第五話 こどもたちの国 下

「アンタ、いつもでいるつもりだ?」

 ジャマルは私を睨み付けて、そう言った。

 憎しみの籠もった目だ。あの目は、よく知っている。

 戦争は国家間の争いだ。それでも、一兵士からすれば、人と人との殺し合いに過ぎない。

 戦場にいる兵士にとって、自分を殺そうとしてくる相手はどんな奴だろうと憎しみの対象だ。

 殺さなければならない。そうでなければ祖国が、自分が、家族が辱められ、殺される。

 恨みなどなくとも、憎まなければならない。そうしなければ、とても人殺しなどできたものではない。

 あいつは殺されて仕方のない奴だ。殺されて当然の人間だ。

 そう思い込まなければ、こちらがやっていられない。

 まさに、ジャマルが私に向けている視線はそういう類の視線だった。

「いつまで……」

 そんなことを言われるとは、露ほども想像していなかった。

 チーやリウを始め、ジャマルを除いたほとんどの子供たちは私に懐いていて、好意を持ってくれているようだったから。

 一番年長であり、集団のリーダーであるジャマルだけが私を毛嫌いしている様子だ。

「俺の話はしたはずだ。俺は大人が嫌いなんだ」

 ジャマルの生い立ちは、以前に本人から聞いた。

 身寄りのなくなった彼を、隣人が勝手に売り飛ばしたこと。

「ここにいるのは、そういう連中ばかりだ。大人のきたねえ手に触れられて、傷を負った連中だ」

 お前はお呼びじゃない。お前の居場所はない。そう言われている気がした。

 実際、ジャマルはそういうことを言いたかったのかもしれない。

 けれど、まともな教育を受けていない彼らにとって、相手に自分の気持ちを伝えるのは至難の技なのだろう。

 私にはどうしようもない気がした。彼の、彼らの傷を癒すことは、できないと。

 荷が重いとか、そういう次元ではない。無理なものは無理だ。

 父親の真似事はできるかもしれない。それでも、私は本当の父親になれない。

 過去に傷を負い、現在進行形で傷を負う彼らを、私はどうすることもできなかった。

「……近い内に出ていくさ」

 ジャマルの視線に耐え切れなくなって、私は視線を逸らしたままそう答えた。

 いずれにせよ、いつまでも留まることはできない。

 この世界では食料の生産は困難だ。特にジャマルたちは食料の大部分を狩りに依存している様子だし。

 なら、安定的に腹を満たすことは期待できない。

 それに、いつジャマルに寝首を掻かれるかわからないという問題もあった。

 彼は集団の中で、ことさら大人というものを毛嫌いしている節があった。だからこそ人一倍、私を警戒しているのだろう。

 大人は信用ならないと思われていたのかもしれない。真実は、今となってはわからないが。

 私はジャマルの目から外れるために、彼の側を離れた。

 私が寝泊まりしているのは、主にチーの家だった。ジャマルとは正反対に、私はチーはよく懐かれていたわけだ。

 小さい子供相手だと、そうなるらしい。

「俺は今日も仕事がある。あんたもできるだけはやく出てってくれ」

 ジャマルはそう言い残すと、どこかへと行ってしまった。

 仕事があると言っていたが、果たして何をしていたのだろう。

 何にせよ、彼とはうまくやっていける気がしなかった。


           ◇

 

