第3話 私に関わらないで
一歳年上の姉で、幼い頃から「霧名ちゃん」と名前呼びしていたほどの仲良し姉弟であった。
どこに行くのも一緒だった。
幼稚園で俺は同じクラスの子とは遊ばず、一つ上の姉がいる教室を訪ねては姉とその友達の輪に入れてもらっていた。
食事も、お風呂も、布団で寝るのもずっと霧名ちゃんと一緒で、母親と同じかそれ以上に懐いていた。
そして今日、高校生になった俺は相手がその霧名ちゃんと気づかず愛の告白をしてしまった。
故に今、俺は盛大に混乱していた。
庭園を後にした俺達は池の畔の東屋に入り、そこのベンチに並んで腰掛けていた。
「……死にたい」
恥ずかしい記憶がフラッシュバックし、俺はゲンナリと項垂れてそう希死観念を口にしていた。
「もう、そんなショック受けなくて良いでしょ。昔はお姉ちゃんと結婚するって言ってくれてたのに」
隣では霧名ちゃんが不服そうに唇を尖らせている。
「そんなのガキの頃の話だろ。ていうかさ、どうして日本庭園なんかに呼び出すんだよ。あそこってうちの学校で有名な告白スポットじゃん。勘違いするじゃん」
「告白スポット? 私、そんなの知らない」
霧名ちゃんはキョトンと首を傾げる。困惑し、腑に落ちないとの色が双眸と声音に出ていることからとぼけてないことが察せられた。
「そうなの!? 俺、てっきり告白されるかと思って来たのに! じゃあなんでよりによって庭園なの?」
「人が少ないと思ったから」
It's so simple!
僕はぽかんと口を開けて絶句した。あのジンクスって女子は皆知っているものとばかり思っていた。だって女子ってそういうの好きじゃん。恋のおまじないとか、縁結びの神様とか。
「生まれて初めての告白だったのに……」
初告白という大切なカードを切り、挙句空振りに終わるという無残な結果に恨み節を唱えずにはいられなかった。しかも、しかもだ。
「いやぁ、まさか源次郎があんなに情熱的に想いを打ち明けてくれるとはねぇ」
「あー、あー!」
「『目元がクール』、か。お父さん譲りでお揃いだもんね!」
「掘り返すなし」
にしし、と意地悪な笑みを浮かべる姉に俺はジト目で睨みを利かせる。こういう顔をすると大抵怖がられるのだが、霧名ちゃんは一切
「背が高くてスタイルが良い、だなんて嬉しいこと言ってくれるじゃない! この褒め上手!」
バシン、と大喜びの霧名ちゃんから背中を叩かれた。まぁ、大して痛くはないので許す。
「まぁ、スタイルには結構自信があるのよね。それこそ、源次郎くんがずっと見ていたくなるのも無理ないか?」
「もう勘弁して!」
恥ずかしすぎて悲鳴を上げてしまった。実の姉に向かって可愛いだのスタイルが良いだのと本気で思って言ってしまっただなんて生涯の汚点ではないか。
だが姉の容姿が優れているというのは今更撤回するつもりはない。
陽光を浴びて輝く艶やかな黒髪。ぱっちり二重の吊り目と長いまつ毛。シャープな輪郭と整った目鼻立ち。ぷるっと瑞々しい果実のような唇。きめ細かな白い肌。
弟ながらに美人に育ったなと驚嘆せざるを得ないし、肉親でなければどっぷり恋に落ちているところだ。それこそ同じ学校に通っておいてこれほどの美人の存在に気づかなかったことが不思議でならない。
霧名ちゃんはまだクスクスと含み笑いをしている。だが俺の悲痛な叫びが届いたおかげか、それ以上揶揄ってくることはなかった。
「ていうかさ、なんで呼び出したの? なんか用事でもあるわけ?」
俺は若干不貞腐れ気味にそう尋ねる。散々揶揄われた意趣返しのつもりでもあった。だがそれに対して霧名ちゃんは少しだけ寂しそうな顔を作った。
「用事がないと、会いに来ちゃダメ?」
そう問い返され、ハッとさせられ、バツの悪い思いになる。
僕達は姉弟だ。訳あって離れ離れになり、最後にあったのは六年くらい前だろう。その間、連絡は一切取り合っておらず、お互いどのような生活を送っているかも不明であった。
しかし疎遠になっても血を分けた姉弟である事実は揺るがない。用件もなく呼びだすなというのは非情というものか。
俺は自分の粗暴な態度を悔い、項垂れた。
「ごめん、そんなつもりじゃなかった。本当は会えて嬉しいよ、霧名ちゃん」
