48話 初めての握手会

「う~、緊張するなぁ……」


 アイドル活動を始めて1ヶ月。既に色々な仕事を経験してきた私だったけれど、今日が一番緊張しているかもしれない。

 今日はメンバーに転向してから初めての握手会なのだ。

 どんな人たちが来るのだろうか?楽しみよりも怖さが勝っていたのは……例の3ちゃんねるのまとめサイトのせいだった。


 あの日以降、怖くて流石にまとめサイトは見ていない。

 他のメンバーに関して書かれた記事を見ることも怖かった。その記事の穿った見方がもしかして当たっているかもしれない……なんて思ってしまったら、その子を見る目が変わってきてしまいそうだった。

 もちろん自分のことを見るのも怖かった。自分の一つ一つの言葉や行動が誰かに批判されているかもしれないと思うと、萎縮して何も出来なくなりそうだった。


 いや、もちろんマネージャー時代から握手会は間近で見守ってきたわけだが、そんなに殺伐とした雰囲気ではない。全然ない。

 色々な人が来るが、ほとんどのファンは推しに会えるだけで天に昇るように幸せを感じ、推しへの愛をただただ伝える……という場である。頻繁に通って認知(アイドル側がオタクを覚えていること)されていれば、もう少し雑談的だったり込み入った話をすることもあるが、根底には推しへの愛しかない。


 だが稀に、アイドル側に苦言を呈したり、アドバイスと称して説教染みた話を延々とするというオタクもいる。

 オタク側に言わせれば愛ゆえの行動なのだろう。「推しがより向上してゆくために自分が嫌われ役となってでも伝えなくてはならない!」というのがその理屈なのだろうが……大抵は自分勝手な願望を押し付けているだけに過ぎない。ほとんどの場合オタクに言われるまでもなくアイドル本人は自分のダメな所はきちんと把握しているし、本人が気付けていないならば近くの大人やメンバーがそれを注意している。

 だからはっきり言ってその自己顕示欲を満たすだけの行為は推しにとって迷惑でしかないのだが……もちろんその場ではアイドル本人は嫌な顔一つ出来ない。

 その場ではニコニコと笑って……あるいは真剣にアドバイスを受け入れるように話を聞き、裏に戻ると泣いているメンバーの姿を私は何度も見てきたのだ。


(……しかも私の場合は特殊だからなぁ……)


 一番はやはりマネージャーから転向してきたという点だ。

 WISHの純粋なファン……それも長年のファンであればあるほど、私のような急に出てきた人間をメンバーとして認めることに拒否反応を示す人は多いだろう。WISHはいつの間にそんな色物アイドルになったんだ!と怒る人がいてもムリはない。

 コンサートの時の観客の手応え、それから最近のメディアでの仕事に対する反応を見ていると概ねは好ましく受け入れられているような気がするが……コアなファンはその限りではないかもしれない。もしかしたら意を決した古参のオタクが来るかもしれない。

 当然私は自分の男性恐怖症の問題も気になっている。近年は症状が出ていなかったとはいえ……そうした事象の多くは心理的ストレスが原因だ。長時間男性と近い距離で接しているうちに蓄積したストレスで症状が出てくることも考えられたし、何か一言が大きな引き金となることも考えられた。


(……そうなったら、ヤバいよね?)


 もちろん自分自身のアイドル活動に支障を来すというのも……半年間だけでも全力で行うことに気持ちは傾いているので……残念ではある。だがそれ以上に運営側としての経験を積んできた私には、既に先々まで予定されている仕事をキャンセルしなければならないことのデメリットが大きく見えている。話題提供としての自分の存在意義も見えていた。

 ……なんか、外堀から埋めるように社長に既にプレッシャーを掛けられていることに今さらになってようやく気付いた。


(……半年経ったら本当に辞めれるんだよね?)


 まあ良いや、今は……。

 先々のことを考えて憂鬱になっているヒマはないのだった。

 目前の握手会に集中しなければ!