 しかし、いつ出発しようかというのは難しい問題だった。

 もしすぐに出発するとなると、きっとチーやリウは悲しむだろう。

 そうならないためにも、事前に何かしらの会話の機会を設けなければならないと思っていた。もしくは、黙って出発するかだ。

 どちらを選ぶにしても、ひと悶着ありそうだぞと思っていたわけだが。

 結論から言うと、その展開はなかったわけだ。

「それにしても、ジャマルはどうしたんだ?」

 過去の辛い体験の話は聞いた。だから、彼は私、というよりは大人というものを毛嫌いしているのだろう。

 だからといって、追い出すような真似をする意味がわからない。

 そこまでしなくてもいいと思うんだがなぁ。

 いずれにせよ、早い内に出ていくのが得策だろう。明日か、明後日か。

 私は頭の中で、そんなことを考えていた。

「どうしたの? 難しい顔をしているね」

 声をかけてきたのは、リウだった。

 というか、俺に声をかけてくるのはもっぱらリウしかいない。

 言葉を話せるのが、少数派だからだ。

「……なんでもないさ」

 私はリウの頭をわしわしと撫でまわした。脂っぽい、ネチョッとした感触があったが、それよりも触れていた部分が暖かかったことが意外だった。

 私にも家庭があったなら、リウぐらいの年の子供がいただろうか。

 そんな想像が頭を過ぎる。全く無意味なことだと理解はしていたが、ほとんど無意識にしていた。

 リウはな頭を撫でまわされたのか理解していない様子だった。

 まあこんな妄想を披露するのは恥ずかしいし、察されても困るのでこれでいいのだけれど。

「ただまあ、もうちょっとジャマルとも仲良くなれたらいいなと持っただけだ」

 そう自分の心情を吐露すると、リウはぱちぱちと大きな瞳を瞬かせた。

「ジャマルと……?」

 彼女は乱れた髪を直す素振りも見せなない。

 まあまだ年頃というには幼いし、こんな生活をしていれば見た目に無頓着になったとしても仕方がないか。

 私はリウの髪を整えてやりながら、頷いた。

「そう。……なんだか嫌われているような気がしてね」

「ま、ジャマルは大人が嫌いだから」

「嫌い……だからか」

 それも一つの事実なのだろうけれど。

 でも、それだけじゃない気がする。うまく言葉にできないけれど。

「なんというか……ええと」

 言葉を探して視線をさまよわせる私。

 というか、子供相手に何を相談しようとしているんだろう。

 冷静に自分を客観視してしまい、そう思ってしまった。

「……いや、なんでもない。忘れてくれ」

 ジャマルの言う通り、早々に立ち去るのがいいのだろう。

 そんな考えに支配される。

 私としても、リウたちと離れるのは寂しいが、こればかりは仕方がないのだと自分を納得させることにした。

「ところで、今日は仕事はないのか?」

「もちもんあるよ。毎日ある。休む暇なんてないよー」

 なんて言いつつ、にこにこと笑うリウ。

 楽しそうだった。仕事が。

 彼女の行っている仕事とは、過去に私や父がやっていたような仕事とはわけが違っていたのだろう。

 仲間のためになるとはっきりしていて、ただの歯車以上の価値を感じている。そういう仕事をしているのだ、リウは。

「……うらやましい限りだ」

「ん? どうしたの?」

「いいや、なんでもないよ」

 私は首を振り、リウが手にしていた水桶を指し示した。

「手伝おう」

「ほんと? ありがと」

 リウは素直に、私に水桶を差し出してきた。

 昨日だか一昨日だかに、仕事の邪魔をしてしまったこともあった。

 その埋め合わせもしなければとは思っていた。

「それで、どこへ行くんだ?」

「こっちだよ」

 私は水桶を抱えたまま、リウの後に続いて歩く。

 彼らが普段使っている、水場へと向かうのだった。


          ◇


 水場、といっても綺麗な水ではなかった。

 見るからに汚れていた。どろっとした何かが浮かんでいたのを覚えている。

 私は頬の筋肉を引くつかせ、リウを振り返った。

「え、ええと……これを組んでいくのか?」

「そう。水場っていったらここしかないから」

 リウは困ったように笑っていた。

 いくら幼い少女とはいえど、さすがにこれが飲料に値しないとわかっていたのだろう。

 だからといって、他に水が手に入る場所はない。

 水は生きていくために重要なものだ。それはわかる。

 わかる……が、これはさすがに。

「あのさ……他に水場はないのか?」

「うん。ここだけだよ」

 リウの表情からは、疑問符が読み取れた。

 どうしてそんなことを訊くのだろうと思っている顔だ。

 他にどうしようもないから、ここの水を使っているのだから。

 馬鹿だな。わかりきっていることなのに。

「ん? でも私が飲んだ水って綺麗だったと思うけれど」

