SCENE:3‐3 17時22分 海砦レムレス 管理区 曼荼羅ガレージ

 それはまるで迷路のようだ。原因を探ろうとすればパスワードロックにはばまれ、パスワードロックを解除するための方法に別のロックが掛かっている。

 水面下で正体不明のソフトが動き、間違った場所に触れるとフリーズする。


 数字でできた茨の道が、情報調達を阻むのだ。


 最も、このパソコンに眠っているのは国家の重要機密でも、金融機関の顧客リストでもない。

 リリー・タイガーの好きな写真や音楽で膨れ上がった個人データに過ぎないのだが。


「なんであいつはクラウドに保存しておかないんだ。グローバルに放置したところで毒にも薬にもならないデータばかりのくせに……」


 ぶつぶつと愚痴ぐちを吐きながら、ネムルはキーボードを叩く。


 思い当たる限りの方法を使ってウィルスの除去を試みた。


 いくつかの障害は解消され、壊れたデータも大部分が復元された。しかし、セキュリティロックの掛かったデータを取り出すことができずにいる。


「この複雑さ、特殊性は、無作為むさくいにバラまかれたものではなく、個人攻撃によるものだろうが、あまりにも似過ぎている……」


 パソコン熱で火照ほてった頬に触れながら、ネムルは考え込む。


 思い当たる節をたどるように、いくつかの方法を試みると、予想していた通りの反応が現れた。

 る疑念に駆られながら、システムの根幹に関わる部分に設置されていたウィルスと思われる不審な名前のファイルを開く。


 緑色に輝くソースコードを読みながら、ネムルは自分の両腕に鳥肌が立つのを感じた。


「渚、これを見てくれないか」


 階段を数段下った先にあるリビングルームへ声を掛ける。


 しかし、返事がない。


 聞こえてくるのは、映画館のような大スクリーンに映し出されたリリー・タイガーの声ばかりだ。


 画面のリリー・タイガーは日本の高校生が着るような制服を着ていて、高校生の男の子と話をしている。

 その瞳は恋に輝き、セリフの端々に相手の内面を推し量ろうとするような好意的なセリフが伺える。


 現実の彼女からは想像もつかない、ウブな女子の仕草だ。


「システマティック・ウォー」は中学生や高校生の女の子たちに大人気のドラマなのだと、渚から聞いた。


 システムやプログラムを構築するために日頃から情報収集を心がけているが、収集しようと思わない情報にはとことん疎くなるものだなあ、とネムルは思った。


 テレビを消し、ついでにソファに寝転がっていた渚を起こす。


「いつの間にか寝ちまってた」


 あくびを噛み殺しながら、友人は気怠げに起き上がる。


「こういうドラマ、眠くなるんだよな……超能力者の殺し合いも、ヒーロー同士の対立も、銃撃戦も爆破シーンも出てこないしさ」


「君は女子高生の恋愛ドラマに何を求めているんだ」


「ネムルも見れば? さりゅがDVDを全巻揃えてるぞ」


「あいにくだが、ボクはフルCGの、モフモフした動物たちが出てくる映画しか見ない……そんなことより、こっちに来てくれ。君の意見を聞きたい」


 ネムルはマウスを操作し、ウィルスのコードが書かれたファイルを開く。


 渚は目を細めて英数字の列をしばらく追っていたが、やがて観念したように首を振った。


「恋愛ドラマ以上に分かんねぇぞ。なんだこれ」


「ウィルスのソースコードだよ。ここには“セキュリティの弱い部分を探し当てて穴を開けろ”という命令が記されている。問題はその書き方だ。ボクは以前にこれと非常によく似たアルゴリズムを見たことがある……というより、彼のやり方を真似てウィルスを作っていたんだ」


「またきな臭い話が出てきたな……それは、MARK―S時代の話か?」


 ネムルは頷く。


「彼の名前は南雲博士。ロボット工学と整形医学に通じる学者で、ユークの生みの親だ」


「ユークの生みの親?」


「正しくは、ユークが操作する“フィジカル・ヴィークル”の生みの親。もともと彼が研究していたのは、人間そっくりの外見と、高い身体能力を兼ね備えたロボットだ。その用途は、言わなくとも分かるだろう?」


「まあな……それで、その南雲ってやつが今回のウィルスの送り主ってことか?」


 あははははっ、とネムルは笑った。


 おかしさと恐怖が同時にこみ上げたために出た、とち狂った笑いだった。


「南雲博士は死んでいる」とネムルは言った。


「死後の問題を解決するのは探偵の仕事だ。さあ、君の意見を聞かせてくれ」


「俺の専門は身辺調査とペットの捜索なんだけど」と言いながら、渚は思案を巡らせる。


 二分経って出た答えが、


「……なりすましか、本人かな」


「つまらないくらい普通の答えだな」


「悪かったな」


「まず、本人ではあり得ない。なぜなら、南雲博士は死んでいるからだ」


「死んでいないかも知れないだろ」


「死んでいるのだよ」


 ネムルは深くため息を吐く。


「彼は“星屑の病”で死んだ」


「……なるほどな」


 嫌な沈黙が二人の前に降り立つ。


 ネムルは咳払いをして無言の霧を払いのけると、淡々とした口調で続ける。


「――となると、考えられるのは前者だ。南雲博士を知る何者かが、彼になりすまして攻撃を仕掛けた。類似性が高いので、直に彼から指南しなんを受けた人物だと思われる。そうなると新たな仮説が成り立つ。その人物は南雲博士から、ハッキング技術と一緒に“フィジカル・ヴィークル”に関する知識を受け継いでいるはずだ」


「なんだか、お前の方が探偵みたいだな」


「……こんなの、一介の科学者の希望的観測に過ぎないよ」


 ネムルはパソコンチェアの上で膝を抱える。

 彼女が身を丸めると、子供のように小さくてか弱い身体が浮き彫りになる。


 第三者が見ていて痛々しいくらいだ。


「ネムル?」


 渚は床に膝をつくと、ネムルの顔を覗き込む。


 ネムルは落ち込んでいるわけではなかった。むしろ、緑色の目は叡智えいちの輝きに満ちて、画面のコードを追っていた。

 希望と恐れがぶつかり合い、瞳の中で散った火花が《こうせき》を描いている。


ぽつりと、ネムルは言った。


「近々、この人物とコンタクトを取るつもりでいる」


「……冗談、だよな?」


「ボクは本気だ」


「相手はMARK―Sだぞ? リリーの仇討ちをするには相手が悪すぎる」


「これはリリーのためじゃない。正直な話、あの女のパソコンがどうなろうと知ったこっちゃない。ボクはその人物が“フィジカル・ヴィークル”を知っているか、さらに言えば“フィジカル・ヴィークル”のメンテナンスに必要なパーツを持っているかを知りたいんだ」


 ネムルは椅子から飛び降り、ぺたんと床に座り込む。

 渚の服をひっぱって顔を近づけさせると「これは極秘の話だが」と前置きし、小さな声で打ち明けた。


「このままでは、ユークが動かなくなる」


「なんだと?」


「機械には、メンテナンスが必要なんだ。金属疲労したパーツは、今も少しずつユークの身体を蝕んでいる……」


 そのとき、「ただいま」と言う挨拶に続いて、ネムルの名を呼ぶ優しい声が玄関先から聞こえてきた。

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