第4話 姉弟の縁は解けない(1)
姉と思いがけず再開した翌日からおよそ十日間ほどの春休みが始まった。春休みにすることといえば新学期に備えて身支度をしたり、卒業した先輩方と最後のお別れをすることだろう。しかしながら休暇中、俺は体調を崩し、ほとんど寝て過ごした。
医者の診断では扁桃炎とのことだった。喉が腫れてイガイガするわ熱が出るわでひどい気分であった。だがそれ以上に心身を蝕んだのは姉・和泉霧名――否、石動霧名の冷酷な一言であった。
『私には関わらないで』
自室で療養中、俺は病床で何度もその夢を見てうなされては飛び起きた。
霧名ちゃんが夢に出てくることは離れ離れになった当初は頻繁に見ていたものの、このところは落ち着いていた。だがあの日以来霧名ちゃんが再び、しかもこの短期間に何度も現れることから俺がどれほどショックを受けたかお分かりだろう。
そして俺は心休まる思いをせぬまま春休みを消化し、あっという間に新学期を迎えてしまった。
今日はその初日である。
登校し、新しい教室へ入るとすでに新たなクラスメイト達がグループを作って談笑していた。元のクラスの仲間同士か、あるいは部活で仲の良い者同士か、はたまた初対面なのにもう仲良くなったのか定かではない。俺は和気藹々と談笑している様子を見て卑屈なことに居心地の悪さを感じてしまった。
――あれって和泉?
――だな。退院してたんだ。
――いや、入院は和泉じゃねぇよ。
――どっちにしろあまりか関わらない方がいいぜ。
――今どきジャックナイフとはよく言ったものだ。
俺が教室に入ると一瞬水を打ったような静けさが訪れたため、そんなヒソヒソ話が耳に入ってしまった。だがまた一瞬の後にはそんな不自然な沈黙などなかったかのように再び話し声が雨音のように辺りに響き渡った。
俺は雨から逃れ
俺は楽しそうな談笑の声、あるいは聞きたくもないひそひそ話を意識から追い出し、霧名ちゃんのことをまたぼんやりと考えるのであった。
こうしてため息混じりに教室で過ごしている間、霧名ちゃんもまたクラス替えの内容に一喜一憂していることだろう。
一体どこのクラスなのか。
仲の良い友達と一緒になれたのか。
好奇心とも心配ともつかぬ思いがぐつぐつと胸の内で煮詰まり、また重いため息が出た。
「源次郎くん、おはよう。今年も一緒になれたね」
とそこに朗らかに声をかけてくる男子が現れた。
「おぉ、
本日初めての会話に心躍る俺。
声をかけて来たのは中学校以来の友人・
「あぁ、良かったー。知ってる人少ないからボッチ確定かと思ったよ」
と心底胸を撫で下ろす大樹。その思いに共感してしまい、こちらは思わず苦笑いだ。
「俺らのクラスって理系志望が多かったからな。そのせいで皆別なクラスに行っちゃったのかもな」
俺は諦念気味にそう見解を述べた。
我が六本松高校は公立ながら学区内有数の進学校で、二年生進級時に大学受験を見据えて生徒は文系と理系に振り分けられる。以前のクラスの男子は理系志望が多かったのだが、俺と大樹は共に法学部志望のためそこからあぶれた感がある。自ら選んだ結果故とはいえ、少し寂しい。
「はーい、皆さん着席して下さい!」
チャイムが鳴るのと同時に新たな担任と思しき若い女教師が入室してきた。先生の声を合図に、立ち話をしていた面々がわらわらと散って自席に戻っていく。大樹も「それじゃあ」と手を振り、去っていった。
「皆さん、おはようございます。今日からこのクラスの担任になりす
教団に立ってそう自己紹介する雪野先生。二十代後半で若々しく、黒髪ショートボブと端正な顔立ちは理知的でありながらどこか愛嬌と優しさを感じさせ、俺も含め男子が