 ふと疑問に思って、訊ねてみた。

 思いかえしてみれば、私が飲んだ水は比較的綺麗だった気がする。

 にもかかわらず、ここの水はお世辞にも綺麗とは言い難い。

 ならば、あの水は一体何だったのだろうか。

 私が首を傾げていると、隣に少年が二人、やってきた。

 彼らはリウより幼いだろうか。二人でひとつの水桶を持っていた。

 協力して水を汲むと、そのまま戻って……いくわけではなかった。

「……どこへ行くんだ?」

「ちょっとした秘密があるんだよ」

 リウは得意げにふふんと鼻を鳴らすと、私に指示を出してくる。

 私はリウの指示通りに水を汲む。すると、リウは私の服の裾を引っ張ってきた。

「こっちに来て」

 私はリウに付いていく。

 すると、ほどなくして目の前に大きな装置が現れた。

「なんだ……これは」

 私はその装置を見上げ、言葉を失っていた。

 なぜなら、その装置は私にとって初めて目にするものだったからだ。

 祖国でも見たことがない、巨大な何か。異様な造形をしたその姿に、私は戦いた。

「これはね、お水を綺麗にする機械だよ」

 リウは先ほどの少年たちのいる方を指さして、説明してくれた。

 とはいえ、その内部構造やどんな原理でそうなるのかは理解していないようだ。

 彼女の話によれば、装置に水を入れ、しばらく待っていると綺麗な水が出てくるということらしい。

 結果として、飲料水が手に入る。それだけの事実があれば、原理や仕組みなどはどうでもいいらしい。

「すごいでしょ!」

「あ、ああ……」

 凄い。確かに、凄いのだけれど。

「これって他の場所にもあったりするのだろうか?」

「え? ええと……わからない。わたしたちが知ってるのはこれだけ」

「そっか」

 ということは、このデカブツが壊れればジャマルたちは水を手に入れることができなくなるというわけだ。

 ずいぶんと綱渡りなことをしている。しかしそれも仕方のないことなのかもしれない。

 こんな状況、時代でさえなえれば、彼らも今頃は普通の子供と同じように学校に通い、遊んでいただろう。

 喋れない子供なんていなかったに違いない。それを思うと、胸が苦しくなってくる。

「あの子たちは喋れるのだろうか?」

「ええと……あの子たちはまだだね。わたしやジャマルが教えたりしてるけれど、なかなか覚えてくれなくて」

 リウは愚痴っぽく言ってはいるが、その実は楽しそうだった。

 もしかすると、人に何かを教えることが好きだったのかもしれない。

「そうなんだ……」

 大人になって、教師になったリウの姿を想像してみた。

 子供たちに慕われて、先生と呼ばれる彼女は幸せに満ちていたことだろう。

 それも、この世界では現実にはなりえないのが悲しい。

「あ、終わったみたい。次はわたしたちの番だよ」

「ああ、わかったよ」

 リウに促され、私は水桶に入っている水を謎の装置に注ぎ入れた。

 結構大きな音がしていた。うるさいというほどではないが、気にかかる程度の音だ。

「どれくらい待ってればいいんだ?」

「え? んー……どれくらいだろ?」

 リウは首を傾げ、考え込んでしまった。

 まあ時計もないし、時間の概念があやふやになってしまうのは理解できてしまう。

 私もこのところ、時間の感覚は曖昧になってきたように思う。

「でも、そろそろいいと思う」

 リウは装置を覗き込みながら、そう言った。

 装置には残り時間等は表示されておらず、何を見てリウがそう断言したのかは定かではなかった。

 まあ、これも経験則に基づくものなのだろう。

 今まで使ってみて、どういう状態になったら汚水のろ過が終了するのか。

 長い間使ってきてわかったことなのだろう。

 その間に、何人の子供たちが腹を壊したり、最悪死亡したりしていたのだろうか。

 そのことを考えると、胸が痛む。

 だめだ、考えるのはよそう。

 私は頭を振って、自分の中に生まれた暗い考えを追い出した。

 もう一度リウの指示に従い、装置の中から水を取り出した。

「これは……本当に凄い」

 装置を通して手に入れた水は透き通っていた。

 少なくとも、先ほどまでの泥水とはわけが違っていた。これは見るからに飲むに足る代物だ。

「ね、凄いでしょ!」

 リウはやはり、自分の手柄であるかのように誇っていた。

 別にそれをとやかく言うつもりはない。ただ気がかりだったのは、この装置が彼女らの生命線であるという点だ。

 なんとかしたいところだが、目下新しい水源を探しに行くだけの余裕は彼らにないのだろう。

「さてと、じゃあ帰ろっか」

「そうだな」

 私がなんと言ったところで、事態は好転したりはしないのだろう。

 だからこの時の私は、リウやジャマルに何かを提言する、ということはしなかった。

 

