第四話 こどもたちの国 中
ふわふわとした、現実離れした感覚がようやく抜けてきたのは、もうすっかり夜も更けてきた頃合いだった。
とっぷりと日が暮れ、あたりは真っ暗になっていた。
私たちの姿を照らすのは、小さな焚火だけ。
「……一体、何が起こったんだ?」
あれからそこそこの時間が経っただろうけれど、今だに自分の身に起こったことが理解できていなかった。
どうして、あんなことが起こったのだろう。
昼間、リウとともに見た怪物。ついぞ正体は分からなかった。
何かの要因で特殊な進化を遂げた個体なのだろうけれど、私にはその道の専門知識は皆無だ。仮説を立てることすら難しい。
正体が分からないまま、私は茫然と炎を見ていた。
パチパチッと爆ぜる音が、耳に心地いい。
「……大丈夫か、あんた」
そう言って、私の隣にやってきたのは、一人の青年だった。
年齢は十代後半だろう。きりっとした目許が印象的な、綺麗な顔立ちだ。
「ああ……まあ大丈夫だ」
私は彼――ジャマルにそう応じる。別段気にしていたわけではないのだろう。反応は淡泊なものだった。
「そうか。しかし、今日は運がよかった」
「運が……よかった?」
「ああ。あれだけの肉が手に入ったんだからな。これで三日は繋げるだろう」
「三日……」
あの後、巨大生物はジャマルと、彼が引き連れてきた仲間たちによって殺された。
数人がかりで今いる拠点へと運び、解体されて跡形もなくなってしまった。
ただの肉の塊へと切り分けられる。その作業を、まだ十歳に達したばかりの少年少女が行っている光景は、私の胸に言い表しようのない不快感を与えた。
仕方のないことだと頭では理解している。他に人間はいないのだから。
そう、ジャマルたちの暮らすこの土地では、大人はいなかった。
子供たちだけだ。最年長はおそらくジャマルだが、彼も自分の正確な年齢は知らないらしい。
ただただ、今日を生き延びることに必死で、そんなことに気を配っている暇などありはしないのだという。
それはそうだろう。そうでなければ、こんな場所でこんな生活はしていないはずだ。
幸せ……なんだろうか。笑顔は多いが。
先日、仲間が死んだばかりだというのに。なぜこうも幸せそうにしていられるのだろう。
「……なぜ、君たちはこんな生活をしているんだ?」
「なぜ……ってなんだ?」
ピリッと、ジャマルの纏う雰囲気が変わったのがわかった。
明らかに苛立っていた。それはそうだ。
こんな生活、なんて言われたら私だって苛立つだろう。
「仕方がねぇだろう。あんたが昔どれだけ立派だったか知らねぇが、俺たちは他の生き方をしらねぇんだから」
馬鹿にしてるのか、と彼の目が問うていた。
別に馬鹿にしているわけではない。ただただ、気になっただけだ。
一体何が、ジャマルやリウや、他の子どもたちにこんな暮らしを敷いているのかを。
「……元々、俺たちは孤児だった。戦災孤児ってヤツだな」
「戦災、孤児?」
「ああそうだ。俺は父親の顔なんてしらねぇ。母親は腕一本を残して爆弾で死んだ」
その光景を想像すると、腹の奥がむかむかしてきた。食べた肉を戻しそうになる。
「それからすぐのことだ。俺の家に、変な奴らが上がり込んできた」
「変な奴らって?」
「知るかよ。母さんが死んでから、何日も経たない内にな」
黒い服を着た、屈強な男たちだったという。
ジャマルの近所の人間が、そいつらから多額の金をもらってジャマルのこと教えたのだと語ったのだとか。
「綺麗な顔をした線の細い子供がいるってな」
ハッと、彼は何かを小馬鹿にするように笑った。
「いわく、俺は金で売られたんだ。近所のババアに」
金で売られた。その言葉に、愕然とする。
戦地では、そんな話は聞いたことがなかった。そんなゴシップを仕入れる余裕もなければ、聞く余裕もなかっただろう。
ジャマルは、男にしては綺麗ない顔立ちをしていると思う。
どこかの変態が幼い彼を欲しがったとしても、ありえそうな話だと思った。
「乗せられたトラックには、大勢の子供がいたよ」
「それが……」
「ああ……リウやスーやチーたちだった」
