18話 自宅潜入!?

 料金を払い、2人でタクシーを降りた。

 彼女はすでに泣き止んでいたが、何かほんの些細なきっかけでまた決壊するのではないかと思い、俺は彼女を自宅まで送り届けることにした。

 平日真っ昼間の都心の駅前。誰かがもし「黒木希だ!」と気付きでもしようものなら、その時は刺し違えてでも彼女を守るつもりだった。

 だが東京の人々は皆自分の仕事や所用に忙しいのか、タクシーから降りた美女2人にさして関心を示しはしなかった。


 駅前から徒歩3分ほどの高級マンションの一室が彼女の自宅だった。

 タクシーを降りてからの彼女の足取りは意外としっかりしており、俺も少し安心した。


「……うん、麻衣ちゃん。こんな所までわざわざごめんね」


 自室のドアの前まで来ると、彼女はそう告げて俺を帰そうとした。


「ダメですよ……。病院で測った時は熱も38度以上あったんですし、食料とか飲み物とかはあるんですか?」


「あ、ない、かも……でもホラ、これもダイエットの良い機会かも……」


「ダメですよ、こんな時に何言ってるんですか……私適当に買ってきますから。むしろ2、3キロ太るくらい食べて下さい」

 

 あんなに華奢な身体で……と続けようかと思ったが、さっきまで抱き合っていたことを思い出させるのが悪い気がして、それは止めておいた。


「うん、じゃあ、お願いしようかな……」


「その前に着替えちゃいましょう。失礼します」


「え、ちょっと。それは一人で大丈夫だって……」


 彼女のやんわりとした制止をやんわりと押し切って、俺は彼女の部屋に入った。

 部屋は最新のデザインのマンションらしく、シンプルながらも洒落た内装の部屋だったが、それほど広くはなかった。


「……散らかってるって言ったじゃんか。だからあんまり見られたくなかったの……」


 部屋に入ると希は観念したようにそう呟いた。


「こんなの散らかってるうちに入りませんよ。……今度ウチに来てみて下さい。もっとヒドイですから」


 確かに部屋着がソファの上に脱ぎっぱなしになっており、ローテーブルの上にはファッション雑誌が何冊か読みかけのまま置いてあったが、その程度だった。

 

「着替え、これで良いですか?」


 俺はそのソファの上のスウェットを指したが、彼女は首を振った。


「それは、洗濯。……ベッドのやつ、持ってきて」


 ソファに腰を下ろした彼女は、精神年齢が15歳くらい若返った子供のような口調になった。その変わり方が心配にもなったが、そんな姿を見せてくれたことが嬉しかった。あと単純にめちゃくちゃ可愛いかった。……見たかドルオタども!天下の黒木希もこんな無邪気な表情をするんだぞ!


(ベッドのやつ……って、これか)


 彼女の言葉は少し足りず、それが何を指しているのか分からないまま寝室に向かったのだが、確かにベッドの横には可愛らしいチェストが置いてあった。

 シックで高級感あふれるこの部屋には不釣り合いなプラスチック製の安っぽいものだった。もしかしたら彼女が昔から愛用している物なのかもしれない。

 若いとはいえトップアイドルの彼女には相当な収入があるはずだが、本当の身近な所にはそういった物を置いておきたい……という彼女の庶民的な感覚が垣間見えた気がした。

 

(まあ……定番のこれかな?)


 チェストの中から、女性のルームウェアとしては最も有名であろうブランドのモコモコのやつを選び、リビングの彼女の元へと持っていった。

 

「希さん?これで良いですよね?」


「あ、うん……でも、下着も、替える」


「し、下着は、替えたかったら自分で替えて下さい!」


 俺もチェストの他の段にブラやショーツが入っていることには当然気付いていたのだが、あえて見ないようにしたのだった。


「え~、ケチ~」


「ケチでも何でも、それくらいは自分でやって下さい!……とにかく私はその間に買い出しに行ってきますから。きちんと着替えてさっき病院でもらった薬をしっかり飲んでおいて下さいね!」


「え、もう行っちゃうの?……ダメだよ?」


 ソファに座っていた彼女に手首を掴まれ、離れようとしたところを引き止められた。

 ……何なの?今日は?まるで幼児みたいな甘えん坊さんモードってわけ?……まあ体調が悪いから仕方ないのかもしれないけどさ、いつものクールな完璧モデルモードとのギャップが大きすぎるだろ!

