第107話 淡い気持ちを抱いちゃダメですか?

「はい。俺の勝ちね♪」


 瑞希は高らかに勝利宣言を行い、ふぅ!と一息つく。

 私は唖然としながら、目の前にある瑞希の課題テキストを見つめる。

 確かに課題は最終ページまで終えてある。

 私も今は最終ページだが、まだ途中で、あと5分ほどはかかりそうな感じだ。


「だから、言ったろ? 俺に数学で勝とうなんて甘いってね」

「ふ、ふん! ちょっとだけ待ってて! 正答数で追い抜いてやるから!」


 私は若干の焦りを感じつつも、さっさと課題を済ませる。

 そして、瑞希と一緒に答え合わせをしていく。


(うっ! ここ気を付けてたのになぁ…。また、同じミスしちゃってるよ…)


 私は何度か無言ではあったけれど、悔しさがこみ上げる瞬間があった。

 瑞希は余裕で○を付けている。ミスはないようだ。

 まあ、さすがと言えるだろう…。


「こ、これで最後の問題ね…」

「何、緊張してんだよ…」

「う…いや…何でもない……」


 私は悔しい表情を出さずに最後の問題に○をつける。

 結果は、瑞希の誤答数が0で、私の誤答数が5つだった。

 自分の中では苦手な数学でまだ誤答を減らした方だったが、負けてしまった。


(うう…悔しい……)


 でも、私は悔しい思いをしているのを表面上悟られないようにしつつ、


「さて、これで第一ラウンドは終了ね」

「おいおい、休憩した後に第二ラウンドがあんのかよ…」

「当然じゃない。できうるならば、こんな冊子はほとんど終わらせておきたいところだもの」

「まあ、いいけどよぉ…。それよりも今回は俺の勝ちでいいよな」

「うっ…。まあ、そういうことになるわね」

「お前、悔しがってるだろ…」

「そんなことないわよ…。だって、数学は瑞希の方が出来るんだから」

「まあ、そうなんだけどよ。でも、だからこそ、努力してきたんだろ?」


 そう言って、瑞希は私の本棚を指さす。

 そこにはお兄ちゃんセレクトの数学の参考書が立っている。

 瑞希は無言で立ち上がり、その参考書を引き出す。

 参考書には私が間違えたところに付箋が貼り付けてあり、ページの中には注意すべき点などが殴り書きのように書き込まれてある。

 どれもがお兄ちゃんに質問したところをミスしないようにするために書いたものだ。

 瑞希は表情を変えず、無言でその参考書のページをペラペラと捲り見る。


「ちょ、ちょっと…恥ずかしいよ! 自分のミスを見られるのは!」


 私は瑞希が手にしていた参考書を奪い取ろうとする。

 が、瑞希も手を放してくれない。

 え…メチャクチャ腕力というか握力というか強いんですけれど…!?

 どちらもが力の限り引っ張ろうとする。

 が、突如、瑞希は手をパッと放してしまう。

 私は勢い余って、そのまま床に倒れてしまう。


「いったぁ~~~~~い! 何で急に放すのよ!」

「うーん。物理の実験…」

「いや、訳わかんない冗談、言わなくていいから…」

「ああ、ごめん。楓の必死さがすごく伝わってきたから放した」

「え…、ちょっと何言ってんの?」

「いや、お前、数学苦手だっただろう? で、お兄さん、確か理数系が強いってのを姉貴から聞いてて、だから、お前、お兄さんから色々と手解きしてもらってたんだろうなって…。今回の期末テストの数学もそんなに簡単な単元じゃないのに、大コケせずに耐えたのって、お兄さんのおかげなんだろう?」

「う…まあ、そうよ。1週間前から数学を重点的に分からないところを質問してたわよ」

「そうか…。ふむ…」

「だから、何に悩んでるのよ!」


 私は奪い取った(返してもらった?)参考書を抱きしめながら、ムキになる。

 悔しいのは間違いないんだから…。

 私だって、死ぬほど努力した、頑張った。

 でも、どこかで間違えることがある。苦手だから…。

 私はそのまま高等部にエスカレーターで進学するし、瑞希もそのつもりのようだから、受験勉強はしなくてもいいんだけれど、積み残しだけは避けたいと思って、3年生になってから参考書で復習を始めた。

