第六話 旅の終わり。
寒波が到来していた。
周囲はうっすらと雪がつもりはじめ、どこか荒涼とした雰囲気が漂っている。
私は白い息を吐きながら、その景色を横目に歩いていた。
「……さすがに寒いな」
もっと厚着をしたかった。けれど、これ以上着る物などあるはずがない。
仕方がなく、私は今現在も、ずっと同じ格好をしているというわけだ。
なんとかしなくては、これでは近い内に凍え死んでしまうだろうことは容易に想像がついてしまう。
どうしたものだろう。私は何をするべきなのだろうか。
季節としては、おそらく冬なのだろう。しかし、本当の意味で今がどんな季節なのはわからないのでどうしようもなかった。
とにかく、寒い。凄く、寒い。
次第に、雪が強くなってくる。ガチガチと歯の根があわなくなってきた。
ああ、寒い。
そんなことを思いながら、それでも私は歩を進めていた。
近頃は食べ物を手に入れるのも一苦労だった。これも雪の影響だろうか。
消費するカロリーに対して、摂取できるカロリーが極端に少ないような気がしてならない。
これだけ寒かったら、肉を手に入れるのも容易ではないし、火を点けようにも手がかじかんで簡単ではない。
もしこれを読んでいる誰かが同じような状況だったら、ひとつだけアドバイスを送ろうと思う。
厚着はしておいた方がいい。絶対にだ。
「それにしても、ここは一体どこだ」
私は振り返り、彼方へと視線を送った。
灰色の大地がどこまでも広がっていた。荒れた地表に、雪が落ち、溶けている。
薄く積もった雪は、じっとしていると私の足を白く染めてくる。
私は再び歩き出した。このまま立ち止まっていると、体が冷えてしまいそうだった。
何をおいても、食べ物を探さなくては。丸二日、何も食べていない。
このままでは、今日明日にでも空腹で死んでしまうかもしれない。食べ物が必要だ。
そう思い、あてもなく歩いていると、視界の端に何かが映り込んだ。
そちらへと視線を向ける。すると、何やら謎の塊がそこにはあった。
なんだ、あれは?
私は空を仰ぎ、考えた。
これは近付かない方がいいのか。それとも、様子を見に行った方がいいのか。
危険はあるだろうか。もしくは、何か食べられるものがあるかもしれないという期待もあった。
何はともあれ、考えていても始まらない。警戒はしつつ、近付いてみることにした。
近付いてみてわかったが、人工物のようだ。
丸い形状をしたそれは、どこか禍々しさを放っていた。
「……なんだ、これは」
私はそれの周りをぐるりと回ってみたわけだ。しかし、なんら手がかりになりそうなものはなかった。
ただ、雪に覆われつつあるその様子は、どこか薄ら寒い雰囲気を纏ってもいた。
正体はわからなかった。が、私はそれを知っているような気がしていた。
触れて、雪をはらってみる。
「――――ッ!!」
思わず息を飲んだ。叫び出したかったけれど、喉の奥に何かが詰まったように声が出なかった。
ただ、私はその光景を知っている。
いや、厳密には、よく似た光景を知っている、というべきか。
私は搭乗したことはないが、友人が何人か海軍にいて、戦闘機の訓練を見学したことがある。
いざとなったら、お前たちも乗らなければならないと脅されたことを思い出した。
あの時ほど、上官を恨んだこともなかっただろう。基本的にそんな暇はなかったから。
それはともかく、だ。
私の目の前にあるのは、紛れもなく戦闘機だった。私の国のものとは多少違うようだが、大まかな形状は似通っていた。
丸い先頭と長い胴体。片翼は折れ曲がり、尾は存在しなくなっていた。
胴体の部分には、大きく赤い丸が描かれている。それが何を意味するのか、私は知っていた。
知ってはいた。だが、それがなんだというのだろう。今更そんなものを気にしたところで、意味はない。
私は機首を覗いてみた。覗いてみて、激しく後悔した。
そこに搭乗者と、目が合ったからだ。見開かれた目は落ち窪み、どこか鬱々とした表情を匂わせて、私を見つめていた。
苦痛を伴ったその表情からは、彼が嫌々出撃したのだということをありありと物語っている。
私は思わず、その場に嘔吐した。ここ数日何も食べていなかったのがよかったのか、胃液以外のものを吐き出すことはなかった。
それにしても、一体なんだってこんなこんなところで……。
私は戦闘機のコクピットを視界に入れないように気を付けながら、その場をは難れた。
数歩進んだところで、ようやく顔を上げた。するとどうだろう。
いたるところに、先ほど似たような雪の塊が散見されるではないか。
その数、実に十は超えていただろう。