「ねえねえ、彩里さいり。……私、大丈夫かな?コスプレ感出てない?」


 落ち着かない私は、隣にいた高島彩里たかしまさいりにに尋ねていた。

 WISHの衣装は既に何度も着ていたのだけれど、目の前にファンが来るとなると彼らにどう思われるのかと心配になっていた。

 ……まあそもそも、前世の俺から見ればこの生活そのものがコスプレという気もするのだが。


「大丈夫よ!めちゃくちゃ似合ってるって!『麻衣ちゃんはとっても可愛い!』……はい、復唱!」


「は?……まいちゃんはとってもかわいい?」


「ダメダメ、声が小さい!『麻衣ちゃんはとっても可愛い!』……はい!」


「私はとっても可愛いです!!!」


「はい、オッケー!……まあ、分からないことあったら何でも聞いてね……って麻衣ちゃんは握手会自体は何度も見てきてるから大丈夫かな?」


 今日は彩里とペアでの握手だった。

 初めての握手会で彩里とのペアというのは心強かった。社長の気遣いなのかもしれない。


「はい、間もなく開場致しま~す!よろしくお願いします!」


 メガホン越しのスタッフさんの声が響き、私は唾を飲み込んだ。






「初めまして、小田嶋麻衣です!今日は来てくれてありがとうございます!」


 何事も最初が肝心だ。

 意識的に大きく声を張って自分から来た人を迎えに行く(狭いブース内なので動けるスペースはほとんどないのだが)。

 最初のお客さんは若い大学生くらいの男子だった。眼鏡を掛けた大人しそうな印象の子だ。


「あの!……僕、ドームで麻衣さんと眼が合ったんです!あの時から一生麻衣さんを推していくって決めたんです!」

「え、ホントですか!ありがとうございます!」

「こんなに近くで会えてボクとても嬉しいです!あの時僕は運命を感じたんです。今までは他のメンバーのことを推していたんですけど、これから……」


「はい!お時間で~す!」


 彼はまだまだ伝えたいことがありそうだったが、剥がしと呼ばれるスタッフさんに半ば強制的に移動を促され退場していった。


「ありがとう、また来てくださいね~」


 去り行く彼に言葉を掛ける。

 ファン心理としては去り際まで声を掛けてもらえるのはとても嬉しいものだろう。

 しかし、一人当たり10秒というのが握手会での原則だが、とても短く感じる。

 

「こんにちは、初めまして!」


 次に来たのも若い大学生くらいの男の子だった。さっきの大人しそうな印象の彼とは違い、紙を金髪に染め服装からもややオラついた雰囲気が感じられる。



「……麻衣さん、今彼氏とかいるんすか?」

「へ?……いないいないいない!!」

「じゃ、俺とかどうすか?」

「は?……そうね、キミまだ学生さんでしょ?経済的に自立していない人を私は恋愛対象とは見られないかな、残念だけど。でもキミくらい度胸があればきっともっと素敵な……」


「はい!お時間です!ありがとうございました~!」


 ……話している途中で剥がされていってしまった。

 いや、というか何だ?いきなりとはハードル高すぎんか?

 ガチ恋とは、文字通りアイドルに対してガチで恋しちゃってる人たちのことだ。

 アイドル文化についてあまり知らない人によく言われるのは「アイドルは疑似恋愛を商売にしている!アイドル側も思わせぶりに振舞うことで金を貢がせているのだ!」という点だ。

 もちろんこうした面もゼロではない。さっきの彼のようなファンもたまに現れる。

 しかし大多数のファンは、本気で自分の推しと恋愛関係になろうとは思っていない。アイドル活動の範囲内で自分の推しが活躍することを本気で願っている健全な人たちばかりだ。

 ……いや、もちろんそれ以外の推し方が間違っているわけではない。ルールさえ守ってもらえばどんな思惑で応援しようと構わない。ただWISHのような国民的なグループのメンバーに対してガチ恋になれるオタクは……相当なメンタル強者だな、という気はするが。

 あ、いや、もちろん何が起こるか分からない……というよりも、何でも起こり得るのが人生というか世界だ。国民的アイドルだろうと1人の女の子なわけで、彼女たちもいずれは恋愛をして結婚もしてゆくのだろう。その相手となる男性がこの世の中に1人は存在する……というのが不思議な気がする。

 もちろんガチ恋勢となるのは、ほとんどがメンバーと同年代の若い子たちだ。その恋が実ることは無いと思うけれど、そのエネルギーは素直に羨ましい。


 ……いや、にしてもさっきの私の対応はどうだったんだろう?

 あまりにマジレス過ぎやしなかったか?彼も心なしかショボンと肩を落としていたような気がする。

 私がマネージャーとして傍で見ていたら「もう少し上手に対応出来るようになると良いね」って言っていそうな気がする。ウソを吐く必要はないけれど、相手を傷付けないような言葉のチョイスというかさ……ってそんな咄嗟に出て来ないってば!難しいな!


 前途多難だなぁ……。最後まで乗り切れるかなぁ……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る