Ⅳ
想像していた衝撃も、痛みもやってはこなかった。
おそるおそるナンシーが振り返ると、引っ付きそうな至近位置に狼の顔があった。
開け放たれた大顎に並んだ鈍色の牙の羅列が見え、ナンシーは本能的な恐怖に身体が震えてしまった。そんな
「——父さ、ん……?」
返事は、ない。
ただ、ナンシーとよく似たモスク色の瞳が、静かに赤毛の少女の姿を映し返している。
吸い込まれるようなその瞳に触れたくて、ナンシーはそろりそろりと手を持ち上げた。
——が、その指先が触れる寸前、強い衝撃がナンシーの体を引き離した。
「ファイズ保護官⁈」
「死にたいのかっ! それともアルファを殺すつもりか! おまえを喰らえば、アルファは苦しんで死ぬんだぞっ‼」
肩をつかまれ、強く揺すぶられる。ベテラン保護官の強い語気に、ナンシーはようやく自分の愚行を理解した。
天狼にとって、人間の血肉は致死性の猛毒だ。
そんな初歩の初歩を忘れ、ナンシーは"もう一度会いたいから"という自分勝手な願いのために、自分と尊い天狼の生を危険にさらした。危うく、ナンシー自身が、天狼となった父を手に掛けてしまうところだった。
その事実に膝が笑い、ナンシーは目の前が真っ暗になったように思えた。
その暗闇に白銀が混じり、知らず、体が動いていた。
「——だめっ‼」
月下の草原を、乾いた一陣の風が吹き抜ける。
——舞い上がった赤い髪に、塗りつぶしてなお赤い染みが、月光を照らし返した。
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