11話 アイドルって大変なのね……

 その日から俺、小田嶋麻衣はWISHの絶対的エース、黒木希の専属マネージャーとなった。


(……いや、マジで人間の仕事じゃねえな!)


 最初の3日間の仕事を終えた時に出てきた感想はそれだった。

 まあとにかく忙しい。早朝から深夜まで、分刻みのスケジュールで様々な現場に彼女は引っ張りだこだった。今日は先輩マネージャーが代役に入ってもらい、俺は休みをもらっていた。もちろん黒木希本人は今日も早朝から仕事だ。

 バラエティ番組のテレビ収録。CMの撮影。レギュラーモデルを務める女性ファッション誌の撮影。その他の雑誌やメディアの膨大な数のインタビュー。……いわゆるタレントとしての仕事だけで彼女の一日は埋まっていた。夏からは主演映画も決まり、女優としての仕事も本格的に始まるそうだ。


 だが彼女は同時にWISHのエースでもある。2週間後には大規模なライブツアーの初日を迎えることになっており、そちらのリハーサルも始まっていた。

 WISHは前述した通り総勢で40人以上のメンバーを抱えているグループである。多数のメンバーが同時にステージに立ち、曲をパフォーマンスをするためには綿密な計算と多数の大人が必要なのだということが分かってきた。


 例えばダンスの部分である。本格的なダンスを売りにしたグループと比べると「WISHのダンスは動きが少なく大人しすぎる」というアンチからの批判が上がることもある。それはある意味その通りで、幼少期から本格的に習ってきた人間が見せるバキバキのダンスには技術の面では及ぶべくもなかった。(もちろん中には子供の頃からダンスを習いスキルを持っているメンバーもいる。そういうメンバーにとってはそれが個性であり武器にもなっている)悪い言い方をすれば素人でも練習して覚えれば、あの集団に混じって踊ってもさして違和感はない……ということだ。振り付け自体も難しいものは少なく、実際に子供たちがWISHのダンスを真似て踊った動画が動画サイトに多数上がっていることからもそれは分かる。むしろ運営側もあえて真似しやすいダンスにすることで、動画サイトでバズることを当初から狙っていたのかもしれない。


 そういった傾向を俺も以前から目にしていたから、彼女たちのライブをどこかナメていた。歌も踊りも本格的なものではなく、ルックスの可愛さだけで売れてきたグループなのだろ?という穿った気持ちがどこかにあった。だが、リハーサルを見ているとそんな考えは吹き飛んだ。

 彼女たちは2時間超のライブで20曲以上、メンバーによっては30近い曲をパフォーマンスしなければいけないのだ。

 特にWISHのダンスで重要になってくるのがフォーメーションという部分だろう。WISHのライブは大人数を生かし様々にステージ上を動き回ることに特徴がある。個々のスキルではなくチームとしての統一性で勝負するようなパフォーマンス、という感じだろうか。ライブツアーは大きなステージの会場ばかりなので、その広さを利用しない手はない……ということなのだろう。実際、彼女たちが所狭しとステージを動き回る様はとても華がある。

 だがそれを成立させるためには、フォーメーションや立ち位置をしっかりと覚えることが大事になってくる。全体を見た時に形が崩れてしまっていたらパフォーマンスとしては不合格だ。

 もちろんすでに何度もやったことのある曲も多いので、経験豊富なメンバーにとっては簡単な部分もあるだろう。だが隣に立つメンバーが変われば微妙な立ち位置の修正や、全体を通してのバランスなど細かな修正箇所も多い。まだ経験の浅いメンバーにとっては、リハーサルの現場で覚えなければならないことも多いし、それ以前に自分で振り付けを覚えて来なければリハーサルそのものに付いていけない……というシビアな面もあった。


 皆真剣に取り組んでいた。明るく笑顔でその場にいるだけでアイドルが成立するわけではないのだ。歌って踊るということこそが、アイドルにとって中心的活動なのだ。結成当時からメディアを通して彼女たちを見守ってきた俺でさえ、この真剣な舞台裏を見るまでそんな当たり前のことを理解していなかったのだと初めて気付かされた。

 血の滲むような舞台裏での苦労があるから表舞台で彼女たちはあれだけ輝くのだ。当たり前のことかもしれないが、その光景を目の当たりにして俺は心が震えた。




 そして俺がマネージャーとして付くことになった黒木希である。


「あれ?黒木さんはコンサートに参加しないんですか?」


 最初スケジュールを聞いた時、俺は社長にそう尋ねた。

 全体リハーサルの時間に彼女は別の仕事が入っていたからだ。


「……あのね麻衣。のぞみはWISHのエースなのよ?彼女がライブに参加しないなんてなったら、ファンの人はどう思う?そんなわけないでしょ!」


「でも、今日のリハーサルには参加しないですし、明日もスケジュールに入っていないですよね……」


「そりゃあ、彼女は他にも沢山仕事があるからね。先に決まっていた仕事は当然そちらを優先するわよ」


「え?じゃあどうするんですか?」


 メンバーみんなのライブに向けた真剣な表情を目の当たりにしていただけに、まさかリハーサルをしないでライブに出演するなんてことは考えられなかった。


「そういう時のために裏方の人間がいるのよ。見てみなさい」


 ちょうどある曲のリハーサルが始まったところだった。

 メンバーたちに混じって『黒木』というゼッケンを付けた人間がセンターで踊っていた。振り付けを教えてくれるダンサーさんが代役で入っていたのだ。本番も影武者としてダンサーさんに踊ってもらうのか?と一瞬思ったがもちろんそんなわけはない。

 傍らにはその様子を動画で撮影している別のスタッフがいた。

 つまりフォーメーション中での黒木希の動きをシミュレーションした映像を作っているのだ。正しい動きを映像として作っておくことで、リハーサルに参加出来なくても彼女にその動きを伝え、覚えてもらうということらしかった。


「え?でも、そんな動画だけで黒木さんは覚えられるんですか?」


 普通に考えて無茶だと俺は思った。だって他のメンバーは丸々一日綿密なリハーサルを行い、それでもまだ完璧な出来栄えとは言えなかったのだ。ビデオの映像を見て自主的な練習を行ったところで、それが完全に補えるとはとても思えなかった。

 しかもこの時間彼女は別の仕事をしている。時間的にも体力的にも他のメンバーよりもキツい状態にあるわけだ。そんなところに詰め込んだところで、彼女が吸収出来るものは多くなさそうに思えたし、下手したらパンクしてしまうのではないだろうか?


「大丈夫よ、あの子はやるわ。それにリハに参加出来ないのは希だけじゃないわ」


 たしかによく見ると、ダンサーが代役に入っている所は他にも何箇所もあった。希だけでなく、別仕事によりリハーサルに参加出来ていないメンバーは他にも何人もいるようだ。


 本番まで全体で行えるリハはあと1回。それ以外は本番当日にステージ上で少し合わせられる時間があるだけだという。こんな状態で果たしてライブは成立するのだろうか?

 

「大丈夫よ。今までもこの程度のことはあの子たちは乗り越えてきたわ」


 俺の不安な表情を見て取ったのか、社長がニヤリと微笑んだ。

 どこかこの状態を楽しんでいる風にさえ見えた。


「とりあえず麻衣は、希にその映像を間違いなく渡してあげて。それから時間が許す限りあの子の練習に付き合ってあげて」


 表舞台に立つ彼女に比べ、自分の出来ることのあまりのちっぽけさに少し申し訳なくなりつつ、俺は社長の言葉にうなずいた。



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