「私もよ、源次郎」
姉の柔らかな手が俺の頭に乗っかり、優しく髪を撫でた。恐る恐る振り向くと霧名ちゃんが昔と変わらぬ優しい微笑みを湛え、こちらを見つめていた。
心臓がどくどくと脈打つのを感じ、頬が熱くなるのを自覚した。
だがその時キュルル、と姉のお腹から腹の虫が可愛く鳴く。それに呼応したようにグルルと虫というより獣の唸りのような音が俺の腹から鳴った。良い雰囲気だったのに台無しだ。俺達は一瞬黙り込み、だがすぐに破顔して笑い声を上げた。腹の虫が鳴るタイミングまで同じとは、やはり姉弟というべきであろう。
「ここで話すのもなんだしさ、ファミレスでも行かない?」
空腹感も高まって来たところなため、俺からそう誘った。今日は修了式で半ドンなため、昼食は放課後に各々取ることになっている。俺はランチをお預けにしてまで呼び出しに応じたため、今の今まで空腹を感じなかったが、そろそろ限界だ。
二人でランチ。
そう考えただけでウキウキした。家族で外食に行く経験に乏しい俺にとってはレアなイベントだし、何より再会した霧名ちゃんと時間を共に過ごせることがこの上なく嬉しかった。
だが霧名ちゃんは俺とは思いが異なるようだ。目を細め、表情を曇らせた。
「ごめんね、源次郎。今日はここでお別れ」
断られてしまった。当然俺は拍子抜けした気持ちで胸が苦しくなり、表情を
「そっか、残念。じゃあさ、明日とか、明後日とかは? 明日から春休みなんだから、時間あるよね?」
「ごめん、それも無理」
「どうしてさ?」
そう、明日からは春休みだ。一週間程度の短期間だが、時間は山のようにある。小一時間会って話をするくらい出来るだろうと踏んだが、それも都合がつかないらしい。そんなに忙しいのか?
「源次郎。今日呼び出したのはね、あなたに伝えたいことがあるからなの」
「え、何?」
用事などないと言いたげだった先ほどとは打って変わって話があるとは何事か?
僕は怪訝顔でその続きを待った。
霧名ちゃんは決まりの悪そうな渋面であったが、意を決した真剣な面差しで僕に向き直り、はっきりとこう告げた。
「今後学校で私を見かけても関わらないで」
冷徹に、冷たい壁を作る声。
俺は最初、何を言われているのか理解出来なかった。
自分に関わるな? どうして家族からそんな素っ気無いことを言われるのだ。
そう困惑する俺を他所に、霧名ちゃんはさらに続ける。
「話しかけるのもダメ。私が一歳歳上というのも内緒だし、身内であることを明かすのも論外。お父さんにも私が六本松高校にいるってことは話さないで。知ってるかもしれないけど、とにかく私の話なんかしないで」
「ちょ、ちょっと待ってよ! いきなりなんなんだよ!」
「ビックリするのは分かるけど、お姉ちゃんのお願いだから聞いてよね」
「どうしてさ!?」
焦燥を浮かべ、淡白に言い放つや姉は鞄を肩にかけて立ち上がり、俺の前から去ろうとした。俺はというと当然納得がいかず食い下がる。問えばきっと答えてくれると信じていた。
「……なんだって良いでしょ。強いて言えば世間体」
だが返されたのはあまりにも無感情で、曖昧な言葉だけだった。
「それじゃあね、和泉くん」
姉は俺を冷ややかな目で見下ろして別れの言葉を述べた。鋭い視線に睨まれた俺は白刃を向けられたかの如き恐ろしさに震え、それ以上の追求は何一つ出来なかった。
姉は踵を返して去っていく。早足でツカツカとローファーの踵を鳴らしながら。俯き加減の後ろ姿は一体何を考えているのか俺には分からない。ただはっきりしていることは、六年ぶりにあった姉は素っ気無いを通り越して無情で、俺の前から去っていくということだ。
訊きたいことがたくさんあった。
最後に会って以来どのように過ごしていたか。
母さんは元気なのか。
いつ福岡市に引っ越して来たのか。
そもそもなぜ歳上なのに同学年なのか。
だがそれを問うことは許されず、俺はただただ小さくなっていく姉の背中を見送ることしか出来ない。
ほー……ほっけいぃきょー。
若いウグイスがヘタクソに鳴く、三月下旬の昼のことであった。
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