SCENE:3‐4 19時50分 汐生町 繁華街

 ミルクティー入りのカップを置くと、ちょうど口をつけた部分にピンク色のルージュがついた。反射的にさりゅは窓ガラスに目をやる。

 夜色に染まった窓は店内の明かりを反射して、鏡のようにくっきりとさりゅの顔を映し出す。明るい色のメイクをした、いつもとは違う自分の顔。

 大人の世界に迷い込んでしまったようで、頭がくらくらしてしまう。


 前方のリリーと目が合うと、彼女は素敵な微笑みを向けてくれた。女の子のさりゅでさえドキドキしてしまうくらいだから、リリーとデートした男の子は誰でも骨抜きになってしまうに違いない。

 さりゅがそんなことを思っているとは知らず、リリーははしゃいだ様子で後ろのテーブル席を指差す。


「サユリ、あのボーイズだとどちらが好みデス? ワタシは断然、右側デスネ。イケメンは三日で飽きるけど、三日も付き合えば充分デス」


「わたし、そういうの分からなくて……」


「それならお勉強しまセンカ? 彼らを誘ってみまショウカ?」


「いっ……いいです! 遠慮しておきます!」


「サユリなら何人でも彼氏が作れるのに、もったいないデス。さては余程の面食いデスネ?」


「あはははは……」


 疲れた笑いを吐きながら、さりゅは残っていたミルクティーを飲み干した。


 リリーはにこにこ笑いながら、ナイフのように尖らせた爪を、指の腹で撫でる。

 ショッキングピンクに蹄鉄ていてつのデコレーションがついた派手なネイル。


「ところで、サユリ」


 尖った爪にふっと息を吹きかけながら、リリーは言った。


「〝慈悲深き機械〟を知っていますか?」


「〝慈悲深き機械〟?」


「慈悲の御心みこころで世界を救う、人工の女神。噂によると、彼女は機械でできた身体を持ち、ヒトの心を持っているそうです。それはまるで……」


「ユークちゃん、みたい」


「ザッツライト!」


 リリーは人差し指の腹でさりゅの鼻先をつつく。


「ワタシもそう思います。ユークこそ“慈悲深き機械”であると」


「ユークちゃん、なにか知っているかな? 聞いてみましょうか?」


「ドントウォーリー。聞くよりも、自発的に喋ってもらう方が手っ取り早いので」


 カフェを出る。

 街を歩きながら、さりゅはこっそりと彼女の歩き方や立ち振舞を観察した。観察し、頭に書きとめ、普段の生活で真似してみようと思ったのだ。


 男の子のためでもなく、女の子のためでもなく、たった一人の自分のために。


 彼女ばかり見つめ過ぎたせいで、人気のない通りへ迷い込んでいることに気づかなかった。繁華街からずいぶん外れた、かすれた張り紙とゴミだらけの殺伐さつばつとした通りへ出て、ようやくさりゅは足を止めた。

 賑やかな人の声は聞こえなくなり、気味の悪い静寂が辺りに漂っている。


「リリーさん、表通りへ引き返しましょう」


「どうしてデスカ、サユリ?」


「この辺りは危険だから近寄るなって、お兄ちゃんから言われてるんです」


「危険? 危険とはどういうことでショウ? 虎でも出てくるのでショウカ?」


 リリーはきょとんとした顔で首をひねる。


 その質問に答えたのは別の声だった。


「危険……それは、オレのような奴のことだな」


 声のした先を振り向くと、いかにも街のごろつきと言うような薄汚い身なりの男が立っていた。

 手には小さなナイフを持っている。彼の仲間と思しき、似たような格好をした男たちがさりゅとリリーを取り囲む。

 それぞれ小型ナイフや金属バットを持っていて、見せびらかすように素振りをしたり肩へ担ぎ上げたりしている。


「痛い目に遭いたくなけりゃ金出しな」


 切っ先をさりゅたちへ向けながら、男は下品な笑顔で笑う。


「……ま、身ぐるみすべて剥いだところで、素直に帰しはしないけどな」


 その言葉に応じるように、他の男たちが唇の端を歪めて笑う。彼らはそろそろと、さりゅたちの元へ歩み寄る。


「サユリ、サユリ」


 恐怖に震えるさりゅの肩を揺さぶって、リリーが尋ねてくる。


「サユリはこの中で気になるボーイはいマスカ? 残念ながら、ワタシはナッシングデス。グッド・ルッキング・フェイスが皆無に等しいネ。アバウト・ユー?」


「リリーさん、そんなこと言ってる場合じゃないですよ! 逃げないと!」


「サユリも、スウィート・ダーリンはいまセンカ?」


「いません……っ!」


「オッケー。それではスルーしまショウ」


「スルーって……はわわっ」


 リリーはさりゅの手を握ると、スタスタと男たちの囲む輪の中へ入ってゆく。


 さりゅも前のめりになりながら、なんとかリリーの後に続くが、当然、彼女の逃避行は男たちに阻止された。グループの中でも一番大柄な男が両腕を組んで二人の前に立ちはだかる。


