第76話 信頼できる彼女の前では甘えたい。
自宅に帰り、スーパーで購入した荷物を冷蔵庫に振り分けて入れていく。
リモコンの冷房のボタンを押し、部屋を快適な温度にする。
「いんげんとかって野菜室に入れておくの?」
「今日使うものなので、この部屋の温度であれば常温で問題ないですよ」
「あ、そうなんだ。何かすぐに冷蔵庫に入れちゃうって癖があるのよね…」
「まあ、冷蔵庫があればみんな入れたくなりますよね。最近の新しい冷蔵庫は野菜の水分を奪うだけのタイプが減ってきているので、結構長持ちするものも出てきていますけど、それでも今日使うのであれば、そのままで問題ないですよ」
「オッケー」
遊里さんと手際よく、買い物を整理していく。
買い物の時にも感じていたけど、まるで新婚夫婦みたいな感じだ。
「ねえ、何だか私たち夫婦みたいだね…」
「あれ? 遊里も思ってた? 実は、ボクも思ってたんですよ」
「あはは、もう…なんか恥ずかしいじゃん」
「言われると変に意識しちゃいますね」
少しの間訪れる無言。
その無言が何だかボク達の意識をさらに高めてしまって、恥ずかしくなってしまう。
ボクらはお互いの目が合ってしまい、そのままだんだんと近づいていく…。
そして、唇が触れあ………、
ピヨピヨピィィィッ! ピヨピヨピィィィッ! ピヨピヨピィィィッ!
突如、威勢のいい音がリビングに鳴り響く。
「ええっ!? 何なに?」
「あ、掛け時計の音ですね…。ちょうど正午になったんですよ」
「あ、そ、そうなんだ…」
「じゃあ、そろそろお昼の時間ですけど、も、もしあれでしたら、一緒に食べていかれますか?」
「そ、そうね…。そうさせてもらおうかしら…あはは……」
ボクと遊里さんの動きがぎこちない。
キスなんて普段からしているのに、さっきの雰囲気は普段しているときのそれとは違った。
ボクの中ではそう思えた。
ヤバイ…。心臓の音が跳ね上がっている…。
遊里さんもボクに背を向けるようにしながら、胸のあたりで両手を重ねている。
耳が真っ赤になっていて、ボクと同じ気持ちであることが分かる。
「ゆ、遊里?」
「え!? な、何!?」
「そ、そんなに驚かなくても大丈夫だよ…。お昼は軽めにパスタで良い? ペペロンチーノとカルボナーラならどちらがいい?」
「じゃあ、カルボナーラが良いかな」
「オッケー。じゃあ、作るのを手伝ってもらっても良い?」
「う、うん…いいよ。夕食を作る前の肩慣らしって感じね」
遊里さんは平静を装っているけれども、顔が紅潮していて焦っているのが手に取るようにわかる。
彼女がパスタを茹でてくれている間に、ボクはフライパンにオリーブオイルをひき、そこにみじん切りにしたニンニクを入れて軽く馴染ませて、ペーコンとレンジでチンしたほうれん草を刻んで一緒に炒め、塩コショウをしておく。そこに牛乳とピザ用チーズ、あとほんの少し中華スープの素を入れて、沸々とし始めるまで熱したところに、茹で上がったパスタを入れて、サッと絡めて、用意しておいたさらに盛り付け、黒コショウをパラパラッと仕上げに振りかけ、そこに卵黄を載せて完成だ。
「はい、できあがり~」
「わぁ~、いい匂い!」
勝手知りたる何とやら…。
遊里さんは食器棚から、スプーンとフォーク、ガラスコップを取り出し、ダイニングテーブルに並べる。
今日は向かい合わせに座るみたいだ。
座り方で何か違いがあるようだ。
その時の気分みたいなものかな…。
ボクは出来立てのカルボナーラをテーブルに運ぶ。
遊里さんはその間に、冷蔵庫から麦茶を持ってきて、ガラスコップにそれぞれ注いだ。
遊里さん、ウチの家のあらゆるものの配置覚え過ぎじゃない? もう、完全に同棲しているかの勢いなんだけど…。
ボクのそんな心のツッコミはさて置いといて、昼食の準備が出来て、ボクらは席に着いた。
ボクらは行儀よく両手を合わせると、
「「いただきま~す」」
食事の挨拶とともに、フォークとスプーンを使って卵黄を崩して、器用に食べ始める。
