黒木希

10話 エース黒木希

「じゃそういうことでよろしくね、麻衣ちゃん……あ、そうだ丁度いいわ!ちょっと付いてきて」

 

 そう言うと社長は返事も待たず俺の手を握り、そのままどこかへと連れ出した。なんだか転生してから、やたら女性から身体的接触を図られる気がするのだが……。女性同士でも美少女相手には触れたいとか抱きしめたいとか思うものなのだろうか?。……まあ女性には拒否反応も出ないし、そもそも俺は元が男なので女性は好きであり身体的接触も全然イヤじゃないというかむしろ好ましいというか嬉しいというかウエルカムではあるのだけれども、同時にドキドキして困るのだが。


「入るわよ~」


 コンコン、と軽くノックをすると社長は向こうの反応も待たずにドアを開けた。


「あ、社長。お疲れ様です」

「お疲れ様で~す」

 

 こちらに向かってにこやかに会釈を返してくれた数人の人間がいた。


(わ、メンバーだ!あの子もあの子も……マジで画面越しに見てきた姿のままだな!いや、画面では顔面ばかりであまり注目されないけれど、スタイルがすごいな!)


 ここ数年、自分の命に関わるだけにそうせざるを得なかったという側面はあるが、ずっと追いかけてきたWISHのメンバーを生で目にしたことに俺は興奮していた。……普通にファンとしての反応だったかもしれない。生で見るメンバーたちは皆、驚くほど華奢で小顔で髪の毛が艶々していて全身からキラキラとしてオーラを放っていた。俺ももちろん一般人の中では美少女だともてはやされてきたが、それとは違った完成された美しさを皆がまとっていた。


 連れて来られたのは、ずらりと衣装が並んだフィッテイングルームだった。

 デビューから5年が経ちWISHは沢山の曲を世に出してきたが、曲ごとに世界観に合わせて衣装を変えてきたのも一つの特徴だ。それがずらりと勢ぞろいした様は壮観だった。

 しかもメンバーたちは新衣装のフィッテイングをしていた。小さな個室が用意されており着替えはその中で行うようで、流石に目の前で下着姿になることはなかったが、それでもヒラヒラとしたスカートの裾から覗く脚や胸元は無防備でドキドキした。女性しかいない空間ということで彼女たちも気を許しているのだろう。

 突如目の前に広がった、あまりに華やかな世界に俺はめまいを起こしそうだった。


「は~い、みんな紹介するわね。今度新入社員として入った小田嶋麻衣さん。みんなのマネージャーとして付いてもらうからよろしくね」


「小田嶋麻衣です。よろしくお願いしまう!」


 ……社長の紹介に反射的に頭を下げたのは良かったが、見事に語尾を噛んでしまった。それでも彼女たちはよろしくお願いします、とにこやかに応答してくれた。


「麻衣ちゃんにはね……最初、のぞみを担当してもらおうかしらね。マネージャーはみんな3~4人を担当するんだけど、希は忙しいから専属で付いてもらうわ」


「は、はい!」


 希という名前が誰のことを指しているのか頭が追い付いていなかったが、とりあえず返事をしておいた。


「小田嶋さんね。黒木です、よろしくお願いします」


 だが社長のその言葉によって姿を現した女性を見て驚いた。


(黒木希!……本物だ!)


 黒木希。WISHの絶対的エースといって良い存在だ。

 抜群の美貌で女性ファッション誌のモデルも務めており、女性からは「今なりたい顔」のランキングで一位に選ばれるなど、絶大な人気を誇る憧れの存在だ。クールビューティーなルックスで、グラビア誌などにも頻繁に登場しもちろん男性からの人気も高い。

 WISHが『清楚なお姉さん系のグループ』としてお茶の間の認知を得たのは、彼女による功績が最も大きいだろう。

 その微笑みの眩さは、思わず後ずさりしてしまいたくなるほどであった。

 もちろん俺も神から与えられた美貌を持った存在ではあるのだが、彼女の美貌はプロの手による隅から隅まで完璧なものであり、素材だけの俺とは比べるべくもなかった。


「小田嶋麻衣です。よろしくお願いします」


 頭を下げた俺の手を彼女は不意に握ってきた。


「小田嶋さん……凄いキレイですね!」

 

 その一言に他のメンバーも集まってきた。

 

「え?ホントだ!メンバーより可愛いんじゃない?」

「あの、マスク取ってみてくれませんか?」


 画面越しに見てきた美少女ばかりが自分の周囲に集まり、キラキラした笑顔をこちらに向けているのだ。俺は耳まで赤くなっていくのが自分でも分かった。

 もうマジで解放して欲しかったのだが、暴力的なまでにキラキラした視線は未だこちらに向けられて何かを期待されているようだった。仕方なくマスクを外そうとしたところで社長が間に入ってきてくれた。


「はーい、みんなまだ衣装合わせが残ってるんでしょ!早くしないと時間なくなっちゃうわよ。麻衣ちゃんとはマネージャーとしてこれから毎日会えるから!」


 はーい、と言いながらメンバーたちは自分の持ち場に戻っていった。

 残されたのは社長と俺と、黒木希だった。


「じゃあ改めて2人ともよろしくね。今までは社長の私が希のマネージャーとして現場に付いていったり、他のマネージャーと分担していたんだけど、やっぱりちゃんと担当を決めた方が良いってことになってね。……今日はこの後、テレビの収録が一本あってその後はダンスレッスンだから、麻衣もとりあえず現場に行ってどんな感じか現場の雰囲気を覚えていってちょうだい」


「は、はい。頑張ります!」


 時刻はもう17時を回っていた。

 テレビ収録がどれくらいの時間が掛かるのかは知らないが、その後ダンスレッスンということは深夜まで稼働するということなのだろう。そういえば大規模なホールコンサートのツアーももうすぐだったはずだ。そこに向けてのレッスンなのだろう。


「ま、あんまり気負い過ぎないでね。希はしっかりしてるから、本当はマネージャーなんていなくても大丈夫なのよ。ただ流石にこれだけスターになっちゃった彼女の現場に誰も付かないのは、会社として恰好が付かないでしょ?とりあえず現場に付いていくだけで良いから」


「え、社長がそんなこと言って良いんですか?」


 拍子抜けするような言葉だったが、肝心の黒木希本人もそれを聞いて笑っていた。もちろん新人マネージャーである俺を緊張させないようにという配慮が含まれているのだろうが、思っていたよりも緩い業界なのかもしれない。




 だが、その後再び2人になった時の社長の表情は少し違っていた。


「あのね、麻衣……。希がしっかりしてるのは本当よ。しかも今のWISHの人気を支えている看板なのも間違いない。……だから彼女が感じているプレッシャーは相当なものだと思うの。私はあの子を最初のオーディションから見ているから、戦友みたいな感覚もあるのね。でも同時に事務所の社長としてを売らなければいけないの。……だからあの子もきっと、私には本当の意味で心を開けないのだと思う」


 今までずっと明るく笑っていた社長のシリアスな言葉に、俺は反応を失った。


「お願い、麻衣。あの子を支えてあげて。……私や他のメンバーにも言えない苦労をあの子は抱えているかもしれない。もちろん私の思い過ごしで、そんなものはないかもしれない。……それならそれで構わない。あの子を支えてあげて」


「は、はい」


 思わず俺も言葉に熱が入った。

 今まではずっと自分の命を守るためにこの仕事に就くことしか考えていなかったが、本当にマネージャーという仕事を頑張ってみようと初めて思えた瞬間だった。



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