少しは成果が出てきているけれど、まだまだ詰めが甘いんだろうな…。

あ~、泣きそう……。


「で、さっきの続き。お前、頑張ったからこそ悔しいんだろ…」

「どうしてアンタは私の傷口に塩を塗り込むような言葉を投げかけてくるかな…。悔しいに決まってるでしょ!」


 目からはポロポロと自然と涙が溢れ出てきた。

 ちょっと自信が付いていたのは事実だったし。

 でも、ここまで夏期の課題で差を付けられちゃうとは思わなかった。

 瑞希は「ふむ」と冷静に頷くと、


「じゃあ、俺の勝ちだから、言うこと聞かせることが出来るんだよね?」

「ええ、そうよ。どんなはずかしめだって、耐えるわよ」

「あ、言ったね? じゃあ、耐えてもらうからね」


 瑞希はニヤリと私に顔を近づけて、意地悪そうに微笑む。

 私は涙が引っ込んでしまい、「ヒッ」と小さな悲鳴を上げる。

 後悔先に立たず。

 口は禍の元。

 ああ…、どうして勢いに任せて言ってしまったんだ…。

 私は暴漢に襲われるような恐怖を覚えながら、後退あとずさりする。

 瑞希は両手を私に伸ばしてくる。

 やだ! やだやだやだやだ!!!

 そういうプレイだけは絶対に嫌っ!!

 私はキュッと恐怖のあまり目を瞑って、身を縮こまる。

 だが、その恐怖は私の勘違いであると数秒後に気づく。

 瑞希はそっと私を抱きしめると、


「じゃあ、俺が間違えたところを解説してやるよ。楓に分かりやすくな…」

「……へっ……?」


 私は素っ頓狂な声を挙げてしまう。

 想像と180度、真反対のことをされたのだから…。

 てか、このままじゃあ、私が単なる変態みたいじゃない!


「俺に教わるのは嫌か?」

「ふふ。嫌ではないわ。でも、確かにとんだ辱めを受けるわね…。ライバルに教わるなんて」

「ま、ライバルではあるけれど、今は同時に彼氏だからな。彼氏と一緒に勉強するのは普通なんじゃねーの?」

「まあ、確かにお兄ちゃんも遊里先輩と一緒に勉強してるみたいだしね」

「あ、もしかしたら、それが原因かも…」


 突如、瑞希は思い出したようにつぶやく。

 私が「?」で覆われたような顔をすると、


「何だか、先日の成績発表以来、姉貴のご気分がすこぶる良くないんだよな…。今回の高校の成績発表の1、2位って、お前のお兄さんとその遊里さんだよな?」

「うん、確かそうだったと思う」

「ははぁ…。やっぱりそうか。その腹いせで俺を追い出したのかな…」

「あはは、考え過ぎじゃない? もしかしたら、追い出して今頃、彼氏さんと一緒に勉強していたりして。お兄ちゃんたちみたいに」

「それこそ、俺、巻き添えにあってるじゃねーか…」

「ま、夜には帰るんでしょ?」

「一応、帰るつもりでいるけど…。何だか土日ともに追い出されそう」

「まあ、そうなったらまたウチに来たらいいじゃない。課題をするのは一緒でもいいし」

「じゃあ、間違いなくお世話になると思う」

「はいはい。じゃあ、早速その『辱め』を受けることにするわ」

「出来なかった問題の解説だろ? 頼むから隣の部屋に誤解されるような声を出すなよ」


 瑞希は少し頬を赤らめながら言ってくる。

 いやいや、ちょっと待て。


「さっき、散々ベッドで誤解されるどころじゃない声を出させるようなプレイをした人が言う言葉かね…、それが…」


 私がそういうと、瑞希は珍しく顔を真っ赤にして、冷めた麦茶を一気飲みしてクールダウンをしたのであった。


「さ、じゃあ、早速教えてもらいましょうかね~、瑞希『先生』?」

「冗談言ってると教えないぞ…」

「はいはい、ごめんなさい。じゃあ、教えてよ、瑞希」


 気持ちすらこもっていない私の謝罪を聞き流すように、瑞希は私のテキストを開いて、私に丁寧に教えてくれる。

 要点をきちんと押さえてくれて、お兄ちゃん同様にすごくわかりやすく、丁寧に教えてくれた。

 できれば、テスト前も一緒に勉強できればいいのに…。

 お兄ちゃんと遊里先輩、翼先輩と凛華先輩のように…。

 私は解説を受けながら、そんな気持ちが少し芽生えてしまった…。

 でも、嫌がるのかなぁ……。

 一歩を踏み出す勇気は、今の私にはまだなかった。




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