SCENE:9‐4 18時10分 汐生町 小学校 森

 電子の羅針盤らしんばんが示す東――汐生町の方角へ歩き続けること三十分。木々の奥に光が見えた。人工の明かりだ。

 土手になった獣道を駆け降り、民家の裏庭に出る。近隣の畑を迂回うかいして、畦道あぜみちに登った。


 目的地は繁華街だったが、少しれてしまったようだ。ここは汐生町外れの、人口の少ない田園地帯。高齢者の多い地域のためか、九時前だというのに出歩く人の気配はない。

 陸太とさりゅは警戒しながら先を進む。人のいない夜道でフィジカル・ヴィークルに出くわせば、ひとたまりもない。


 思う間もなく、前方に何かがうごめいた。


 立ち止まった陸太の背後で、さりゅも息を呑む。


 それは子供らしき人影だった。こちらに向かって走ってくる。

 陸太は金属バットを構え、臨戦態勢を作る。


 気を張り詰めながらも、直感的に味方だと感じた。


「海斗……?」


 陸太が一人ごちると同時に、海斗が姿を現した。二人の元に到着すると、膝に手をあて、肩で息をつく。


 不思議だ。どうして居場所が分かったのだろう。汐生小学校からは、ずいぶん離れてしまっているのに。


「ただのかん……双子の勘だよ」


 陸太の聞きたいことを敏感に察知して、海斗は微笑む。


 しかし、それも一瞬のこと、すぐさま深刻な顔で事態を説明し始めた。街中に現れたフィジカル・ヴィークル。格闘。逃走。無事に逃げ延びたものの、水上邸のトラップにハマってしまったユークのこと。


 腹部から下が破壊され、生死の境を彷徨さまよっているという。


「そんな……、嘘でしょう……」


 さりゅはその場にかがみこんだ。ショックのあまり、足に力が入らない。放心している場合じゃないのに……。


 そのとき、さりゅの口元に陸太が手をあてた。驚く間もなく、田んぼの中に引きずり込まれる。


 後を追って、海斗も土手を降りてきた。


 しっ、と陸太は唇に手をあてた。頭上を顎でしゃくる。


 先程まで自分たちが歩いていた道の上を、てくてくと誰かが歩いてくる。見覚えのあるシルエット。電柱についた街灯に照らされると、白銀のショートカットがぼんやり輝く。


 ゴシック調のワンピースを身につけた、華奢きゃしゃな体つきの少女。


 ユークちゃん!


 危うく声を掛けそうになり、踏みとどまる。


 水上邸で瀕死状態のユークが、悠々と田舎道を歩いているわけがない。あれはフィジカル・ヴィークルだ。集団からはぐれたと見えて、一定の区画を意味なく行ったり来たりしている。


 ふと、さりゅの頭にアイデアが浮かんだ。


 あのフィジカル・ヴィークルを捕獲することが出来たら、必要部品を調達出来るのではないか。部品だけと言わず、脳以外の器官をすべて取り替えてしまえばいい。


 普段の自分なら考えもつかない、大胆な作戦が、脳裏を駆け巡る。


 同時に、この考えを思いついた自分こそが適材なのだと雷が落ちる。


 これは、わたしがやるべきことだ。


「りっくん、海くん……わたしの話を聞いてくれる?」


 声を潜めて、作戦を伝える。


「怪我するかも知れないんだぞ! 分かってんのか!?」


 話を聞いた陸太は、小さく憤慨の声をあげる。「オレがやる」とまで言い出した兄弟を制し、海斗はさりゅを見つめた。


「勝算はあるんだね」


「うん」


 さりゅも真っ直ぐな目で海斗を見つめる。


「二人には、わたしのサポートをしてほしいの」


 こうしている間にも、ユークの生命の砂時計は、死の方向へ落ち続けている。


 不安げな顔をしている陸太に、にっこりと微笑みかける。


「大丈夫だよ、りっくん」


 柔らかな言葉で伝えると、草だらけの土手を登った。


 白い髪の少女と対峙する。


 髪型も、体型も、身長も同じ……だが、目の前に立っているのはフィジカル・ヴィークル。


 ユークではない。


 さりゅは生唾なまつばを飲み込むと、その背に向かって声を張り上げた。


「おーい! ユークちゃんのニセモノ! わたしの足について来れる?」


 フィジカル・ヴィークルが振り向く。生気のない青い目が、さりゅを見つけて輝いた。クラウチングスタートを切って、走り出す。さりゅもすぐさま踵を返し、脱兎だっとのごとく駆け出した。


 あいにく畦道は砂利が多く、滑りやすい。何度も転倒しかけながら、がむしゃらに前進を続ける。対してフィジカル・ヴィークルは、上手にバランスを取りながら追いかけてくる。プログラミングされた平衡感覚へいこうかんかくは、ヒールの高いパンプスをもろともしない。さりゅの俊足を差し引いてなお、距離はどんどん縮まってゆく。追いつかれるのは時間の問題だ。そう思った矢先、地質が変わった。


 田舎道がコンクリートの歩道に切り替わる。


 住宅街の家々の明かりが遠くに見えてきた。


 仕事帰りの大人たちとすれ違う。フィジカル・ヴィークルは、彼らに目もくれない。標的をさりゅだけに絞っているようだ。被害の増加は免れたが、安心してはいられない。


 動悸どうきを抑えるように、さりゅは胸元をぎゅっと握る。呼吸が乱れ始め、足元が覚束おぼつかなくなってきた。走り始めて10分ほど。そろそろスタミナ切れの時間だ。背後を振り返ると、敵は変わらぬ足取りで追いかけてくる。


 汗ばんだ額から、さらに汗が吹き出した。長い坂道を登れば、自宅のある高級住宅街に突入する。


 そこまで体力が持つかどうか……。


 考えちゃだめっ! 心の中で自分を叱咤しったする。



 今は、何も考えちゃだめ。


 走り続けるの。


 ……なんとしてでも、我が家にたどり着くのよ!