            ◇

 

 ジャマルが私を嫌っている、というのは既に書いたと思う。

 彼は子供たちのリーダーであり、それ故の責任感と過去に被った不幸によって大人、というものに強い嫌悪感を持っているようだった。

 だからこそ、私は彼にいわれなく嫌われていたわけだ。

 ジャマルに早くここから出ていくように強く言われていた私は、なるべく早く出ていくことを伝えていた。

 伝えていた……のだが、その会話から二度、朝日を拝んだ。

 結局のところ、私は今現在も彼らの輪の中にいた。

「どうしたものだろうか」

 私はため息を吐きつつ、今後の方針を考える。

 子供たちに手を引かれながら。というか取り合いをされながら。

 今まではなんだかんだで仕事詰めの毎日だったのだろう。

 生きていくためには働かなくてはならない。子供とはいえ、それは十分承知しているのだろう。

 だからこそ毎日水を汲みに行ったり、何がしか狩りに出かけたりするのだろうから。

 もちろん、問題は水だけじゃない。食べ物の問題も大きい。

 彼らの食事は大部分が狩りで手に入れた野生動物の肉だ。後はそのあたりに自生している植物など。

 何にせよ、供給は不安定だっただろう。加えて、飲み水はあれだ。

 相当な綱渡りであり、なおかつ今後の見通しもない。

「子供たちだけでは、何かと不便なのだろうな」

 かゆい所に手が届かないというか、欲しい物が手に入らないというか。

 いずれにせよ、じり貧だ。このままでは、いずれ彼らは滅ぶだろう。

 そう思えてしまうほど、ジャマルたちはその日の生活に追われている様子だった。

 そんな中、私というイレギュラーな存在だ。そりゃあ早く消えてくれと思うのが普通だろうな。

 ましてや、大嫌いな大人なのだからなおさらだ。

 私は近々、このコミュニティを出ていこうと思っている。

 けれど、その前に一仕事したかった。

 せめて新しい水源の確保だけでも、したい。

 今日はこれから、そのことをジャマルに提案してみようと思っているところだ。

 なんと言われるだろうか。嫌な顔をされておしまいかもしれない。

 それとも、私の提案に賛同してくれるだろうか。

 この提案は、ジャマルたちにとっても一定のメリットがあるはずだ。

 何せ、新しい水源を探そうというのだから。

 私は立ち上がり、ジャマルを探すためにボロ小屋を出た。

 周囲に視線を走らせながら、歩き回る。すると、少年二人と顔を合わせた。

 先ほど、リウと一緒に水を汲んでいた時にいた、二人組だ。

「やあ、こんにちは」

 私が声をかけると、二人は私を振り返った。

 きょとんとした幼い顔立ち。くりくりとした大きな瞳の奥に私が移っている。

「ジャマルがどこにいるか知らないか?」

 リウの話では、ここにいるほとんどの子供は離せないらしい。

 とはいえ、リウとジャマルの二人で言葉を教えたりもしているとか。なら、こちらの言っていることを理解するくらいのことはできるかもしれない。

 私はそんな淡い期待を抱きつつ、彼らの応答を待った。

 二人は顔を見合わせ、じっと見つめ合う。まるで、意思疎通ができているようだ。

 不思議な光景だった。何せ、言葉を発せない二人の返答を待っているわけだから。

 今までにない経験といえば、その通りだろう。

「……あっちか」

 二人は回れ右をして、指さした。そっちにジャマルがいる、ということか。

「ありがとう」

 私は二人の頭を撫でて、指し示された方へと向かった。

「ジャマル」

 ジャマルはすぐに見つかった。別に隠れていたわけでもないし、当然か。

 声をかけると、ジャマルは不機嫌そうに私を振り返った。

「チッ……何の用だ」

 ジャマルは私を睨み付けながら、続きを促してくる。

 早くしろと言わんばかりだ。

「実は、提案があるんだが」

「却下だ」

 私はまだ、何も提案していないのだが。

「あんたの話を聞く気はない」

「そんなことを言うなよ」

「黙れ」

 静かに、しかしはっきりと拒絶された。

「聞いてくれ」

「しつこいぞ。遊んでいる暇はないんだ」

