第11話 眼鏡買おう!

 あくる土曜日の午後、俺は霧名ちゃんと待ち合わせ場所へ出向いた。


 場所は西鉄天神駅の改札からエスカレーターを下ったところにあるソラリアステージ広場ビジョン――通称『大画面前』である。ここは福岡市民にとっては待ち合わせの定番スポットで、そこかしこに俺と同じくらいかやや年上の若者が所在なさげに立っており、スマホに目を落として待ち人を待っている。


「源次郎!」


 約束の時間の十分前、待っていた俺を呼ぶ女性の声。声の方向を見るとそこには薄く笑みを浮かべた……見知らぬ女性が立っていた。


 チャコールグレーをしたブロイラーレースのトップス。カーキのロングスカート。服装はあまりフェミニンさを押し出さず大人っぽい。艶めく黒髪は頭の後ろで柔らかくお団子に、また前髪は綺麗にヘアピンで分けられ、形の良いおでこを惜しげもなく晒していた。メイクもバッチリで垢抜けており、どこか世慣れした雰囲気があるから女子大生かOLさんであろう。


 あれ、おかしいな。霧名ちゃんに呼ばれた気がしたんだが……。


「ほれ、何ぼさっとしてるのよ」


「え……嘘……え……霧名ちゃん?」


 いやに耳馴染みのある声。


 俺は狐に摘まれたような気持ちで目の前の美人さんに向かって姉の名を呼んだ。呼ばれた姉はため息をつき、呆れ顔を作った。


「あなた、姉の顔忘れすぎ」


「いや分かんないよ!? どうしてそんなバッチリメイクで大人コーデなの? これから仕事にでも行くつもり?」


 恥ずかしさで顔がカァッと熱くなるのを感じながらツッコむ。目の前にいるのは十七歳男子高校生な俺の一歳年上の姉にも、まして机を並べて学ぶ同級生にも見えない。オフィスカジュアルを着込んで仕事に向かう二〇代半ばのOLといった方がしっくりくる。


「んなわけないでしょ、このアンポンタン。ほら、いつも通りの石動霧名で来て、あなたと一緒のところ学校の人に見られたら変な噂が立つかもでしょ?」


「噂?」


「鈍いわね。高校生同士で休日に出かけてたらデートって勘違いされるでしょ? 高校生なんてすぐそっちに話持って行きたがるから、面倒臭いったらありゃしない」


 霧名ちゃんはプリプリと不満を漏らしながらそう解説する。


「だからってそこまで気合い入れて……」


『綺麗にならなくても』と言いかけ口をつぐむ。先日この姉に愛の告白をしてしまった羞恥心という古傷が疼いた。幸い僕の小言は耳に届いていなかったらしい。その先を口走ってはまた揶揄われるに違いない。


 霧名ちゃんの変身はまさしく効果覿面で、久しく顔を合わせていなかったとはいえ身内の俺でさえ他人と間違えるくらいだ。しかし一方でその美貌は否応なく辺りの男性の目を惹きつけていた。待ち合わせ中の男どもがチラチラと視線を彼女に向けていることに俺は気づいた。


 身贔屓が多少あるかもしれないが、今の霧名ちゃんは周囲の女性と比べて一際輝いているように見える。もともと身長が高いおかげで目立つのに、その上メイクまでしているため読者モデルのようだ。これで男どもに「見せ物ではない」と威嚇する方が無体というもの。


「源次郎、どうしたの? 顔赤いわよ」


「なんでもないし」


 かくいう俺も姉の艶姿あですがたに見惚れる男どもの一人であった。だって霧名ちゃんってば唇にグロスを塗って色っぽいし、スカートのスリットから覗くふくらはぎがエッチなんだもん。


「そう? なら良いわ、行きましょうか」


 霧名ちゃんは微笑み、俺の背中をポンと叩き、悠々と歩き出した。背筋がピンと伸び、綺麗なうなじが見える後ろ姿も凛として美しく、うっかり見惚れて呆けていたが、慌てて追いかけ、横に並んだ。