先日の爆発が思い起こされる。
あの時に吹き飛ばされた子供の名前は、一体何だったか。今や私には思い出せなかった。
「話は終わりだ。ともかく、俺たちは今、こうして生きている」
ジャマルは溜息とともに、話を打ち切った。
あまり楽しい話ではないから、当然と言えば当然か。
私はそれ以上、彼らの過去を詮索しまいと誓った。
全ては終わったことだ。取り返しの付かないことだ。
忘れるわけにはいかない。が、これから生きていくことを考えると、必要のないことでもある。
仮に……もし仮に世界が元通りになったとして、彼らが父親や母親になる日が来るのだとして。
その時には、ただめ一杯幸せになってほしいと、心から願うばかりだ。
◇
夜もだいぶ更けてきた。さてそろそろ寝ようかという頃合いだ。
子供たちの中には、この時間帯には既に眠っている子も多いのだろう。何度も大きな欠伸をしている子もちらほらいた。
子供たちはなぜか私の側に近寄ってきた。
話しかけてくるわけでもなく、微妙な距離を保ったまま、ちらちらと私を見てくる。
ここには子供たちだけしかいない。昼間は主にリウと行動をともにしていた。
彼らと触れ合う時間はなかった。この場に大人がいることが珍しいのだろう。
私はしばしの試案の後、子供たちを手招きした。
「こっちに来たらどうだ? 一緒に眠ろう」
できる限り、朗らかに言ったつもりだったのが、果たしてどう思っただろう。
何はともあれ、一人の少年がおずおずと近付いてきた。
私は彼の頭を一撫でし、自分の隣を示す。
年齢は五歳前後といったところか。リウやジャマルと比べると、幼い。
いや、ジャマルもリウも十分子供なのだけれど、しかしこの時目の前にいた少年はさらに幼く見えた。
ジャマルやリウたちと比べると、どうしても。
彼が私の側に腰を下ろすと、後から数人の子供たちが私の側に寄ってきた。
先ほどのジャマルの言葉が脳裏を過ぎる。
いわく、戦争によって両親を失った彼は、危うく人買いに買い叩かれるところだった。
この子たちも、大なり小なり同じような事情を抱えているのだろう。
大人というものを信用できず、けれども父親、母親という存在に飢えている。
さて、私がどれほど父親代わりになれるのかわからない。が、こうして慕われるのは悪くない気分だった。
――もしかすると、少佐も同じような気持ちだったのだろうか。
以前どこかで出会った、少年と少佐のことを思い出していた。
彼らは今頃、この星のどこかで我々を見守っているのだろうか。
などとセンチメンタルなことを考えていると、私の袖を引っ張ってくる誰かの気配があった。
私が視線を向けると、そこには男の子がいた。確か、チーと呼ばれていた子だ。
彼はくりくりとした大きな瞳で私を見上げていた。とても愛らしい子だ。
チーは両手に何かを持っていた。それを私の目の前に出してきた。
花だった。小さく、けれど美しい二輪の花。
「ええと……これを私に?」
私が訪ねると、チーはこくんと頷いた。
会話はまだできないらしいが、こちらの意図は伝わっているようだった。
どうしたものだろう。受け取っていいものだろうか。
私が首を傾げていると、後からリウがやってきた。
「受け取ってあげて。チーはあなたに感謝しているから」
ニッと白い歯を覗かせるリウの言葉に従って、私はチーから花を受け取った。
そういえば、子供の頃はそこら中に花が咲いていたな。私にとって花とは、いつもあって当たり前のものだった。
いつからだろうか。花を愛でることをしなくなったのは。
なぜか、昔のことを思い出していた。まだ、あの戦争が始まる前の平和な時代だ。
私が子供の頃のこと。幻のような時代だった。
「ええと……だい、じょうぶ?」
くいくいっと、リウが私の服の裾を引っ張っていた。リウ以外にも、私の周りにはチーを始めとして、たくさんの子供たちが集まっていた。
みんな、私を心配そうに見上げている。
なぜだろう? 私は自分の顔に触れた。そこで、私は泣いてしまっていたことに気が付いたのだった。
「だ、大丈夫だ」