あれらが全て、先ほどのような搭乗者を乗せたままの機体なのだろうか。
私はあえて、それらを見て回ることはしなかった。
興味本位に見て回ることは死者への冒涜のようで憚られたし、何より気分のいいものではないからだ。
一体どういった経緯でこんなことになってしまったのかはわからないけれど、これもあの戦争が残したものなのだろう。
寒波が到来していると書いたが、このあたりはもともと気温が低いのかもしれない。
遺体は腐食があまり進んでいないようだ。コクピットの中で死んだことも原因のひとつなのだろう。
私はちらりと戦闘機の方を見やる。とはいえ、もう一度覗いてみる気にはなれなかった。
人を乗せたまま、敵の母艦に激突させる作戦があったらしい。
戦争の末期のことだ。どこの国が行った作戦だったのか、今となっては知る由もなかった。
けれど、それはただの噂だとその当時は思っていた。いくらなんでも、そこまで人間性を欠いた作戦を実行するような国はないと。
大半の機体は海に落ちていったのだとか。対空射撃を受け、翼を折られ、飛行不能になり、そのまま海へと真っ逆さま。
どんな気分だったのだろう。どれほど絶望しただろう。
その様を想像するだけで、反吐が出そうだ。
「国を守ろうとして戦った結果がこれか」
報われないな。本当に。
一歩間違えれば、これまでの人生の何かが違っていれば、もしかしたら自分がこうなっていたのかもしれない。
そう思うと、やりきれない気分になってくる。
見渡すと、同じような盛り上がりがいくつもあった。おそらく、どれも戦闘機が埋もれてできたものなのだろう。
あれらには近付かない方が賢明だ。なぜかはわからないが、近付けば取り返しの付かないことになるだろう。
何かから呼ばれている気がしていた。一体何から呼ばれていたのか。
考えるだけで恐ろしいことだ。
私も、一歩間違えればあちら側にいたかもしれない。
その事実に、ゾッとする。
ともかく、私はその場から離れることにした。いつまでも死者の近くをうろつくものじゃあないと思って。
進んでも進んでも、こんもりとした雪の塊があった。
あれらが全て、戦場に散った兵士たちなのだと思うと気が滅入るようだ。
私はそれらを極力視界に入れないようにして、歩を進めていった。
何か、食べ物はないか。それだけを考えることにする。
それでも、気が付けば私の視線は白い塊に吸い寄せられていた。
あれが、もしかすると自分になっていたっかもしれないと考えると、恐ろしいことこの上ない。
何を置いても、食べ物だ。とはいえ……。
私は周囲を見回し、ため息を吐いた。
刻一刻と気温は下がり、体力は奪われていく。加えて空腹が続き、歩き通しだったこともあり疲労困憊だった。
これは、本格的にまずいかもしれない。このままでは、確実に死ぬだろう。
もしこのままで死ぬのであれば、彼らとともにこの地に眠ることになる。
それはそれで、悪くないのかもしれない。たった一人きりで死んでしまうより、ずっといいだろうか。
そこかしこにあるそれらを視界の端に入れ、また目を逸らす。そんなことを何度か繰り返し、歩み続けた。
空腹は限界を超えたのだろうか。腹が減ったという感覚は消えていた。
私は無精ひげの生えた顎を撫で、自分の頬を触る。
ろくに食べられない日が続いていたからだろうか。痩せこけた頬に触れる。
自分がとんでもない窮地に立たされているのだということは、事実として認識できていた。
けれど、ただそれだけだ。何かしらの手段を講じようにも、何もできない。それに気力もなかった。
私は立ち止まり、呆然と立ち尽くしていた。深々と降り続ける雪が、私の頬を撫でる。
私はポケットから紙を取り出した。今書いているこれが、最期の紙だった。
明日か明後日か、遠い未来か。いつ読まれることになるかわからない。そもそも、人類がどれだけ生き残っているのかも定かではない状況で、こんなことを言うのもおかしな話なのかもしれない。
それでも、私は書き残さなければならない。そう強く感じる。
手がかじかんでいるのか、それとも別の原因か。何にせよ、うまく文章が書けなかった。
ただ一言。それだけを書ければいいのだ。
あまり残されていない体力をかき集め、私は紙に書き記していく。
――未来を生きる君たちへ。どうか争わないで欲しい。平和であることを願っている。
END.
終末を迎えた世界で、私は出会った。 伏谷洞爺 @kasikoikawaiikriitika3
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