第10話 眼鏡買えば?
席替えで大親友や好きな女の子の隣に座れたら嬉しいものだ。
親友であれば休み時間の度にたくさんおしゃべり出来るし、好きな子であればこれまで話しかけづらくても気軽に接点を得られるかもしれない。
俺の場合は親友でも想い人でもなく半ば生き別れの姉で、あまり気軽に接してはいけないことになっているのだがそれでも嬉しいものは嬉しい。
しかし何ごとも良いことづくめということはない。
「ううむ……」
「源次郎くん、何か困りごと?」
席替えの翌日、一限目の世界史の授業の後、俺は眉間に皺を寄せて唸り声を上げていた。そこに寄ってきた大樹がキョトンと首を傾げて何事かと尋ねてきた。
「うむ、実は黒板の文字が読みづらくてな。あの先生、もう少し大きな文字で書いてくれれば良いものを」
俺は黒板に書かれた小さな白い文字を睨みつけながら恨み言を口にした。
「そうかな? そんなに小さな文字でもないと思うけど」
「え、大樹はここからでも読めるの?」
「うん、いけるよ」
大樹は眼鏡をくいっと上げて位置を調節しながら板書を確認し、そう答えた。
「もしかして源次郎くん、視力悪い?」
「……かもしれん。俺って幸か不幸か昨年は前の方の席ばかりだったから不便がなかったから気づかなかった……」
「そっかそっか。ようこそ眼鏡の世界へ!」
「くぅ、俺も年貢の納め時か」
「この世の終わりみたいに言わない」
大樹に苦笑混じりに嗜められる。自分が眼鏡をかけている姿というものがいまいちイメージ出来ず、食わず嫌いに似た抵抗感を抱いてしまっていた。
「眼鏡ってどこで買えるの?」
「そりゃあ眼鏡屋さんでしょ」
「ふぅん。電気屋さんとかミスターマックスとかで売ってない?」
「源次郎くん、眼鏡をスマホか何かと混同してない? 眼鏡は視力を測ったりフレームを選んだりで結構することあるよ」
マジか。てっきりお店に行けば自分に合うものがあって「これ下さい」と言えば買えるものと思っていた。ちなみにミスターマックスというのは福岡を中心に展開している食料品から家電までなんでもござれなディスカウントストアのことだ。
「まぁ、今は眼鏡屋さんに視力検査の設備もあるから、行ってお店の人にお願いすれば一から十まで案内してくれるから休みの日にでも行ってごらんよ」
「なるほど、良いこと聞いた。次の土曜日にでも買いに行くわ」
俺は早速週末の予定を立てた。板書が見えないのは流石に不便なのでこのまま放置するわけにはいかない。授業についていけないなどとなれば洒落にならないからな。また大樹から勧められた店ではレンズに在庫があれば即日受け取りも可能なのだとか。ならばなおのこと即座に行動に移すべきだろう。善は急げだ!
「二人で何のお話ししてるの?」
と、そこに涼やかな声が響く。霧名ちゃんだった。教室の外から戻ってきた彼女が着座しながら尋ねてきた。
ガタッ!
と一瞬真正面の席の萩原の身体が揺れ、椅子が大きな音を立てた。何だと訝しんだもののさしたる支障はないため聞き流す。大樹も少し驚いたものの、俺と同じく霧名ちゃんに意識を戻した。
「源次郎くん、目が悪くなったから眼鏡買うんだってさ」
「あら、そうなのね。どれくらい悪いの?」
「板書が見えたり見えなかったりかな。黒板の一番上に書いてあるあの大きな文字なら見えるけど、他はところどころ」
「相当じゃないの……」
霧名ちゃんはため息をつき呆れたご様子だ。どうして今まで放置していたのだと咎める心の声が聞こえた。歯医者さんから叱られてる気分だ。
「次の土曜日にでも眼鏡屋に行こうかと。ジーンズ、だっけ? 大樹が勧めてくれたからさ」
「
「そう、JINS」
「和泉くん、JINSに行くのは良いけど、お店に行く前に眼科で視力を測ってもらって処方箋を書いてもらうことをお勧めするわ」
乗り気な俺に霧名ちゃんは忠告をくれた。対して大樹は首を傾げている。
「どうして? お店でも視力を測ってもらえるけど」
「確かにお店でも視力検査は出来るけど、それだと度がキツくなりすぎて疲れやすい眼鏡が出来ちゃうかもしれないの。だから眼科の先生に相談して、使い勝手の良い眼鏡の処方箋を書いてもらうと後で後悔しないわよ」
「そうなの!? 知らなかった……」
二人の眼鏡談義を俺は雑学番組でも見ているような気持ちで聞いていたが、一方の大樹は目から鱗とばかりに驚いていた。どうやら彼はお店で測ってうんとキツく作ってもらったのかもしれない。思い返せば彼は授業が終わると眼鏡をとって目頭のあたりを頻繁に揉んでいる気がする。
「私もこの眼鏡は眼科で測ってから作ったの。おかげであまり疲れないわ」
霧名ちゃんは眼鏡を外し、それを大切そうに見つめながらどこか自慢げに言う。大樹は大層感心した様子で彼女の手の中のものを見ているが、俺は眼鏡のなくなった素顔に見惚れていた。前髪の下に佇む切長の瞳は、クラスメイトと話す時はそんな風に柔らかくなるのかと感心したのであった。
「い、石動も視力はだいぶ悪いのか?」
「多分和泉くんと同じくらいかしら。黒板のあの大きな文字なら読めるけど、小さなものは見えないわね。まぁ、もう消えちゃったけど」
「げっ!?」
言われ、俺は落胆した。板書は既に日直の牛島の手に握られた黒板消しにより彗星の尾のような白い跡を残して消されてしまった。
「くぅ……一足遅かったか……。石動、すまないけど世界史のノート貸してくれ。放課後までには必ず返すよ」
「もう、仕方がないわね。汚さないでよ」
少し棘のある言葉とは裏腹に霧名ちゃんはあっさりとキャンパスノートを差し出した。ノートの表紙には油性マーカーのカリグラフィで『World History』と書かれている。洒落ているな。
ガタガタッ!
萩原がまた
*
昼休み、俺は霧名ちゃんから借りたノートを写させてもらい、約束通りその日中に返却した。しかしその際、ただ礼を言って返すだけでは面白くないのでちょっとしたおまけを付け足しておいた。
その夜、早速そのおまけに霧名ちゃんは気づいたらしい。ベッドでくつろいでいたところ、俺のスマホにLINEのメッセージが入った。
『(霧)やっほー、源次郎』
『(源)こんばんは、霧名ちゃん! メモ気付いてくれたんだね』
『(霧)最後のページに貼っつけてあったからちょっと驚いたww』
『(霧)どんだけお姉ちゃんが恋しいのよ、あんたは!』
『(源)😊』
『(霧)ぐうかわ!』
『(源)霧名ちゃんのテンションウケるww』
『(源)土曜日に眼鏡買いに天神まで行くつもりなんだけど一緒にどう?』
『(源)フレーム選ぶの手伝ってほしいとです!』
『(霧)仕方ないわね。一緒に行ってあげる』
『(霧)でも、お姉ちゃんと出かけるって誰にも言っちゃダメだからね』
『(源)了解道中膝栗毛!』
『(霧)それ死語』
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