SCENE:10‐1 8時10分 汐生町 学校 校舎裏
「サユリさん、貴方と同じ時代に生まれて良かった。言葉を交わすだけで幸せだった……それなのに、人間とは欲深いものです。否、運命が僕たちを縛りつけて離さないと言うべきか。前世の業か、来世への祝福か、不条理なこの世界で、ひたむきに貴方を愛すこと以外、僕にはなす術がありません」
校舎裏、男子生徒が愛の言葉を述べる。
最小限の息継ぎで、すらすらと重厚な言葉が流れる。まるで演劇を観ているようだ。そういえば、この人は演劇部じゃなかったかしら。
文化祭の公演で、村人Aを熱演していたような気がする。
そんなことはどうでも良いとして――さりゅは口を開く。
「ごめんなさい」
予想していた以上に、その言葉はクリアに発せられた。紛れもない自分の声で。
その際、頭の片隅に、リリー・タイガーの凛とした佇まいを思い出していた。
「ごめんなさい。貴方の気持ちはとても嬉しいけれど、好きな人がいるんです。大切にしたいと思える相手が。曖昧な態度を示して、勘違いさせてごめんなさい。好きになってくれてありがとう」
言葉が
相手の勢いに押されて、戸惑っていた数日前の自分とは大違いだ。
誠実に想いを伝えると、相手の熱も下がってきた。
「そうですか。残念ですが、お返事が聞けて良かったです」
ぺこりと頭を下げ、男子生徒が去ってゆく。その背中を見送りながら、胸に掛かったモヤがスッと晴れる心地がした。
本来は、これだけで良かったのだ。
戸惑いや、恐れ、恥ずかしさは必要ない。過剰に拒絶する必要もない。
付き合おうと付き合うまいと、誠実に想いを伝えたいとさりゅは思う。
告白シーンだけでなく、老若男女関係なく、そうやって人と向き合っていけたら良いと思う。
「見せつけてくれるじゃん」
声が聞こえ、振り返る。そこには陸太が立っていた。陸太の後ろには海斗もいる。
ユークがお休みをしている今日、校舎裏に呼び出されたさりゅを心配して、様子を見にきてくれたらしい。
陸太は目を丸くしていた。はっきりと意見を述べたさりゅに対して、驚きを隠せないようだ。その頭をぽんぽんと撫でながら、海斗が微笑む。
「僕たちは成長しているんだね。日々、健やかに」
はははは、と爽やかに笑いながらぽんぽんぼんぽん兄弟の頭を撫で続ける海斗。やーめーろー! と陸太が
さりゅもつられて笑ったが、一つ咳払いをすると、真剣な顔で二人を見つめた。
「わたし、勘違いしていたかも知れない」
その言葉に、金原兄弟は首を傾げる。
勘違い? とこだまする声に頷く。
「小学生の頃のこと……わたし、いじめられたことがあったじゃない? あのとき、わたしを助けてくれたのは、海くんだけだと思っていたの。でも、それは勘違いだった。今でこそ身長差があるけれど、小学生のりっくんと海くんは見た目もそっくりな双子だったから」
うんうん、と真剣に話を聞く海斗の隣で、意図が掴めない陸太が疑問符を浮かべている。
話の聞き方がまるで違う。現在の二人は、双子だと言われなければ、兄弟とすら思われないだろう。そんなことを考えながら、さりゅは続ける。
「はじめにわたしを助けてくれたのは、りっくんだよね? みんなの前に立ちはだかって、わたしを逃がしてくれた。〝君は早くおうちに帰りなよ〟って」
「僕がやってきたのは、その後だよ」海斗が答える。
「あの頃から、陸太のフォローには慣れていたからね」
陸太は、気まずそうに口をつぐんでいる。
いたたまれない兄弟の顔を見て、海斗は口を閉じた。
気を取り直すようにふるふると首を振ると、陸太は話を継ぐ。
「オレも大人になったからな。喧嘩に負けた話くらい、いくらでもしてやるよ……さりゅを最初に助けたのはオレだ。坂下でお前が囲まれているのを見て、
まるで昨日のことのように、悔しさに拳を振るわせる。
小学生の頃のことであろうと、多勢に無勢な状況であろうと、関係ないらしい。
さすが「狂犬チワワ」……過去の思い出にまで、噛みついて離さないとは。
だからって、内緒にしておくことなかったのに……、さりゅは内心で苦笑する。
あれから、何度も思い出話をする機会があった。その度に自分の命の恩人は海斗だけだと思い込んでいたし、陸太との出会いの記憶をずっと思い出せずにいた。
二人とは、同じ日に、同じ場所で、出会っていたにもかかわらず。
「喧嘩に負けたこともカッコ悪いけどな」陸太は言った。
「……お前を助けたことをわざわざ口にするほど、野暮な男じゃないんだよ」
続く言葉は、余りにも小さな声だったので、さりゅは聞き逃してしまった。
今、なんて言ったの? と聞き返しても、陸太は答えない。
可愛い顔を明後日の方向に向けたまま、つん、と澄ましている。
「そうそう。それが陸太の美学なんだよね」
訳知り顔で頷く海斗に、さりゅは訝しげに首を捻る。「美学」という単語は知っていても、聞き慣れない。
もしかしたら、この言葉は男の子ためにあるのかも知れない。
「りっくん、美学ってなんのこと? さっきなんて言ったの? ねぇ、教えてよ、りっくん?」
顔を覗き込もうとするたび、小さな友人は首の向きを変えて、だんまりを決め込んでいる。
「美学」というのは不便なものだな、と男気から無縁の海斗は、縮まったようで縮まらない二人の仲を見ながら思った。
「りっくん、こっち向いてよ~! さっき言ったこと、教えてよ~! ねえ、りっくんってば~……」
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