 まるでこちらの話を聞くつもりはないようだった。

 これでは埒が空かない。どうしたものだろうか。

 私は困り果ててしまって、小さく唸った

 こんな時、リウがいてくれたらきっと、助け船を出してくれるんだろうな。

「このままでいいとは、君だって思っていないだろう」

「黙れと言っている。俺はアンタと違って忙しいんだ」

 ジロリと睨み付けられて、私はたじろいでしまった。

 二回り以上も年下の男に凄まれて二の足を踏むなど、男として情けない限りだ。

 だが、子供たちの長として過ごしてきたジャマルには、やはりというか言いようのない迫力があった。

 とはいえ、これは切実な問題だ。水場の確保は、彼らの生命に直結するのだから。

「私からの提案はこうだ。新しい水場を探そう」

「……クソッたれ」

 ジャマルは悪態を吐くと、私を振り返った。

 どうやら、話を聞く気になってくれたようだった。

「どういうことだ。水場なら既にある。飲み水は確保しているぞ」

 やはりこの手の問題には関心があったらしい。初めて、彼とはまともに会話ができそうだった。

「確かに水場はあった。けれど、あの水場は問題がある」

「そりゃあそうだ。あれだけ汚い水なんて、とても飲めたものじゃあない」

 でもな、とジャマルは続ける。

「それも解決済みだ。なぜなら」

「ろ過装置があるって言いたいんだろう? けれど、それだって永遠に使えるわけじゃない」

 機械ってのは、いつか壊れるものだ。遅かれ早かれ、あれは使い物にならなくなるのが目に見えていた。

 そうなった時が、彼らの最期だ。

 そうなる前に、私が滞在している間にこの問題をどうにかしたかった。

「君は私のことが嫌いなのだろう。大人というものを嫌っているのはよくわかっているつもりだ」

「アンタに何がわかる」

 確かに、私は何もわかっていないのかもしれない。

 本人から話は聞いた。しかしそれだって、実際にその現場を目撃していない。

 本当の意味で、理解しているとは到底言えないだろう。

 それでも、今は言わなくてはならない。

「この件は私が責任をもって行う。だから、信じてくれ」

「何を言って……」

「大丈夫だ。必ず見付けるから」

 私はジャマルに詰め寄り、力強く言った。

 もちろん、勝算などなかった。水源が見付かる算段など付いているはずがない。

 そんなものがほいほいと発見できるのなら、そもそもこんな問題は持ち上がっているはずがないのだから。

 けれども、やるしかなかった。子供たちのためにも。

 何より、ジャマルに嫌われたままというのが辛い。彼もまた、この場に住まう子供の一人だというのに。

 集団のリーダーというだけで、常に肩に力が入ってしまっている状況だ。

 大人が嫌い、というのももちろんあるだろうけれど、そういった責任感のようなものが、ジャマルを支配しているのだろう。

 ジャマルは疑わしげに私を見ていたが、やがてハッと息を吐いた。

「わかった。ただし俺たちは手助けしない。アンタ一人でやってくれ」

「ああ、わかったよ」

 それが精一杯の彼の譲歩なのだろう。

 おそらく今、彼の中ではたくさんのモノが天秤にかけられたはずだ。

「私が責任を持って取り組むさ」

 そう、ジャマルに請け負う。そうだ、これは私が行うべきことだ。

 彼ら、彼女ら……子供たちに対して私が行える、ただ一つのことなのだ。

 やり遂げなくてはならない。

 

 

          ◇

 

 

 とはいえ、アテがあるわけじゃあない。

 当然だ。この世界で水源に心当たりがあったら、苦労して旅を続けてはいないだろう。

 ……いや、続けていたかもしれない。

 それはともかく、だ。

「さてどうするかなぁ……」

 困っていた。この後何をすればいいのかわからない。

 とりあえず、あたりをぶらぶらするしかないのだろうか。

 そんなことを考えて、さてどこへ行こうかと悩む。

「何から始めるべきか」

 思案していると、くいっと誰かが私の腕を引っ張ってきた。

 視線を下げると、そこには小さな人影がひとつ。

 チーだ。どうしたというのだろう?