「おっと、そうはいかねぇぜ」


「どいて下サイ。ブ男はアウト・オブ・眼中デス」


「言ってくれるじゃねぇか。今すぐその可愛い口を利けなくしてや……」


 話し終わるより先に、リリーの硬いヒールが男の腹に突き刺さる。


 さりゅの手を離すと、身体を追ってうめく男の頭に、とどめの一撃を叩き込んだ。うつ伏せに倒れて男が動かなくなるまで、仲間たちは動けなかった。リリーの攻撃の速さに何が起こったのか理解するのに時間がかかったからだ。


「おいっ、あの女を取り押さえろ!」


 男たちが束になってリリーの背中に突進する。羽交い締めにしようと伸ばした腕を掴むと、リリーは華麗な一本背負いを決める。彼女の快進撃は止まらない。


 振り返りざま、左右から振り下ろされる武器の動きを見極めると、軽くステップを踏んで安々と攻撃を交わす。そして、殴りかかってきた一人の腹にパンチを打ち込みつつ、突き出した長い右足でもう一方の男の顔を蹴り上げる。


 どちらも力を込めた重みのある打撃で、二人の男はあっけなく地面に倒れた。


 一瞬で三人をノックアウトしてしまったリリーは、鋭い目つきで残りの獲物を探す。多勢に無勢という言葉が成立しないほど、今やリリーが一歩踏み出すと男たちが一歩下がるという逆転劇が起こっていた。


「ワタシは平和主義者ですカラ、無駄な争いは好みまセン――」


 力のこもった眼差しで男を見据えながら、リリーは両手を背後に隠す。


「――争う間もなく殺しマス」


 再び現れた両手には大型の二丁拳銃がしっかりと握られていた。撃鉄げきてつを起こし、女の肩には強すぎる反動をもろともせず、引き金を引く。

 重い発砲音とともに飛び出した三十二口径の弾丸は、ある男の足をかすめ、転がっていた空き缶を吹っ飛ばす。


「ひっ、ひいいいぃっ!」


 くるりと背を向け、グループの大多数が逃走を決め込む傍ら、腰の抜けてしまった何人かはヘナヘナとその場に崩れ落ちた。


「死にたくなければ、二度と声をかけないことね」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を見下ろしながら、リリーは銃口に漂う煙を吹き消す。


 そして……さりゅを振り返る顔は先程と同じ、太陽のように明るい笑顔が輝いていた。


「それ、ホンモノ?」


「まさか! ただの玩具おもちゃデスヨー」


 カウボーイ風にくるくると回転させながら、服の下へと銃を戻す。


 にっこり笑って、


「なんとか急場はしのげましたネ」


「リリーさん、すごい! 怖そうな人たちをみんなやっつけちゃうなんて!」


「ワタシなど大したことはありまセン。むしろ、すごいのはサユリの方デスヨ!」


「え? わたし?」


「まだ眠らずにいるなんて、よっぽど薬に強いんデスネ!」


「……へ?」


 瞬間、視界に映るリリーが三重にぶれた。滲んでゆく視界の中、必死で掴めるものを探す。が、さりゅの手は誰にも届かなかった。




 倒れかけた身体を支えると、リリーは上機嫌に亜麻色あまいろの髪を撫でた。


 腕の中の少女はすうすうと寝息を立てている。


「アイム・ソーリー、サユリ。最初からアナタには人質になってもらう予定デでいまシタ」


 さりゅを人質に取れば、否が応でもレムレスは動き出す。


 ネムルから〝慈悲深き機械〟の情報を手に入れることも出来れば、ユークそのものを奪ってしまうことも可能だ。

 水上小百合……この子はワタシのラッキー・エンジェル。丁重に扱わなければならない。


 リリーは身をかがめると、両腕でさりゅを抱き上げる。


 そのとき、不意の視線を感じた。


 素早くさりゅを地面に下ろし、周囲に目を配る。薄汚れた路地裏に、さきほどノックアウトした男が三人、白目をむいて倒れている。

 彼らの仲間が戻ってきたのだろうか……否、違う。


 新たにリリーを取り囲んでいたのは、八人の男女だった。年のほどは分からない。それは彼らの顔が無表情のまま、ぴくりとも動かないからだ。


 否、無表情を保っているというよりは、それ以外の表情の作り方を知らないようだ。瞬きさえしない。光のない黒目はリリーを通り越して、虚空こくうを見つめていた。


 突然、一人の女が口を「あ」の形に開いた。


「“慈悲深き機械”の詮索せんさくをやめるべし」


 口を大きく開いたまま、女は言葉を発し続ける。


「詮索をやめるべし、詮索をやめるべし」


 ボイスチェンジャーで声色を変えた機械的な声だ。続けて全員の口が一斉に開き、同じように言葉を発する。

 唇を動かすことなく、口を開けたまま機械の声がよどみなく流れる。


「詮索をやめるべし、詮索をやめるべし……」


 リリーはゆっくりと太ももから銃を抜くと、女の眉間に弾丸を放った。

 顔の上半分が吹っ飛び、顔面は歯と下顎だけになる。破れた皮膚から飛び出たコードは接続が切れたと見え、小さな稲光を発していた。それを合図に、機械人形たちは半歩後ろへ下がると、人間離れした跳躍力でビルの屋上へ飛び上がり、獣のように四散した。


「今はまだ、動かないほうが良さそうデスネ」


 リリーは改めてさりゅを抱き上げると、繁華街の方へ歩き始めた。

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