女性って長い髪が邪魔なのに、それを器用に回避しながら食べるのって本当に尊敬する。
「ん~~~~、美味しい~~~」
遊里さんは一口食べると頭を振り振りしながら、カルボナーラの美味しさを表現してくれた。
ボクも口に運ぶ。
うん。粗挽きコショウがピリッと利いていて、かつ濃厚な味になっていて、美味しい。
「ねえねえ、これ、家で作るカルボナーラよりも味が濃厚なんだけど、何で? コクが出るもの入れた?」
「ああ、これですか? さっき、入れていたものの中にありますよ…」
「うーん……」
フォークを咥えながら、待つこと30秒。
遊里さんは閃いたように、
「これ、ピザ用チーズね!」
「そうです。正解です。チーズは牛乳と食塩が合わさったものですから、もともとコクが出やすいんですよ。シチューなどに隠し味として使っても美味しく仕上がりますよ」
「へぇ~、これはいいわね。覚えておこうっと」
「それにしても、食器棚とか色々よく覚えていますね」
「あ~、あれはお世話になっていると一緒に後片付けとかもしてるじゃない? その時にスプーンはここに直すんだぁ~とか、色々と覚えちゃうんだよね」
「そうなんですね…。もう、ウチの家に同棲しているみたいな感じですね」
「ど、同棲!? や、ヤダぁ…そんな……美人妻だなんて……」
いや、そこまで言ってないよ!?
遊里さんって妄想家!? 自宅で言葉にできないことをシてたりする!?
「まあ、ウチには怖~い監督者がいますからね」
「ま、まあ、そうなんだけどね…。絶対に帰ってくるまでに帰宅するわね」
「もちろん、構わないですけど、たぶん、着たことはバレてると思いますよ」
「え? そうなの?」
「ええ、まだ付き合い始めたころに、自宅で夕方まで話をしていたじゃないですか」
「ああ、あったあった。懐かしいねぇ~」
「あのあと、遊園地でも会いましたよね」
「うん。そんなこともあった」
「あの2回でボクに彼女がいることを認識したそうですよ」
「え…。嘘!? なんで!?」
「何やら、遊里さんのシャンプーかボディソープの匂いらしいです」
「あ~、女の子ってそういうのすごく気づくの早いよね」
遊里さんはふむふむと頷きながら、パクリとカルボナーラを一口食べる。
口に入れたものを咀嚼して胃に納めると、
「じゃあ、もう来てるのバレてるね。まあ、彼女なんだから当然と言えば当然だけどね」
妹に彼女としてマウントを取ろうとする遊里さん。
でも、遊里さんがいてくれて助かったこともあった。
ボクでは思いつかないことを言ってくれることがあるからね。
ボクらは他愛もない会話をしつつ、食事を終えた。
洗い物を二人でして、そのあと、リビングのソファに座って一息つく。
ふわぁ…と欠伸をしてしまう。
「どうしたの? やっぱり、身体のバランスが狂っちゃってるの?」
「えへへ…。ちょっとね」
「もう、ダメじゃない…。明日は私とのデートなんだから…。それに今日は楓ちゃんを慰労してあげなきゃいけないんだし」
「うん…でも、遊里の横にいると、良い香りと程よい温かさで眠たくなっちゃうんだよね…。信頼できる人の横にいると気持ち的に落ち着くのかな…」
「も、もう…。そんなこと言われたら嬉しくなっちゃうじゃん…」
偶然手が触れ合ってしまう。
そして、そのままボクらは手を絡めるように握りしめる。
「「あ……」」
ボクらは目と目が重なってしまい、お互い近づいていき、
「「……チュッ……」」
瞳を閉じて、唇を優しく重ね合う。
何だかこれまでのどのキスとも違う優しさだった。
初心な頃とも違う。エッチなことをする前とも違う。
お互いを信頼し合えた関係の温かく包み込むようなキス。
エロさがあるわけではない。
そこにあるのは、お互いを信頼し合った愛。
そんなものが包み込むようなキスだった。
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