「どうした? みんなと一緒にいなくていいのか?」

 私はそう問うた。が、チーからの返答はなかった。

 そうだった。チーは言葉が話せないのだった。

 さてどうしたものだろう。

 別にチーのことが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。

 しかし、これからの行うことを考えると、安易に連れまわすわけにはいかない。

 何しろ彼とは会話ができないのだから。意思の疎通は難しいだろう。

「付いてきてくれるのは嬉しいが、今は一人で行くよ」

 私はチーの頭を撫でて、そう言ってやった。通じたのか否か判断が難しいところだった。

 チーはどうやら、私の言葉を理解していなかったようだ。首を傾げ、大きな瞳を私に向けたままにしていた。

「ええとだな……困ったな」

 私は首元を掻きつつ、膝を折ってチーと視線を合わせた。

「私はこれから、危険なことをする。だから、チーとは遊べないんだ」

 これで伝わるだろうか。そんな疑問が私の心の内を占めた。

 しかしというかやはりとうか、チーは小首を傾げたまま、動かない。やはり伝わってはいなかったようだ。

 これはこまったことになった。リウがいれば、なんらかの方法で伝えてくれるのだろうけれど。

 思えば、ここに来てから彼女には頼りきりだったな。何かに付け、助け舟をくれるあの小さな女の子。

 私が同い年くらいの時は、果たしてどうだっただろう。あれほどしっかりと回りが見えていただろうか。

 あの頃は、楽しかったな。まだ、世界は平和だった。

 この子たちは、その平和を知らずに育ったはずだ。そのまま、崩壊へと向かう世界だけを知っている。

 希望などあるはずもなく、あるのはただゆるやかな死へと向かう下り坂だけ。

 我知らず、涙が零れていた。チーが私の目尻を吹いてくれたことで、そのことに気が付いた。

「ありがとう」

 私は微笑み、チーの手を、頬を撫でた。

 彼はくすぐったそうに身をよじり、笑ってくれた。

「……私はこれから少し留守にする。そして君は連れていけないんだ」

 結局のところ、ここにリウはいない。彼女がいなければ、他の子供たちと気持ちを交わすことは私には難しかった。

 だから、まあなんだ。私にできることなど一つだ。

 ただ相手の目を見て、真摯に言葉にする。これに尽きるわけだ。

 果たして伝わったのだろうか。チーはしばし小首を傾げた後、こくりと頷いた。

 そして、どこかへと行ってしまった。

 去り際、彼は一度だけ振り返り、大きく手を振っていた。

 私も、その小さな小さな影に向かって、手を振り返すのだった。

 

 

             ◇

 

 

