SCENE:9‐2 17時40分 汐生町 小学校 森

 私もまだまだ甘ちゃんね。


 銃口から立ち昇る硝煙しょうえんを吹き消し、ホルスターにしまう。


 リリー・タイガーが入り込んだのは、鬱屈うっくつとした森の中だ。


 ザクザクと先へ進みながら、先程の行動を思い返す。


 さりゅと陸太の窮地きゅうちを救ったのはリリーだった。レムレス軍の二人を助ける義理はなかったが、気づけば身体が勝手に動いていた。


 恩を売ることなく立ち去るなんて、自分らしくない。


 まあ、いいわ……リリーは携帯電話を取り出す。


 携帯の追跡機能がなければ、あっという間に迷ってしまう。それくらい、森は鬱蒼うっそうとしている。これだけの木々が茂っていれば、上空の目も届かない。航空攻撃を恐れての対策か。それとも地の利を生かした奇襲攻撃を仕掛ける気か。どちらにしても、警戒して臨まなくては。


 やがて、獣道に終わりがきた。


 木々を抜けると、草木が円形に刈り取られた広場が見えた。広い更地に敵の姿は見えない。しかし、気配を感じる。


 撃鉄げきてつを起こすと同時に、背後から何かが飛びかかってくる。銃を構え、リリーは振り返る。


 きらりと輝いた目と目の間、脳幹のうかんのある場所へ向けて発砲する。


 フィジカル・ヴィークルの急所も、ヒトと同じ位置にあるらしい。どさり、と音がして、ユークの姿を借りた機械人形が倒れる。


 その背後から、さらに別の一体が飛びかかってくる。烈火の速さで二番手も撃ち砕く。さらにまた……


「ふふん、同じ動作しかできないなんテ。芸のないドールズ……」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくに撃ち続け、そろそろ弾丸を再装填さいそうてんしようと思った矢先、何者かがリリーの腹を掴んだ。


 鋼鉄こうてつの、ひんやりした感触が脇腹に伝わった。あらかじめ、それは鉄でできた輪のように見えた。輪投げのように、自分の身体に鉄が巻きついてしまったのかと。


 次の瞬間、輪が空中に浮かび上がり、つられてリリーも吊り上げられた。


「ワッツ!?」


 動揺するリリーの上半身を、ぎゅっと輪っかが締め付ける。あまりの強さに、両手がリボルバーを取り落とした。銀の銃は、柔らかな音を立てて草の上に落下した。


 昇り始めた満月が、身体を縛る鉄を照らす。輪っかだと思っていたもの……それは、手。「C」の字で出来たロボットハンドだった。


 腕代わりのワイヤーは長く伸びて、円筒形の胴体に繋がっている。円筒形の上には丸い頭部が載っていて、クマの小ぶりな耳がついている。両目に灯るランプはピンク色。丸と四角を繋ぎ合わせたクマの全身も、ショッキングピンクに塗られている。


「……リアルな人型機械ヒューマノイドを作れるにも関わらず、なぜ親玉はレトロなロボットなのでショウ?」


 置かれた状況を省みず、ついツッコミを入れてしまった。


 気を取り直して、リリーはクマからの脱出を試みる。


 上腕に力を入れ、ロボットハンドを振り解こうとすると、


「ぐっ……!」


 益々、締め付けが激しくなった。


「アゥ……! ううんっ……!」


 ギリギリと握力を上げてゆくクマ。掌のリリーは、身をよじって苦しげな声を上げる。


「ああんっ! そんなに、強くしたらぁっ……! あっ……ぁんッ! ワタシ……っ! 出てしまいマス……はうぅんッ!」


 豊満な身体をくねらせながら、あえぐリリー。


「あぁん…!だめぇ……そこはぁっ! はぁぁんッ!」


 クマはしばらく様子を伺っていたが、やがてわなわなと震え出す。


 ある時点で、ぷちっと堪忍袋の緒が切れる音がした。


「うるっっっさいわッ!!」


 ピンク色のクマの口から、電子音に変換された甲高い怒声が響き渡る。


「なによ、その声! もっと腹の底から苦しみの声をあげなさい!」


「アイ・ドン・ノウ。お手本を見せて下サイ」


「だから、もっとこう……ヴォエエエエっ! とか、アガァァァァッッッ~! ……って、乙女に何やらせんのよッ!」


 ムキーっと、クマが地団駄を踏む。ならって両目のランプも三角に釣り上がる。


 散々怒り散らした後、ぜいぜいと肩で息をつくクマ。釣り上がった目のまま、手元のリリーを睨みつける。


「アタシは、デスボイスを叫ぶためにここに来たんじゃないのよ! あんたに警告をしに来たんだから!」


 ふふん、と鼻を鳴らして、クマは得意げだ。


 彼女が南雲博士? 機械人形やクマロボットを作り、巧妙なハッキング攻撃を仕掛けた張本人?