「源次郎、今度はどうしたの? ニヤニヤしちゃって」


「いやぁ、こうして霧名ちゃんとお出かけする日が来るだなんて思いもしなかったから感慨深いなぁと」


「感慨深い、だなんて会話で使う人初めてよ」


 変なの、と茶化させるも、それさえも俺にとっては嬉しいことだ。


 家族と気安く買い物に行く。


 俺の心臓がバクバクと踊っているのはもう何年もご無沙汰なこのイベントに興奮しているために違いない。


 *


 天神のとある商業ビルにテナントとして入居しているJINSに赴き、早速似合いそうな眼鏡を見繕い始めた。


「それで、源次郎は何か希望とかイメージとかあるの?」


 ずらりと並んだフレームの展示に目を落としながら霧名ちゃんは問う。


「漠然と。今風でスタイリッシュで女子にモテそうで賢く見えそうなやつ」


「分かった。希望とか無いならお姉ちゃんが選んであげる」


 あれ、なぜだろう。注文が通ってないな。


「ねぇ、霧名ちゃん。俺、今風でスタイリッシュで女子に――」


「分かったからあんたはそこに立ってなさい」


 理不尽だ!

 霧名ちゃんは俺のことなどお構いなしに展示の品々を吟味し、その中から一つを選び、試着するよう促した。


「うーん、なんかイメージと違うなぁ」


 商品棚に設置された鏡の中の自分を見つめ、つい首を傾げてしまう。姉に差し出されたのは黒い太めのセルフレームで、確かに今時っぽい。形は丸っこい四角形(ウェリントンというらしい)であった。


「じゃあ、こっちは?」


 と別の品を差し出す。今度は楕円形(オーバル)で、レンズが先ほどのウェリントンに比べて幾分か小さいお陰か眼鏡があまり目立たない。顔の印象も少し柔らかくなった気がするが、やはり俺のイメージとは違う気がする。


「黒縁じゃなくてさ、フレームの無いのとかメタルフレームがいいんだけど。そっちの方が格好良いし、賢そうじゃない?」


「そうねぇ……。源次郎の顔ならそういうのも似合いそうだけどお勧めしないわ」


「なんでさ?」


 俺は商品棚から「これだ!」と思うリムレスフレームの見本をかけ、ドヤ顔で姉に見せる。だが霧名ちゃんは渋い顔をしている。


 そんなに不似合いだろうか?


 不安になって鏡で確認するも、特段不細工になったとは思えない。我ながら男前ではないかと気に入った。


「私達って顔の形が三角型な上に吊り目でしょ? だからあなたの好みだといかつさが際立っちゃうと思うのよね」


 霧名ちゃんは嘆息気味に持論を展開した。言われ、俺は再び鏡を見る。確かに霧名ちゃんがいうようにこの眼鏡だと目元のシャープさが引き立っている。眼鏡キャラで例えるとのび太というよりはテ○プリの手塚だ。……いや、あそこまで格好良くないけど、つまり冷徹さと強さを感じさせるということだ。


「分かった? 格好良いというのは認めるけど、それだと怖くて女の子からモテないわよ。でもそっちのオーバルだと印象がスッキリするし、目元も柔らかく見えて可愛い顔になるから女子ウケすると思うわ。ほら、私も同じ形の使ってるでしょ?」


 そう言って姉はハンドバッグから眼鏡ケースを取り出し、中から愛用の赤いフレームの眼鏡を取り出し、自らの顔に掛けて見せた。それは確かに楕円形のオーバルで、本人が言うように目元が柔らかくなって可愛らしい。


 そして彼女は俺の顔からリムフレームの見本を外し、再び先ほどのオーバルのフレームを手ずから掛けてきた。


「うん、可愛い。これにしなさい」


 度の入ってない見本のレンズの向こうで、霧名ちゃんがにっこり微笑んでいる。その笑顔はあまりにも可憐で、しかもすぐ目の前にあるものだからつい見惚れてしまった。


「か……可愛いかな?」


「えぇ、可愛い。私はこのコーデが好きかな」


 姉が嬉しそうに一層相形を崩す。


 結局俺が選んだのは色がダークグレーで、形は霧名ちゃんとお揃いのオーバルであった。

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