雪野先生は国語教師で学校内でも(女子生徒含め)一、二を争う美人と名高く、男子生徒の中にもファンが多い。かくいう俺も一年生の頃は教科担当でなかったものの噂は知っており、廊下で擦れ違う時は気持ち大きな声で挨拶をしたものだ。一方で女子生徒からの信頼も相当厚いようで、よく女子に囲まれている姿を目にする。クラスメイトの反応が一様に明るいのはそんな理由だ。
雪野先生はショートホームルームの開始を告げると今日のスケジュールを簡単に説明する。今日は各クラスでホームルームを行い、その後体育館へ移動して始業式となる。ホームルームでは自己紹介とクラス委員の選出を行う予定だ。
「では自己紹介カードを配ります。十分ほど時間を取るので各自書き込んで下さい。後で後ろから集めて、くじ引きで自己紹介してもらいますね」
先生は朗らかな笑顔を浮かべて言いながら名刺サイズの紙を配り始め、受け取った生徒が順々に後ろの席に回していく。紙片には
教師のこうした施策は疎ましくて仕方のない俺だが、今回は雪野先生の主催とあって覚えめでたくなるよう真面目に書く。手早く名前、部活、将来の夢の欄に書き込んでいくと残りの時間を最後の項目に目一杯費やした。
やがて先生が終わりを告げ、カードが回収される。先生はそれをシャッフルし、一枚ずつめくって生徒の名前を呼んで起立させ、自己紹介を促していった。
「では次は剛田くん」
はい、と呼ばれた大樹が優しげな返事と共に立ち上がった。
「剛田大樹です。所属は園芸部で、将来の夢は弁護士です。来月学校の花壇に花を植える予定なので、植えてほしい花があれば承ります。よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をし、クラスメイトから拍手が沸き起こる。男子の中には花だなんだと口にする大樹を小馬鹿にしたような冷笑が聞こえるが、一方で女子からは好印象を窺わせる優しい笑い声が聞かれた。大樹は昔から穏やかな性格と中性的なルックスのおかげか女子ウケが良い。
「弁護士さんを目指しているんですね。何かきっかけがあるんですか?」
拍手が鳴り止んだところで雪野先生が問う。
「祖父と父が弁護士なのでその影響です」
「では将来はお父さんと一緒にお仕事をされるつもりですか?」
「はい。父が事務所を構えているのでそれを継げればと思ってます」
大樹の自己紹介はそれで締め括られ、次に移る。
「お次は……和泉くん」
「は、はい!」
呼ばれたのは俺だった。あの雪野先生に名前を呼ばれ、少し緊張してしまう。
「和泉源次郎です。部活は……帰宅部で、将来の夢は検察官です。今年一年間よろしくお願いします」
とりあえず変にアガることもなく無難に済ませた。一生懸命内容を考えたが、帰宅部になったせいでもっともらしいひと言が思いつかず、クソつまらない内容になってしまったのは我ながら情けない。
「将来の夢は検事さんですか。どうしてその道を?」
例によって雪野先生が自己紹介を掘り下げる。俺は少し恥ずかしさを覚えながらも先生の目を見て答えた。
「刑事の父の影響です。昔は警察官を目指していたんですが、父からはやめておけと言われて検事に」
「そうですか。大変な道のりですから頑張って下さいね!」
俺はペコリとお辞儀し、着席する。どうにか乗り切ったと安堵した。先生の前ということもあるが、こういう人前に立つ場面は苦手で肩が凝る。
「ではお次……お、
え?
先生、今、なんとおっしゃいましたか?
石動、ですって?
がらら、と椅子が床に擦れる音が響く。俺は反射的にその方向を振り返り、立ち上がった人物の顔をまじまじと見た。
ポニーテールに結われた艶やかな黒髪。赤いセルフレームの眼鏡。整った目鼻立ちと女子にしては高い身長が一際目を引き、男子が一斉に息を呑む音が聞こえた気がした。
「石動……霧名です」
そこにいたのは間違いない。俺が寂しさで焦がれ、求め続けた姉であった。
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