第78話 懐かしさに心奪われた日(清水楓side)

 私は帰宅後、少し憂鬱になった。

 だって、あの女の匂いがしたんだもん。

 お兄ちゃんの正真正銘の彼女の遊里先輩の匂いが。

 甘い感じのフルーツのような香りは彼女の匂い。

 私がお兄ちゃんに彼女ができたことを気づいた最初の匂い。

 女はこういうのにすごく早く気付くんだから…。お兄ちゃんはなぜかそういうのに鈍いんだけどね…。ま、男という生き物は…って感じ。

 匂いの強さから言うと、1時間くらい前までいたって感じかな。

 私は革靴を脱ぐと、リビングに入る。

 お兄ちゃんはキッチンから顔をひょっこりと出してくる。


「おかえりなさい、楓! もう少しで晩御飯が用意できるから、部屋着に着替えておいで」

「はーい」


 私はそう応えると、そのまま荷物を持って、自室に向かう。

 自室で、制服を脱ぎ、下着も外す。


「あ~窮屈だった…。やっぱり下着って締め付けられる感じが嫌だなぁ…」


 私はそう文句を言いながら、部屋着に着替える。

 ショートパンツにTシャツ。

 私の部屋着と言えば、これ。

 理由は、楽だから。それ以外の何物でもない。

 もちろん、無防備すぎるって言われちゃうかもしれないけど、お兄ちゃんは私との間でライン越えは絶対にありえない。

 お兄ちゃんは彼女である遊里先輩にゾッコンなんだから、それ以上のラインを越えて私に手を出すなんてことはない。

 それは私がモーニングコールをあらゆるで講じた結果で分かったことだ。

 お兄ちゃんは絶対に私には手を出そうとしない。

 まあ、当たり前よね。

 お兄ちゃんの言葉を借りれば、家族なんだから当たり前のこと。

 まあ、私も瑞希がいるんだから、フラフラしていたら彼にも申し訳なさすぎる。

 いや、すでにナニもしてしまっているから罪悪感で押しつぶされてしまう。

 私は頭からそんな考えをもみ消し、リビングに向かう。

 リビングに向かうと、ダイニングテーブルに食事がすでに並べてあった。

 コーンスープにミックスグリル、そしてプレート皿の上に白ご飯。

 ダイニングテーブルの真ん中には一輪挿しの花が添えられている。


「え…これって…」

「お待たせ。さあ、晩御飯にしようか」

「お、お兄ちゃん…これって…もしかして……」


 私はその光景が懐かしい光景とリンクする。

 あまりにも懐かしすぎて、目じりに涙が浮かび上がる。

 お兄ちゃんはウェイターの物まねをして、


「いらっしゃいませ。楓お嬢様」

「もう、爺やのマネしなくてもいいじゃん…。泣いちゃうよ…、私」

「あはは。懐かしいよね」

「うん。もう、爺やが亡くなって、3年だっけ?」

「そうだね…。もう、そんなに経つんだね…」


 懐かしさのあまり、お兄ちゃんも目を潤ませている。

 爺やは私たち家族にとっては掛け替えのない人だったりする。

 私たち家族はたまにしか会えないけれど、会うときは必ず爺やのお店で食事会だった。

 私たちの舌は爺やのお店の味で培われたと言っても過言ではない。


「もしかして、この食事って…」


 私はそう言うと、スプーンでコーンスープをすくい、口にする。

 芳醇なコーンの甘さとしつこくないクリーミーな感じ…。


「爺やの味だ…」


 私にとって子どものころから育ててくれた第二の家族と言ってもいい爺やのお店の味。

 間違いなく、自分の舌が覚えている味と違わない。


「お兄ちゃん、これって…」

「うん。同じものを再現するためにコーンを磨り潰すところからやってみた」


 簡単に言うけど、料理はそれだけを作るわけじゃないから、どれだけの手間が掛かっているかわかる。

 すごく美味しいコーンスープだった。

 一気に飲み干してしまった。もっと、味わいたいくらいだった。

 でも、次のメインがある。

 メインディッシュは―――、


「私の好きなミックスグリルだ…」

「うん。楓が好きだと思ってね、頑張って作ってみたよ。味がどうかは食べて判断してほしいかな」

「うん、分かった…」


 私の大好きな爺やのお店のミックスグリル。

 大好きだからこそ、私は爺やのお店に行くと、そればかり頼んでいた。

 それをお兄ちゃんが再現してくれたというのだ。

 見た感じは爺やが作ってくれたような雰囲気が出ている。

 私はハンバーグをフォークとナイフで切り、口に運ぶ。

 口の中に最初に濃厚なデミグラスソースの味がやってくる。

 そのあとで、それに絡み合うようにハンバーグの肉汁が広がる。

 これ……、


「爺やの味だ……」


 私が気づいたときには、目から一筋の涙が流れていた。

 本当に美味しい。

 私、知ってる。この味。

 この味は爺やの味で間違いない。

 付け添えのグラッセのバターの風味、いんげんの絶妙な塩コショウ…。

 私の知っている味だった。


「お兄ちゃん…、ありがとう…」


 私はいつの間にか泣いていた。

 今までずっと張りつめていたもの、ストレスのようなもの…、すべてがポロポロと涙になって零れ落ちる。

 私は顔をクシャクシャにしながら、お兄ちゃんが作ってくれたそれを食べた。


「お兄ちゃんって、天才過ぎるよ…。何で爺やになれちゃうの? ズルい! ズル過ぎる! 私、本当に惚れちゃうよ!」

「あはは…。ボクに爺やが下りてきたのかな…。でも、ボクだけじゃないよ」

「うん、気づいてるよ。遊里先輩と一緒に作ったんでしょ?」

「あはは…気づいていたの?」

「帰っていた時から気づいていたよ…。だって、匂いがしたもん」

「遊里の言ってた通りだな…」

「一緒に頑張ってくれたんだね…。遊里先輩にとって何の得にもならないじゃん…。私の晩御飯作ったって。それに美味しかったの一言もこの場で聞けないのに…」

「遊里はたぶん気を使って帰宅したんだと思う」

「もう、遊里先輩も本当にズルいよ。お兄ちゃんと遊里先輩の二人して私に優しくするんだから…」


 そのあとも爺やの店の懐かしい話や学校の話など色んな話に花が咲いた。

 こんなに美味しい時間は久々だった。

 お兄ちゃんの食事はいつでも美味しいけれど、それを上回るくらいの美味しさだった。

 

「最後に…何か忘れていない? 爺やのお店ならば――」

「え…もしかして、バニラアイス!?」

「ご名答!」


 お兄ちゃんはキッチンの冷凍庫から、冷えたグラスに入ったバニラのアイスを持ってきてくれる。

 もちろん、これも美味しかった。

 甘いだけじゃない。バニラの香りもバニラビーンズを使ってあって、甘さにマッチしている。

 私には大満足の晩御飯だった。

 これ以上にないくらい私の心は癒された。

 心が満たされたら次は身体も癒してほしい。

 私のお兄ちゃんへの甘えたい心はまた再燃するのであった。



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