第5話 姉弟の縁は解けない(2)
「石動……霧名です。帰宅部で、将来の夢は……検察官です。一年間よろしくお願いします」
石動霧名は
「石動さんとは去年も副担任で同じクラスでしたね。今年もよろしくお願いします。検察官を志望するのはどんな理由があるんですか?」
「え、えぇっと……はっきりとはないのですが、やり甲斐のありそうな仕事なので」
「うんうん。きっとその通りですよ!」
雪野先生はなぜか心底嬉しそうな笑顔で励まして締め括り、霧名ちゃんは着席した。
俺は起立していた霧名ちゃんを信じられない思いで穴が開くほど見つめていた。
驚くなという方が無理に決まっている。
石動霧名は俺の一つ年上の姉で、つい十日ばかり前に再会したものの関わるなと冷たく突き放して消えていった。今までどこでどのように暮らしていたか知る由もなく、今もどのクラスに属しているのかと気にかけていた。学年末試験で同じランキングに載っていたため、なんらかの事情があって同じ学年になっていたというだけでも驚きなのに、まさか同じクラスになろうとは。
霧名ちゃんは着席する直前、茫然自失する俺の方をチラリと見た。そしてモロに目があった。可愛らしい眼鏡で多少和らいでいるものの、鋭い瞳でギロリと睨まれたことには容易に気づいた。
あんた、分かってるでしょうね?
霧名ちゃんは視線だけで俺にそう釘を刺したのだ。
戸惑いと感動を胸にしていた俺の背中にぞぞっと怖気が走る。刑事の父が俺を叱る時に見せるあの顔と同じ目をしているだけに軽いトラウマを刺激された気分だ。怖い。
だがそのアイコンタクトのお陰で確信を得た。今し方自己紹介をした人物は再会した姉と同姓同名の人間などではない。髪型と眼鏡で印象が大分変わっているが、間違いなくあの姉だ。
なんということだろう。姉と机を並べて授業を受ける日が来るなどとは考えもしなかった。驚きのあまりその後のクラスメイト達の声が全く入ってこない。
一年間よろしくお願いします?
え、俺ってば一年間霧名ちゃんとクラスメイトとして仲良くするの?
*
自己紹介タイムとクラス委員選定が終わると体育館にて始業式に臨むことになった。
生徒は各々体育館へ移動し、クラス毎に男女別で出席番号順に並んで開会を待っていた。
すぐ右には霧名ちゃんがいる。生徒の列はクラス毎、男女交互になっている。『いずみ』と『いするぎ』は五十音順だと近いため、男女別に並ぶと隣同士になってしまうのだ。
ちらりと横目で霧名ちゃんの様子を窺う。彼女は虚な目でステージの奥の壁に下げられた校旗をただただ見つめている。その目には覇気がないのだが、決して俺には関わるまいという信念だけは失われていない。
「ねぇ、石動さん」
俺はそれをガッツリ無視して小声で話しかけた。霧名ちゃんは無反応である。
「ねぇねぇ、石動さんってば」
もう一度声を掛ける。しかし無視である。
テコでも動かぬつもりか。仕方なし。俺は先ほどよりもずっとずっと小さな声で、それこそ囁くような声を絞り出す。
「霧名ちゃん」
「っ!?」
霧名ちゃんが両目を見開いて振り向く。その目には怒り、困惑、焦燥がありありと浮かんでいる。ちなみに周辺の生徒は談笑に夢中で俺達の様子には全く気付いてない。
「何よ?」
霧名ちゃんは平静を装い、淡白に用件を尋ねる。しかし瞳の奥底には『関わるな』との言いつけを破った俺に対する苛立ちがはっきりと灯されていたが、もちろん気にしない。
「石動さんも検事目指してるんだね。一緒に頑張ろうね(わーい、お姉ちゃんと将来の夢がお揃いだ!)」
「……そうね(そんなことで話しかけんなボケ!!)」
ギロリ。細められた双眸が僕を
おかしいな。霧名ちゃんが同じ夢を抱いていることが嬉しくて、それを直接伝えるわけにはいかないからあくまで石動さんに向かって言ったつもりなのに、どうしてそんな顔をするのだろうか。
俺はそのことがショックで、悲しくて、始業式の間中ずっと心ここに在らずで校長先生のありがたい話も右から左に聞き流してしまった。