 一先ず、そのあたりをぶらぶらと歩き回ってみた。

 水源を見付けるという目的がある以上、体を動かさないわけにはいかなかったからだ。

 手助けは期待できない。期待できないのだから、仕方のないことだ。

 幸いにして、体力には自信があった。長年の軍での生活と死地を乗り越えたこと。

 そして何より、世界が滅びゆく中で懸命に生きてきことが功を奏したようだった。

「それにしても、広いな」

 私は小高い丘の上に立ち、周囲を見渡した。

 ぐるりと見渡す限り、緑の大地が続いている。森もあり、どこからか動物の鳴き声も聞こえてきた。

「これは凄いな」

 自然とそんな感想が漏れた。思えば、そうして改めて眺めるのは初めてかもしれなかった。

 美しい。そう思った。人の手の加わっていない森の木々は、一見すると乱雑に見えた。

 だがそれが、自然の荒々しさを表しているように私には感じれたのだから不思議だ。

「……見惚れている場合ではないな」

 そうだ。見惚れている場合ではない。今は、水源を探さなくてはならないのだから。

 私は丘を下り、さらにあたりを見回した。

 何をどうすればいいのか全く見当も付かないが、それでもやるしかない。

「それにしても、こうしてみると壮観だな」

 私は背後を振り返り、嘆息した。

 多くの人が死んだ。たくさんの価値あるものが消失した。

 全く不謹慎だ。それはわかっている。わかっているのだけれど。

 それでも、私は思った。

 美しいと。

 人間の手の入っていない広大な大地。荒れ狂う森とそこに住まう生物たち。

 おそらく、この間遭遇した二頭の怪物たち。あいつら以外にも多くの生物が暮らしていることだろう。

 そんなことをぼんやりと考えていると、背筋にカミナリが落ちたような感覚に襲われた。

 人間の手の入っていない原生的な自然。そんな大自然の中から水場を探すなんて途方もない時間と労力がかかるだろう。

 けれど、動物たちならどうだろうか? 動物たちなら、どこに水場があるのか、知っているのではないだろうか?

