SCENE:6‐3 16時28分 海砦レムレス 管理区 曼荼羅ガレージ

「タイミング、悪すぎだろ……オレ」


 なすすべもなくさりゅの背中を見送りながら、陸太はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。


 紙袋で殴られても痛くない。まして、喧嘩慣れしている自分は打たれ強い。


 それなのに心が痛むのは、怒らせた相手がさりゅだったからだ。


 たぶん、嫌われた。

 告白してもいないのに、戦う前から負けてしまった。


 長い廊下を歩きながら、じわっと涙が滲み出る。


 喧嘩に明け暮れた日々の中で、完膚かんぷなきまでに叩きのめされても流れなかった涙が、あっさりと頬を伝う。

 ぐすっ、と鼻をすすりながら、腕につけたリストバンドで両目をごしごしとこすった。


 茫然自失ぼうぜんじしつのまま、陸太はリビングの前を通り過ぎ、渡り廊下へと進んでいた。


 海を臨む「曼荼羅ガレージ」の西側は断崖絶壁だんがいぜっぺきになっていて、遥か下に荒い外海が満ち引きを繰り返している。


 「陸太」と声を掛けられ、顔を上げると海斗がいた。


 すらりと高い背をかがめ、手すりにもたれかかっている。黄昏時たそがれどきの海を眺めていたようだ。


 穏やかに垂れた茶色い目が、心配そうに陸太を見下ろす。


「何かあった?」


 瞬間、我慢していた涙が、せきを切って溢れ出した。



 海斗は驚いて兄弟の泣き顔を見つめていたが、そっと身をかがめ、泣きじゃくる陸太を抱きしめた。


 女の子のように小さい陸太の肩先からは、自分と似ていて少し違う、同じ家に暮らすもののにおいがした。


 嫌われちまった、と弱々しげな声が耳に届いたのは、陸太がひとしきり泣いた後のことだ。嗚咽おえつ混じりのつたない言葉で、今しがた起こった不幸なアクシデントを陸太は語った。


 よしよしと頭を撫でながら、その程度のことか、と海斗は安堵する。


 弱音すら吐いたことのない陸太が泣き出すなんて、何事かと思ったが……。


 しかし、陸太は全身全霊で悲しみに暮れていた。身内びいきを抜きにしても、可哀想なくらい打ちのめされていた。


 泣いている子に掛ける言葉を星の数ほど知っている。これまでに数々の女性の涙を拭ってきてあげたのだ。


 今泣いているのは、兄弟で――それも男の子だが――今までのように優しい言葉を掛けてあげれば、すべては丸く収まるはず。


 しかし、海斗はていの良い慰めの技術を使いたくなかった。優しい嘘を吐き、束の間の安らぎを与えたところで、何になるというのだろう。


 まして陸太を騙すのは、自分自身を騙すのと同じことだ。


「陸太、僕の話を聞いてくれる?」


 泣き濡れた茶色の目を真っ直ぐに見つめ、海斗は言った。


「僕は君のことが心配だった。集団の中でうまく立ち回れない、悪いと思ったことには全力で立ち向かい、負ける喧嘩も受けて立つ君が、危なっかしくて見ていられなかった。

 でも、すぐに気づいたよ。君の危なっかしさは素敵な魅力と表裏一体なんだ。バカで、向こう見ずで、とんちんかんな君は、純粋で、前向きで、一生懸命な君なんだ」


 ポケットからハンカチを取り出し、涙と鼻水で濡れた顔を拭いてやる。


 あまり似ていない、二卵性双生児の兄弟の顔。


 背も低いし、学校の勉強も得意ではない。


 しかし、陸太は自分にはない「情熱」を持っている。


 人間が生きていくのにいちばん大切なものを僕から奪って生まれてきたんだ。


 だから僕は、こんなにも陸太のことが気になるんだろうな、と海斗は思う。


 でも、「さりゅにはもう会えないよ」と陸太はうなだれる。


「学校にも行けない。こうなったら不良にでもなるしかねぇけど、既に不良になってる場合はどうすりゃ良いんだ?」


 うーん、と海斗は返事に詰まる。


 情熱が空回りして、陸太は混乱の真っ只中だ。


「不良の不良ってことは、優等生になれば良いのか?  それなら学校に行かなきゃダメか?  でもさりゅがいるから学校には行けないし、こうなったら不良になるしか……」という堂々巡りを繰り返している。


「君のその一生懸命さを、素直に伝えてみたらどうかな」


「一生懸命さ?」


「うん。カッコいいファッションも、素敵なデートプランもいらない。ありのままの君を――僕が尊敬する君の姿を――さりゅに見てもらえば良いと思うんだ」


「でもオレ、さりゅに嫌われちゃったぜ」陸太は小さい声でつぶやいた。


「嫌がられるに決まってるよ」


「正直に言うと、僕にも予想がつかない。同じ人間がいないように、同じ恋愛なんてこの世に一つもないからさ」


 ほらな……と言いかけた陸太の言葉を遮って、海斗は言った。


 僕は応援する。


「今までとは違った気持ちで、陸太の恋を応援するよ」

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