 吸い込まれそうなその大きな瞳の誘惑をグッとこらえ、彼女をソファに押し戻す。


「絶対にすぐ戻ってきますから!……ね?」


「……本当?約束だよ?」


 


(……ふぅ) 


 なおも渋っていた彼女をなだめ、部屋を出たところで自然とため息が漏れた。

 彼女が最初、俺を自分の部屋に頑なに入れなかった訳が少し分かったような気がした。多分、部屋を一歩出たところから彼女はスイッチを入れているのだろう。皆が望む『黒木希』というトップアイドルを演じているのだろう。もしかしたら彼女自身には演じているという自覚もすらないのかもしれない。それくらい普段の彼女はナチュラルで嫌味がなかった。

 

 部屋に入るのを拒んでいたのは、もしかしたら男性の影があるのではないか?と俺はチラッと思っていた。同棲しているとまでは流石に思わないが、何か彼氏の痕跡を匂わせるような物があるのかもしれない……と邪推していた。でも恐らくそういう訳でもなさそうだ。

 WISHは当然恋愛禁止を掟にしていた。俺もそれが当然だと思っていたし、かつてまだ単なるオタクだった頃は、メンバーにスキャンダルが出る度に本気で悲しくなったし怒りも湧いてきた。

 でもここ最近、黒木希のマネージャーとして彼女と行動を共にするうちに「世間に絶対にバレないのであれば、恋愛をしていても構わないのではないか?」と思うようになっていた。

 彼女の抱えているプレッシャーやストレスを考えると、精神的に彼女を支える存在が必要だと思えてきたからだ。きっと恋人にしか支えられない部分があるはずだ。

 でも恐らく希にはそういった男性は存在しない。プライベートまで完璧なアイドルなのはもちろん間違いなく素晴らしいことなのだが……今日垣間見せた彼女の姿を見ると少し心配になる。




 近くのコンビニで、スポーツドリンクや水、それにレトルトのお粥や簡単に食べられそうなものを購入した。ふと思い出し、果実の入ったヨーグルトも3つほどカゴに入れた。それは彼女の好物で、合間によく食べているのを思い出したのである。栄養的にもビタミンもタンパク質も取れるので、食欲がない今の状態にもぴったりの物だ。


 コンビニを出ると少し早足で希の部屋に戻った。

 案の定彼女はソファに突っ伏して、そのまま寝ていた。


「希さん……希さん!こんな所で寝ないで下さい。ベッドまで行きましょう」


 ふと見ると、上はしっかりと例のモコモコのパジャマに着替えていたが、下の方はまだ下着姿で、その傍らには下着が脱ぎ捨てられていた。着替えの途中で力尽きてしまった、ということだろうか。

 どうしようかと迷ったが、そのままベッドまで運ぶことにした。あまり下着姿を直視しないように気を付けながら、彼女の背中と太ももに自分の手を差し込みお姫様抱っこのような体勢を作る。


(う……なかなか、重い)


 恐らく50キロに満たない程度の体重なので、元の松島寛太としての感覚からすれば軽いものなのだが、今の俺は同程度の体格の女性の身体でしかない。

 何とか苦労しベッドまで彼女を運び、パジャマを着させる。

 ふと気になって確認すると病院からもらった薬はまだ封が空いていなかった。


「希さん。……希さん!お薬だけでも飲んじゃって下さい!」


「……う、ん?」


 このまま目を覚まさずに、口移しルートに突入か?とドキドキしていたが、流石にそこまでの勇気は俺にはなかった。目を覚まして薬を飲んでくれた彼女にホッとした。



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