 さりゅの脳裏に、ユークと過ごした日々が駆け巡る。


 周囲から冷たく見られがちな彼女は、その実、とても優しい心の持ち主だ。


 いつも冷静な判断でわたしを助けてくれた。


 今度は、わたしの番。



 ユークちゃんを救えるのは、わたししかいないんだから!



 やっとのことで上り坂に到達した。痛む脇腹を抑えながら坂道を登る。背後にフィジカル・ヴィークルの気配を感じる。おそらく、十メートルも離れていない。振り返ると、予想していたよりも遥かに敵が迫っていた。ユークと同じ顔、同じ形。しかし、彼女を取り巻く雰囲気は、ユークと似ても似つかない。


 彼女には「色」がない。生命の躍動が感じられない。


 人形の手には刃渡りの長いナイフが握られている。


 「生」の代わりに、彼らは「死」を持っているのだ。


「わあぁぁぁっ!」


 声をあげて、高級住宅街を分け入った。


 叫んだのは、恐怖からではない。最後の気力を振り絞るために、自分を鼓舞こぶするための声だ。


 図らずも、その声は誰かに届いたらしい。


 遠くで応答があった。


 朦朧もうろうとした意識の中で、声の主を探り当てられない。ただ、呼ばれる方向へと身体を運んでゆく。


「さりゅ!」


「こっちだ、さりゅ!」


 二重、三重にぶれた視界に、我が家が映った。門の前に立つ二人の姿が見えると、さりゅの全身から大量の汗が吹き出した。肩の力が抜ける感覚がして、両足が一気に重くなる。


 あと少し……。


 あと少し、なのに……。


 後ろ背の、圧迫感が強くなる。微かな風が背中を撫でる。敵がナイフを振り上げたのだ。風を感じるほどの至近距離で。


 絶対絶命、さりゅは目をつぶる。


 腕をぎゅっと掴まれる。


 前方に引っ張られたとき、馴染み深い香りが鼻をくすぐった。


 うちで使ってる、柔軟剤のにおいだ。


 どさりと芝に倒れ込む。


 振り返ると、兄の背が見えた。刀を構えながら、渚は横目でさりゅを伺う。


「大丈夫かっ? 怪我はないか、さりゅっ!」


「お、お兄……ちゃん……」


「ったく、無茶しやがって!」


「ご、ごめんなさい!」


 息継ぎをしながら、なんとか返事をする。汗を拭い、辺りを一瞥すると、見慣れた我が家の庭先が見えた。間一髪のところで兄に手を引かれ、難を逃れたらしい。


 振り下ろされたナイフは、軍刀によって受け止められていた。


 陸太と海斗のおかげで、作戦内容が兄にも伝わっていた――自分がおとりとなってフィジカル・ヴィークルを自宅まで連れてくるから、確保してほしいという作戦が。


 フィジカル・ヴィークルを羽交はがめにして、渚は声を張り上げる。


「ネムル、今だ!」


「うむ!」


 ネムルが白衣のポケットから、リモコンに似た機械製品を取り出す。


妨害電波ジャマーを、喰らえ!」


 スイッチを押した瞬間、しゃにむにもがいていたロボットから力が抜けた。ずるりとその場に崩れ落ち、電池が切れたように動かなくなった。


「こいつの周波数に合わせた妨害電波発生装置ぼうがいでんぱはっせいそうちを作っておいたんだ」


 フィジカル・ヴィークルの側へ歩み寄りながら、ネムルは説明する。


「レムレスを覆っている電波と仕組みは同じだ。間に合わせのものだから適用範囲は狭いが、十分効果はあっただろう。さあ、再起動される前に、主電源を落としてしまおう」


 仰向けに倒れたロボットをひっくり返すと、うなじと頭部のつぎ目を指圧する。どうやらその辺りに主電源があるようだ。


 うむ、と満足げな声が聞こえ、さりゅは全身から力が抜けた。


 地面にへたりこんださりゅを渚が抱きしめる。


 すると、さりゅの目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。


「さりゅ、よく頑張ったな。もう、大丈夫だからな」


「うん……うん……」


 ごくりと唾を飲み込むと、涙が混じって塩辛い。


 違う。泣いている場合じゃない。


「まだ終わりじゃない」


 さりゅはごしごしと目を拭うと、兄の抱擁をゆっくりほどく。


「わたし、行かなくちゃ……」


 よろよろと立ち上がると、さりゅは、屋敷に向けて走り出した。


 本当のゴール――ユークの元へ、向かうために。


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