自分が泣いていることに気付いた途端、私は何とも言えず恥ずかしくなってしまった。
体中が火照っている。顔が熱い。
後から考えてみると、あの場面でああやって泣いてしまったのだとしても、仕方のないことだっただろう。
けれど、この時の私はとても恥ずかしかった。
「さあ、みんな食べたろ。そろそろ寝よう」
私は苦し紛れにそう言って、立ち上がった。
寝る、とは言ったものの、果たしてどうやって眠ればいいもいのか。
このところ、野宿には慣れてきた。私もそろそろサバイバーとして一人前になってきたように思う。
そうした環境と比べると、簡単な屋根や壁があるこの場所で眠るのは、簡単なことだ。
簡単な……ことなのだが。
「……暑苦しいな」
私はチーに手を引かれ、彼が寝泊まりしているという彼の家? にお邪魔した。
床はほとんど地面だった。その上に、薄汚れた布を敷いて眠っているのだそうだ。
まあそれはいい。仕方がないと思っておこう。
さりとて、問題はそれだけではなく。
「君たち、ちょっと離れてくれないか」
私の周りには、たくさんの子供たちがいた。
ここはチーの家らしいので、彼がいるのは当然として、チー以外の子供たちもチー宅に押しかけている。
「ふふ、みんなお父さんに憧れてたから」
私の耳元で、リウがそんなことを言う。
お父さんって……私はまだ所帯を持ったことがないのだが。
父親とは、こういう気分なのだろうか。
私は、私を取り囲む子供たちを見回しながらそんなことを考える。
幼い頃、両親とともに眠っていたことをぼんやりと思い出していた。
父と母は、どんな顔をしていただろうか。寝物語に、何を語ってくれただろうか。
もやが掛かったように思い出せなかった。なんだか、遠い遠い過去のような気がしてくる。
実際、遠い昔のことなのだろうけれど。
「どうしてこんなことに……」
などと呟いてはみるが、別に悪い気はしていなかった。
自分がもしも父親になったのなら、こんな気分だったのだろう。
あまり仲が良くなかった父親とも、同じ価値観を共有できていたのかもしれない。
そう考えると、少しやるせない気分になってくるから不思議だ。
戻ってくることのない過去を胸に抱き、私は目を閉じた。
周りから聞こえてくる、微かな吐息を聞きながら。
子供たちはみな、もう眠ってしまったのだろうか。なら、私も眠ってしまおう。
そう思い、彼らのぬくもりを感じながら、眠りに落ちたのだった。
◇
翌日。日が昇りだした時間。
私は朝日を浴びて、目を覚ました。上体を起こし、伸びをした。
眠れたような、眠れなかったような、曖昧な感じだった。
疲れはあまり取れていなかったが、それでも気分は不思議と悪くはなかった。
「……おい、起きろ」
私はまだ眠っている子供たちに声をかける。近くにいた子供は体をゆすったりもしてやった。
そうしていると、ポツポツと目を覚ます奴が現れ始める。まだ眠そうに目を擦りながら、不満そうなうめき声をあげて。
そうしていると、そういえばチーの姿が見当たらないことに気が付いた。
どこへ行ったのだろう? 軽くあたりを見回すが、彼の姿はどこにもなかった。ともかく、私は立ち上がり、家から出た。
家から出ると、既に幾人かは起きて何らかの仕事を始めていた。
水汲み、家の修繕、そしておそらく狩りのための道具を作っていたのだろう。手製の弓矢らしきものを手にしていた者もいた。
そこにも、チーの姿は見受けられなかった。
「どこへ行ったんだろう?」
別に私が気にするようなことでもないとは思った。
けれど、特別な理由はなくとも、私はあのしゃべることのできない少年が気になって仕方がなかった。
私は行きかう子供たちを注意深く見ながら、チーの姿を探した。
けれども、彼を見付けることはできなかった。ここらへんにはいないようだ。
どうしたのだろう? と勝手に心配になってくる。
不思議だ。彼は別に私の子供というわけではないのに。
一緒にいた機関も短いものだ。それでも、気にかかるのだから。
全く他人の子供を心配するなど、私はどうかしていたのだろうか?