 私はそのことに思い至ると、早速動物を探した。願わくば、危険性の少ない小動物だと嬉しいなどと考えながら。

 しかし、探すとなると案外見付からないものだ。

 というか、どういう動物を探せばいいのか、皆目見当も付かない。

 先日のあの怪物のような連中ではないことだけは確かけれど。

 などと思案を巡らせながら、視界に映るものへとぼんやりと意識を向けていく。

「まあそう簡単にはいかないよな……」

 視界に映るものといえば、木々や草花ばかり。動物の影はなかった。

 だからというわけではないが、少しばかり拍子抜けだった。

 先日の二体の怪物との大立ち回りがあったばかりだ。だったら、あれら以外にも何らかの生物がいても不思議ではない。

 にもかかわらず、生き物の気配はなく、それどころか死骸のようなものもない。

 これは一体どうしたことだろうか。

 私はその光景を不思議に思った。

 一般的に考えて、これほどの自然が繁栄しているのであれば、そうした植物を求めて草食動物が現れるはずだ。その草食動物を求めえて、肉食動物も当然やってくるだろう。

 つまり、一種の生態系が形成されていてもおかしくはない。……はずだった。

 けれど今、私の目の前に広がる光景とはどうしたころだろうか。

 植物は生えている。しかし動物はいなかった。

 なぜか。それはわからない。ただ事実として、何もいなかったとうだけだ。

 私はどうしたものかと再び頭を悩ませた。

 それはそうだろう。同意が得られるものだと思う。

 アテにしていた目印がアテにならなくなってしまったのだから。

 私は小さく嘆息した。全く、この後何をどうすればいいのか、皆目見当も付かなっかった。

 さりとて、おめおめと帰るわけにはいかない。ジャマルに請け負ったのだ。新しい水源を見付け出すと。その約束を、簡単に反故にするわけにもいかない。

 私は森の中へと足を踏み入れた。もちろん、その辺で拾った棒で地面に目印を付けることも忘れなかった。

 これは、軍にいたころに叩き込まれたことだった。どんな状況でも、生きて期間できるように、周囲の使える物は徹底的に使うように教えられていた。

 私自身、生き残るために必死で頭に叩き込んだ。それが、役に立つ日が来ようとは思わなかったけれど。

「それにしても、鬱蒼としている」

 人類が繁栄して千年以上の歳月が経っている。その間、人間は自然に手を加え続けてきた。

 その結果として、整えられた、作り上げられた森林の形や生き物の生存区域などができたのだろう。

 それは人類にとっては素晴らしいことだった。だからこそ、繁栄を極めたとも言えるのだから。

 しかし、今はその人類事態がその絶対数を大きく減らしている。それも、唐突に。

 ならば、管理する人間はいない。管理者がいないということは、植物も動物ものびのびと、本来の姿のまま生活をしていけるのだろう。

 その……はずだ。

「全く生物がいない」

 そうだ。全く生物がいない。まるで、何らかの力が働いているかのようだ。

 ごくりと唾液を飲み下した。

 その感覚を、私は知っていた。これまでに、幾度となく感じていた感覚だった。

 侵攻した村や町、もしくは市街地と同じだった。

「逃げた……のか?」

 巨大な恐怖が押し寄せて来たのだ。抗いようのない力が。

 嫌な予感がした。ゾゾゾッと背中を何か薄気味の悪いものがはい回った。

 私はすぐさま踵を返した。

 考えたくない、最悪の予想が私の脳裏を埋め尽くしていた。

 すなわち、死だ。死の予感が私を突き動かした。

 走った。もちろん走ったさ。当然だろう。

 だけれど、間に合うとは到底思えなかった。根拠はないけれど、そんな気がしていた。

 無理だ。絶望的だと思った。そして、その予感は結果として当たっていたわけだ。

 私が戻ると、そこには巨大な怪物がいた。

 先日、私たちが協力して狩ったあのオオカミのような怪物だ。

 それも、一頭だけではない。二頭、三頭、四頭……もっといる。

 仲間の敵討ちに来たのだろうか。オオカミの怪物は逃げ惑う子供たちを追いかけ回している。

 ほぼほぼ間違いなく、オオカミの怪物が子供たちを狩り尽くすのは容易いだろう。

 しかし、怪物どもは彼らを弄ぶように追いかけ回したり、嚙み殺した子供の死体を放り投げて遊んだりしていた。

 仲間の敵討ちに来たのだろうか。それにしては、ずいぶんと悠長なことをしていると思った。

 私は一体どうしたらよかったのだろうか?

 足がすくむ。息が荒くなっていった。

 私は身を低くして、木の陰に隠れた。

 怪物どもはまだ、私の存在に気が付いていないようだった。

 子供たちの泣き叫ぶ声が聞こえてくる。逃げ惑う彼らを、私は助けることができないでいた。

 ただただ、その様子を見ていただけだった。

 どれくらいそうしていただろうか。そろそろ西日が傾き始めようかという頃合いになって、オオカミの怪物たちは姿を消していた。

 そのことに、私は全く気が付かなかった。

 ひたすらに恐怖に耐え、嗚咽を堪えていることしかできなかったんだ。

「……リウ?」

 おそるおそる、木の陰から出ていく。すると、私の視界に凄惨な光景が広がっていた。

 そこには、子供たちの死体が転がっていた。

 ある者は手足を食いちぎられ、ある者は頭部を噛み砕かれていた。

 噎せ返るような血と汚物の匂いがあたりを漂っていた。

 私は我慢が利かずに、その場に蹲って嘔吐してしまった。

 子供たちの死体。それもただの死体じゃない。

 食い荒らされたそれらは、もはやただの塊と化している子もいたほどだ。

「……なんなんだよ、これは」

 ひとしきり胃の中身を吐き出してから、よろよろと立ち上がった。

 もしかしたら、まだ生きている子がいるかもしれない。そう考えたからだ。

 しかし、結論から言ってそれは間違っていた。

 生存者など、いなかった。

「リウ……ジャマル」

 崩れ去った掘立小屋。彼らが住処にしていた場所は、ほとんどがオオカミに荒らされ、破壊されていた。

 最初に見付けたのは、リウの遺体だった。

 彼女はチーを、そして他の子供たちの盾になるようにして、死んでいたのだった。

 体の半分以上を、おそらくはオオカミに食いちぎられてしまったのだろう。失っていたが。

 そして、リウに守られていた彼もしくは彼女も即死だっただろう。下唇から上が無くなってしまっていた。

 またしても、腹のそこからせりあがってくるものがあった。けれど、今度はそれを抑え込むことに成功した。

 二人を、これ以上汚さずに済んでよかった。

 ジャマルも、すぐに見付かった。彼はオオカミどもと戦おうとしたのだろう。

 けれど、無残にも殺されてしまった。その死に様は筆舌に尽くし難いほど、グロテスクだった。

 私は思わず、ジャマルから目を逸らした。リウや他の子供たちとはわけが違う。

 ボロ布のようにズタズタにされていた。

 私はその場に膝を突き、彼に対して謝罪した。

「……すまなかった。すまん」

 何度も謝罪した。

 けれども、実際に私は何に対して謝っていたのだろう?

 罪の意識を感じていたのだろうか?

 自分の心がわからなくなってきていた。

「……せめて、埋めてやろう」

 私は子供たちを全員、埋めてやることにした。

 きっと、長くかかるだろう。それでも、だ。

 唐突に訪れた別れに、私は胸の奥にぽっかりと穴が空いたような気がしていた。

 ――結局、ジャマルとは仲良くなれないままだったな。

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