*
始業式後、教室に戻ると雪野先生から簡単な連絡事項が言い渡されると解散になった。時刻は正午過ぎで、この後部活動のない生徒はすぐ下校する。その中には霧名ちゃんの姿があった。教室では新しいクラスメイト同士交遊を深めようと談笑に耽る人が多いが、彼女はそれに見向きもせずそそくさと荷物をまとめて去ってしまった。俺はそれを慌てて追いかける。視界の端で大樹が話しかけたそうにしていたが、心中で詫びを入れながら見て見ぬふりをして俺も退出する。
廊下と階段を早歩きで進み、下駄箱で靴を履き替え、校門に向かって歩く。その間、俺の視界には絶えず霧名ちゃんの姿があった。
階段を下る霧名ちゃん。
スニーカーに履き替える霧名ちゃん。
すれ違う先生に会釈する霧名ちゃん。
振り返り、俺の追跡に気付いた霧名ちゃん。
校門を出ても追ってくる俺に早くも苛立つ霧名ちゃん。
そんな調子で校門を出て十分ほど追跡を続けていると、とうとう痺れを切らしたように前方を歩く霧名ちゃんが振り返ってこちらにツカツカと歩み寄ってきた。
「なんでついてくるのよ!?」
ご立腹である。
「いや、俺も家こっちの方だし」
「だからって後ろにピッタリ張り付くことないでしょ」
「霧名ちゃん、冷たい」
俺は唇を尖らせて不平を唱えた。
「その霧名ちゃんってのもやめて」
「じゃあお姉ちゃん」
「ぶつわよ?」
「ひぃ……」
理不尽だ。姉を『お姉ちゃん』と呼んで怒られるなんて。これが世に言う家族関係の希薄化というやつか。聞いたことないけど。
「源次郎、私がこの前言ったこと覚えてる?」
「学校で霧名ちゃんに関わるなってやつ?」
「そうそれ」
「学校の外だからセーフじゃね?」
「屁理屈言わない。それに今は学校の制服着ての登下校中だから学校の範疇です」
「それこそ屁理屈じゃん」
俺はまた抗議するも、内心では胸が弾んでいた。
春休みの間中、俺はずっとこの人のことを考えていた。およそ六年ぶりの再会だ。訊きたいこと、話したいことが山ほどある。それなのに今日学校で話しかける機会に恵まれず、チャンスがあっても素気無くあしらわれたものだから途方に暮れていた。だがこうして粘ってようやく会話することが出来たのだから嬉しいに決まっている。
「霧名ちゃん、もう帰り?」
「そうよ」
「じゃあお昼ご飯行こうよ!」
「いや」
「なんでそんなに邪険にするんだよ」
「誰かに見られるかもしれないでしょ?」
会話している間中、霧名ちゃんは確かに周囲を窺っている。理由は分からないが、一緒にいるところを他の生徒に見られたくないらしい。
「それなら打ってつけのお店があるからそこに行こう! この近くだけど、六本松高校の生徒は誰も知らないお店があるんだ」
「へぇ、そんなお店があるんだ。ちなみにあんたはどうやってそのお店のこと知ったの?」
「部活の先輩から教えてもらった」
「どこが誰も知らないよ。それってつまり学校の人が来るかもってことじゃないの!?」
くわっと姉が目を向いて突っ込む。確かに、誰も知らないは言い過ぎた。
「大丈夫だって! 友達と何度か行ったけど、他にうちの生徒らしき人が入ってるの見たことないしさ」
俺は今すぐにでもお姉ちゃんの手を握って店まで案内したい気持ちに駆られていた。それをしなかったのは姉の言いつけを守ろうという従順さ故であったが、まだこの姉に対して遠慮と緊張があったためかもしれない。
「はぁ、分かったわよ。その代わり名前呼びはやめてよね、和泉くん」
「了解、霧名ちゃん! ……じゃなかった、石動さん!」
渋々と言った様子だが霧名ちゃんはランチを一緒することを了承してくれた。それだけで俺は天にも昇る心地である。なんやかんやで俺に甘いのは昔と変わってない。
「あとあんたの奢りね」
「……り、了解!」
少しスパイスが利いてるけど、高校生になったから我慢出来るもん!
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