何はともあれ、チーを探さなければと思った。ので、何人かに彼の動向を訊ねて回った。
すると、リウがいた。彼女もまた、朝早くから起きて、働いていたのだ。
リウは私を見付けると、小走りに駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
「チーの姿が見当たらない」
「ああ……それなら心配ないよ」
リウはけらけらと笑いながら、遠くを指差した。
「チーは毎朝、お墓に行ってるんだよ」
「お墓?」
「うん」
リウは元気いっぱいに頷いた。お墓、という単語からは似付かわしくない彼女の態度に、私は首を傾げたのだった。
「何をしに行ったんだ?」
というのは、無粋だっただろうかと後になって思った。
墓に行く理由なんてそう多くはない。
それに、先日仲間を失ったばかりだ。墓参りのひとつもしたくなるものだったのだろう。
日常茶飯事、とは言いつつも、やはり死は彼らにとっても特別なものだったのだろうな。
恐れていたのかどうかは、ついぞわからなかったけれど。
「墓、というのはどこにあるんだ?」
「ええとねぇ、案内するよ」
リウは手にしていた水桶を持ったまま、私の手を握ってきた。
仕事はいいのだろうか? 私はそんなことを思いつつ、リウの言葉に従うことにした。
かわりに、私が彼女の仕事を手伝ってやればいい。そうすれば、遅れた分は取り戻せるだろうとも考えていたから。
「こっちだよ」
リウは私の手を引いて、墓のある場所へと引っ張っていく。
墓……とは、果たしてどんな場所なのだろうと私は思った。
昔、年末になると両親に連れて行かれた先祖の墓や戦地で死んでいった戦友を無造作に埋めただけの共同墓地。
私が知っている墓というのは、いずれにせよろくでもないものだった。
少なくとも、私にとってはそうだった。
だから、墓そのものにはさしたる興味はなかったけれど、チーのことは気がかりだった。
あの小さな背中が悲しみに震えているのかと思うと、胸が苦しくなる。今でもだ。
やはり子供には、笑っていて欲しいと思うのが大人という生き物だろう。
無邪気に、戦争などというものは知らずに。
「ここだよ」
などと薄らぼんやりと考えていると、あっという間に墓とやらに付いた。
「ここが……か?」
「うん」
私の隣で、リウが元気に返事をくれる。
しかし、私はその光景を見た時、ぞっとした。
なぜなら、それは死者を弔う墓としてはあまりにもみすぼらしかったから。
墓……ではない。ただ、そこに大きな木が立っているだけ。
墓標もなく、土を掘り返した跡すらない。
おそらく、誰一人として彼らの仲間はここには埋まっていないだろう。
そう思えてしまうような、そんな場所。なぜここを墓としているのか、部外者である私には、到底理解が及ばないだろうことは明白だった。
きっと、彼らだけが知ることだ。後々になっても、そう思っている。
その木の前に、チーがいた。
たった一人で、ぼんやりと大木を見上げていたんだ。
「…………」
なんと声をかけたものか、非常に悩ましいところだった。
しょせん、私は部外者に過ぎない。先日家族を失ったばかりの子供にかけるべき言葉など、知る由もなかった。
「どうしたの?」
リウが私を見上げ、不思議そうに首を傾げていた。
私は彼女に対しても、どう答えた者かと困惑した。
以前にジャマルが言っていたことを思い出す。
彼が子供たちのリーダーになったいきさつだ。
ああした理由で、リウもチーもこの場にいるのだとしたらどうだろう。
私などに、一体何が言えただろうか
「なんでもない。……なんでもないんだ」
ここは、一度帰ろう。そう思った。
チーが何を考えているにせよ、邪魔をするべきではない。
今は、一人にしておくのがいいだろう。
そういう私の浅はかな思考を読んだわけではないのだろうが、リウが私の手を取って、引っ張った。
無邪気に、ぐいぐいと。チーのもとへと連れて行かれる。
私は彼女の小さな手を振り払うことができず、そのままチーの隣に来てしまった。
私たちの気配を察したのだろう、チーは振り返った。
彼の大きな瞳が、何かを聞きたそうに揺れていた。
「あー……ええと、なんと言ったらいいか」
なんと言ったところで、慰めにもならないのはわかっていた。
それでも、気の利いた一言でも言ってやれれば、彼の心も少しは救われたのだろうか。
けれど、私はチーに対して、何を言うこともできなかった。
大人として、不甲斐ないことだと今でも思う。
しかし、あの時は何を言えばよかったのか、わからなかった。
これを書いている今になってもだ。
「……戻ろうか」
私はチーの手を取り、彼に微笑みかけた。
チーは私の手をじっと見つめ、それから墓としている大木の方を見やった。
それから、私はチーとリウの二人とともに、戻っていくのだった。
続
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