 精神年齢と技術力が釣り合わない気がするが、楠木ネムルという前例を知っているだけに、否定しきれない。


 実のところ、南雲博士の素性をリリーは一切知らなかった。世間一般の「博士」というイメージから、白髪の老人をイメージしていたリリーは、少しばかり意外に感じた。


 クマはリリーに顔を近づけると、意気揚々いきようようと話し出す。


「リリー・タイガー、あんたのしていることは、二組織の均衡きんこうを揺るがす危険行為よ。まだ詮索せんさくを続けるというのなら、このアタシが黙っちゃいないわ」


 黙っちゃいないどころか、雄弁すぎるくらいだ。汐生町ではユークが大量発生し、大混乱に陥っている。


「あれは、楠木ネムルに対する返礼のつもり」


 密やかな声で敵は答える。


「〝慈悲深き機械〟の詮索を続けるなら、これくらいじゃ済まされない」


「……もう遅いのデス」


「遅い? 一体、どういうこと?」


 クマの質問には答えず、リリーは不敵に笑う。そして、思い出したようにひとりごちた。


「ドクター・ナグモ……アナタはおじいさんでショウ?」


 はあ? とクマが素っ頓狂な声を上げる。


「そんなわけ……」


 相手の反論を遮って、リリーは続ける。


「可愛いクマさんに、可愛い声。まるで女の子のような物言いデスガ、本当のアナタはおじいサン。ドクターたるものおじいサンと、相場が決まっているのデス」


「失礼ね! そんなわけないじゃない!」


「いいえ。アナタは、おじいサン。ロボットを操ることでしか人前に出られないのは、アナタが、シワシワの、おじいサンだからデス!」


 ちっがーう! と憤慨ふんがいの声をあげて、ロボットクマが暴れだす。ともなって、握り締めた拳の握力が強まったが、リリーは耐えた。まもなく訪れる好機こうきを逃さないために。


「アタシは、普通の女の子よっ!」


 クマの顔面が開陳かいちんした。もうもうと煙を上げながら、左右に開け放たれたのだ。


 頭部の中はコックピットになっていて、皮張りの豪奢ごうしゃな椅子の上に、これまた豪奢なドレスをまとった、少女が座っている。


 腰に手を当て、「どうだ!」と言わんばかりにリリーを睨み付けている。


 チャンス!


 リリーは両足を持ち上げると、軍靴の底を少女に向ける。少女は訝しげな顔で、靴底に目を凝らす。仕掛けられた「あるもの」を見つけると、美しい顔が蒼白した。


 パン! パン! パン!


 乾いた銃声が響き渡る。


 かとに仕込んだ銃口マズルから、銃弾が発射されたのだ。


 ぎゃあああああっ! と悲鳴を上げながら少女が倒れる。ロボットの握力が弱まった。身をくねらせて、リリーは拳から脱出する。ロボットアームを駆け上り、コックピットにたどり着く。倒れ込んだ少女の胸ぐらを掴むと高く持ち上げた。


 フリルだらけのドレスが空中でひらひらと揺れる。ドクター・ナグモ。彼女自身が、精巧に作られた人形のようだ。


 銃弾は命中しなかった。


 失神から目覚めた少女は、大きな眼できょろきょろと辺りを見回す。すぐさま自分の置かれた状況を理解して、ガタガタと震え出した。


 その細い首にナイフを突きつけると、リリーはすごんだ。


「〝慈悲深き機械〟のノートをよこしなさい!」


「た、助けて……」


「ノートはどこ!?」


「殺さないで……」


「彼のノートよ!」


「殺さないで……」


 問い詰めてもらちが明かない。左右で色の違う目から涙を流して、少女は命乞いをするばかりだ。


 この人物は、本当に南雲博士なのだろうか? 博士本人ではないとすると、助手の類だろうか?


 それにしては、思慮しりょが浅すぎる……。


 しくしくと泣きじゃくる少女に名前を尋ねると、「フランボワーズ」と返ってきた。


 やはり、ドクター・ナグモではない。


 この少女は、何者だ?


 首を傾げるリリーの前で、フランボワーズはがっくりと項垂れる。恐怖のあまり気絶したのか、動かなくなってしまった。


 彼女を席に座らせると、リリーは頭を掻く。


 何にせよ、〈MARK-S〉の関係者である彼女を、連れて帰らねばなるまい。拷問にかけても、良い情報を喋ってくれるようには見えないが……。


 そのとき、少女が顔を上げた。


 涙に滲んだ目で、キッとリリーを睨み付ける。


 さきほどと、雰囲気が違う。それから、目の色も。

 左右で違う目の色は、先ほどまで片目が黒、片目がピンク色だった。それが今や、ピンク色の虹彩こうさいがブルーに変わっている。


 小さな唇が開くと、怒りに震える低い声が漏れた。


「姉さんを、泣かせるな」


 少女が指を、パチンと鳴らす。

 すると、闇に包まれていたコックピットの奥から、フィジカル・ヴィークルが飛び出した。二体とも同じ顔、同じ身体だがユークとは違う。筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの男性タイプのものだ。


「……っ!」


 彼らの一人がラリアットを喰らわせてきた。リリーはクマから引き離され、フィジカル・ヴィークルと一緒に地面に叩きつけられる。靴につけた銃で、すぐさま二体の動きを封じたが、落下の衝撃で身体が動かなくなってしまった。


 その隙に、クマロボットはそそくさと方向転換。


 森の中へ入って、あっという間に見えなくなった。


 

 ……しくじった。


〝慈悲深き機械〟のことを聞き出す、絶好のチャンスだったのに。



 リリーは地面の上で、大の字に手足を広げる。


 麻痺した身体は、立ち上がることもできない。


「シット!」


 舌打ちをしたものの、考え直す。



 こうもあっさりと〝慈悲深き機械〟が手に入っては、つまらないではないか。



 これはゲームだ。好奇心を満たす謎解きでもあるし、〝慈悲深き機械〟を手に入れる宝探しでもある。


 プレイの過程を楽むことこそ、ゲームの醍醐味。


 ネガティヴがポジティヴに、不機嫌が上機嫌に入れ替わる。


 ふ、ふ、ふ、と笑い声まで漏れてきた。


 暗い森に、星々の輝きは明るい。


 リリーは高らかに笑い続ける。


 このゲームを制するのは、ワタシ。


〝慈悲深き機械〟を手に入れるのは、ワタシ……!


 執念の炎は、夜空の一等星よりも、煌々こうこうと輝き続けた。


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