるだけで頭が痛くなった。断腸の思いで俺は店員のお姉さんに服を戻すのをお願いした。お姉さんは引きつった笑顔で承諾するとカゴを引き取り、仕事に戻っていったのだった。本当にすみませんでした。


「あれ、源次郎か?」


 居た堪れず店内から通路に出た瞬間である。聞き馴染んだ男の声が俺を呼ぶのが耳に入り、その方向に目をやった。


「おぉ、美智雄みちお!」


 俺は思いがけぬ遭遇に弾んだ声で相手の名を呼んだ。自分でも相形が崩れるのが良くわかるくらい、会えて嬉しい相手である。


 一七〇センチくらいの身長と少し焼けた肌、スラッと細く見えるがその実アスリート体系の優男の名は佐伯さえき美智雄。同じ六本松高校の二年生で、大樹と比肩する俺の親友である。


「久しぶりだな、源次郎。買い物か?」


「あぁ、眼鏡買うついでに」


 久しぶり、と言われ急に寂しさのようなものが胸に充満した。美智雄とは高校以来の仲だが幼馴染かと思うくらい意気投合したが、年が明けてからは数えるほどしか話をしていないことに今気づいた。


「美智雄は一人?」


「いや、渡辺先輩いる」


「げ……今どこに?」


「ここにいるっての!!」


 と、辺りから俺の嫌いな声が響いた。よく見るとには俺達より頭ひとつ背の低い男子が立っていた。


「あ、先輩。いたんですね」


「お前、ほんと良い度胸してるよな」


 坊主頭の小男――三年生の渡辺直樹なおき先輩が額に青筋を浮かべて俺を睨みつける。しかし刑事の父に睨まれて育った俺は全く動じない。


「すみません、先輩。そういうつもりじゃありませんでした。美智雄の顔しか見てませんでした」


「そういうところが腹立つんだよ!」


 俺は慇懃いんぎんにお辞儀して先輩が機嫌を良くしてくれるようお詫びした。されど先輩はなおもご立腹である。面倒臭いから放っておこう。美智雄に視線を戻し、話を再開する。


「今日は部活だったの?」


「あぁ、中央体育館で他校と合同練習会。終わったから皆でカラオケ行って、それもお開きになって今は先輩とバッシュ見に来たところ」


「ふぅん。練習会、どうだった?」


「うちもそうだけど、他校の連中も気合入ってたよ。特に私立校のチームには特待生とかが入ってて今から大会に向けてやる気満々って感じ」


「……そっか」


 そういう美智雄の言葉からも熱い思いがひしひしと感じられた。アスリートにしては控え目でお人好しな性格だが、目には負けるものかと言わんばかりの闘志の炎が宿っているのだ。


 なんとなく、それが羨ましく、そこからさらに寂しさが噴き出してきた。

 俺もかつてはそこにいた。

 もしかすると、今美智雄の隣にいるのはそこのチビではなく俺だったかもしれない。


 あぁ……あの時あんなバカなことをしなければな……。


 羨望と寂寥はすぐに後悔に変わってしまった。今年に入ってからなるべく考えないよう努めていて、ようやく落ち着いたと思ったのだが美智雄こいつの顔を見た途端に傷が開いてしまった。


 その痛みを堪えるかのごとく、俺は口をつぐんだ。必然、三者の間に不自然な沈黙が漂った。


 そのまましばし立ち尽くしたが、やがて美智雄がいつもの爽やかな声でそれを破った。


「なぁ、源次郎。お前さえ良ければ――」


「あ、ここにいたか! 源次郎、会計済ませたわよ!」


 と、美智雄を遮るはご満悦な心持ちがよく分かる女の高い声。続いて俺の身体にドシンと鈍い衝撃が走る。店のハンガーラックの間から何かが飛び出し、身体の左半分にまとわりついた。温かくて柔らかい、そしてすごく良い匂いの物体は霧名ちゃんであった。


「さ、眼鏡受け取ったら適当にお茶して帰りましょうか」


 霧名ちゃんは美智雄と渡辺先輩の存在に気づかずウキウキした声でそう提案してきた。一方俺は霧名ちゃんの存在を完全に忘れていたため、状況を飲み込むことに手一杯であった。


「げ、源次郎……その女性は?」


 眼前には双眸を見開き、弱々しく霧名ちゃんを指差す美智雄。ここに来てようやく霧名ちゃんは二人の存在に気づいたらしい。身体を俺の身から離すもなぜか腕は掴んだまま、二人に向き直った。


「あれ、源次郎、こちらはお知り合い?」


 キョトンとした顔でそう問う同級生の姉。


「うん……六本松高校バスケ部の渡辺先輩と同学年の佐伯だよ……」


 訥々と俺が紹介すると、俺の腕を掴んでいた霧名ちゃんの手が痛いくらいギュッと握り込まれる。


 そう、最も恐れていた事態が起こってしまったのだ。

 

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