SCENE:3‐5 20時27分 部屋

「うわぁっ!」


 リリーの弾丸が目の中に入ってくる錯覚を起こし、南雲は思わず仰け反った。すぐさま機械体とのリンクを解除し、右目を抑える。


 作り物の眼球は掌の中で熱を帯び、パニックを起こしたようにくるくると回転している。あとで調整しなければならない。


「豪、どうだった? 何が見えたの?」


 南雲の容態などつゆ知らず、フランボワーズが尋ねてくる。


「リリー・タイガーは、忠告を受け入れたの?」


「どうかな……」


 片手で目を抑えながら、南雲はパソコンのモニターをいじり、フィジカル・ヴィークルが収集した音声データを再生する。と、微かなノイズに混じって女の声が聞こえた。


 ――今はまだ、動かないほうが良さそうデスネ。

南雲はフィジカル・ヴィークルを操り、リリーに忠告を与えた。


〝慈悲深き機械〟についての詮索をやめろ、と。

直接的な意思を彼女に伝えたのは、これが初めてだ。

彼女がこの忠告に素直に従うはずもないことは明白だが、その後の動向に興味があった。


 リリー・タイガーは冷静沈着だ。第三者が関わっていると知って、静観姿勢を取るつもりでいるらしい。その名に相応ふさわしく、虎視眈々こしたんたんとつけ入る隙を狙っているのだ。


 警戒を解くのはまだ早い。


「ねぇ、豪。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?〝慈悲深き機械〟がなんなのか」


 思案に暮れる南雲の傍らで、フランボワーズがじれったそうな声をあげる。面倒くさいので無視していると、「教えなさいよ! 教えろっつてんのよ! バカ! あほ! オタク! ネットストーカー!」と語気荒くののしり始めた。


 仕方なく南雲は思索を止め、立ち上がる。


 研究資料を並べている本棚から古びた大学ノートを取り出すと、机の上に広げた。


 黄ばんでシミだらけになったページに、万年筆らしきインクの滲んだ字で、


『慈悲深き機械についての考察』


 と書いてある。


「これは五十年前に記された、“慈悲深き機械”の記録だよ。日付を見ると、先の戦争が起こる直前に記されたものだと分かる」


「〝慈悲深き機械〟はその戦争と関係があるの? 勿体ぶってないでさっさと教えなさいよ」


 南雲は穏やかな声で、苛立ったフランボワーズを教え諭す。


「あのね、フランボワーズ。知識は人に乞うばかりじゃ身につかないんだよ。自分で知ろうとする能動性を育まないと……」


「うるさい。豪のくせに口答えするな」


 冷たい声で一蹴したものの、フランボワーズの目は紙面上の文字を追っていた。


 そこには電気回路図のような図面とともに、このような記録が残されていた。


 ―――――――――――――――――――――――――


「慈悲深き機械について」


 ・人間は脳細胞間を微弱な電気が通ることによって、思考をし、身体を動かすことができる。その電流パターンを読み取り、意のままに動かすことができる機械を「身体機械」という。


 ・〝慈悲深き機械〟は「身体機械」を応用した、人間と機械のシンクロ兵器である。脳の電気信号を直接機械に送信することにより、迅速な処理、複雑な操作を可能にする。

いわば、機械兵器を自分の手足のように動かすことが出来るのである。


 ・〝慈悲深き機械〟を動かすには、機械が発する周波数に適合する脳波を持つ人間を主体としなければならない。不適合者が〝慈悲深き機械〟と関わった場合、機械の周波数が操縦者の脳細胞を破壊し、暴走を起こす可能性がある。


 ・不適合者により〝慈悲深き機械〟が暴走した場合、……


 ―――――――――――――――――――――――――


「あら。ここから先、文章が墨で塗りつぶされているわ」


 フランボワーズは机の上にノートを立てて、パラパラとページをめくってみる。次のページも、その次のページも禍々しい黒インクが紙面いっぱいに広がっていた。


 紙類が貴重な時代らしく、その他のページは、慈悲深き機械とは関係ない日記や端書はしがきで埋め尽くされている。


 「慈悲深き機械についての考察」のみ、大部分が読み取れない。


「他に〝慈悲深き機械〟の資料はないの?」


「残念だけど、僕が持っているのは、このノートだけだ」


「これしきの文章で、よく存在を信じる気になれるわね」


 呆れたフランボワーズの声に南雲は反論しない。


 信憑性に欠ける文章であることは事実だ。〝慈悲深き機械〟が誰かの妄想や、創作の類だと思われても仕方ない。しかし、嘘八百と捨てきれない証拠があることも事実なのだ。


「僕が興味深く感じているのは、そのノートに描かれた設計図だよ。同時代に描かれた他の図案より遥かに緻密で、機械工学の理にかなっている。早い話が、機械義眼の原理と同じなんだ。脳神経に接続して、機械的に視力を得る……僕の目も身体機械の一種だからね」


 南雲は右目に指をつっこみ、繊細な手付きで義眼を外す。くぼんだ眼窩がんかには機械義眼をはめ込むための、アルミでできた台座ポートがある。その台座から伸びたコードは視神経と繋がっている。


 彼の目は左右で色が違う。機械義眼の右目は、自身の操るフィジカル・ヴィークルと連携させて視界を借りることが出来る。だからこそ、リリー・タイガーが鉛玉を打ち込んだことを、我が事のように感じ取って驚いたのだ。


 ただ、仕組みは同じでも〝慈悲深き機械〟とは規模が違う。あくまで彼の「身体機械」は個人の生活をサポートするための道具に過ぎない。一国を相手取って戦う兵器ではない。この現代においても、国勢に匹敵するほどの処理能力を持つ身体機械の存在は皆無だ。


 だからこそ〝慈悲深き機械〟の存在の真偽は、武力のあるどの国家も喉から手が出るほど欲しい情報だと言える。


「リリー・タイガーは、その情報を楠木ネムルが持っていると思っているのね」


「そうみたいだね」


「動くにる証拠を掴んだのかしら」


「分からない。だからこちらも、監視をやめるわけにはいかないんだよ」


 フランボワーズはウンザリ顔で溜息を吐く。


「あーあ。戦争とか兵器とか国家とか、つまんない単語ばっかりね。お菓子とお洋服とコスメにすり替わらないかしら」


「僕はそんなものを監視したくない……」


 南雲にお構いなく、フランボワーズはノートをパラパラとめくる。と、裏表紙に掠れかけたインクの文字を見つけた。誰かの名前だ。このノートを書いた人物だろうか。


 狩屋草介。


「このノートの持ち主は、どんな人だったのかしらね」


「かなりの変人だと思うな」南雲は即答する。


「そのノート、“慈悲深き機械”のページ以外は、恋愛のポエムばかりだよ。あまりお近づきになりたくない人物なのは間違いないね」

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