SCENE:2‐2 19時36分 汐生町 水上邸

「私が中学生に?」


 突然の申し出に、ユークは目を丸くした。数ヶ月前のことだ。


 海砦へ夕飯を食べに来ていたさりゅが、思い切ったように口を開いた。


 ユークちゃん、わたしの学校に来てみない?


「ユークちゃん、生まれてからずっと大変なことばかりだったでしょう? たまには、同い年くらいの友達と、一緒に勉強したり、お弁当を食べたり、そういうことをしてみると、楽しいと思うの。

 わたし、ユークちゃんがクラスメイトになってくれたら嬉しいなってずっと思っていて」


「今でも十分楽しいわよ。みんなでご飯が食べられる日が来るなんて、思っても見なかったもの」


 ぐるりとダイニングテーブルを見渡す。

 木製の温かみのあるテーブルの真向かいにはネムルが座り、左手には渚が、右手にはさりゅが座っている。

 食卓には水上兄妹が持参した、色とりどりの手料理が並べられている。


 一年前には想像すらしていなかった平和な光景だ。これだけで十分、自分は幸せだと感じる。

 何より、あれだけ疲弊ひへいしていたネムルが見違えるように生き生きとしているのが、見ていて嬉しい。


 ネムルと目が合う。

 彼女は緑色の瞳を細めて微笑んだ。


「行ってみたら?」とネムルは言った。


「君の頭脳に中学生の問題は物足りないと思うが、学校は、社会性を育む場所でもあるからね。多種多様な人間と関わることで、君の人生に良い刺激を与えると思う」


「ま、高校まで行っても社会性が身につかなかったやつもいるけどな」と渚。


「良いんじゃないか? 部活動で、競い合う相手が出来ると燃えるぞ。キツい部活に入ると、心も体も鍛えられて強くなるし……まあ、お前は体育会系ってタイプではないか」


 ユークは目を丸くして、二人を交互に見比べる。


「貴方たちって、大人みたいなことを言うのね」


「実際、大人だからねぇ」ネムルはしみじみと頷く。実年齢より十歳近く若く見える彼女が言うと、不思議な感じだ。

 感慨かんがいふけったあとで、ネムルは思い出したように告げる。


「入学するなら書類を準備しないとな。戸籍こせきとか作ろう」


「知り合いに偽装のスペシャリストがいるぜ」


 渚も身を乗り出して答える。


「通学は水上自転車かな」


「制服はどうする?」


「さりゅがおさがりをくれるってさ」


「新品の方が良くないか? せっかくの学校生活なのだから」


「貯金しとけ。学費以外のところで、こまごまとした金がかかるぞ」


「金なら腐るほどあるが、ユークには庶民感覚しょみんかんかくを忘れない子に育ってほしいな」


 ネムルと渚の話し合いが白熱してゆく。

 発案者のさりゅですらぽかんと口を開けて、蚊帳の外だ。

 入学どころか「イエス」とも「ノー」とも言っていないのに、自称「大人」たちは気が早い。


 そして、自分のことのように楽しそうだ。


 うーん、とユークは唸る。


 これではまるで……。


 さりゅと目が合う。彼女も同じことを思っていたらしく、ユークのそばへ来ると、こっそりと耳打ちした。


「ママ友、結成!」


 そんなわけで、ユークは中学生になったのだった。





 部屋の外はしんと静まり返っていた。

 薄暗い廊下が長く続き、窓から降り注ぐ月光が長いペルシャ織の絨毯じゅうたん格子縞こうしじまを描き出している。


 手を繋いだまま、二人はゆっくりと廊下を歩く。

 ユークは警戒を怠らなかったが、さりゅの歩く場所、触れる場所に罠が張られている気配はなかった。

 さりゅが罠を避けているのではなく、狩屋草介の配置の妙によるものだということは、彼女の普段の生活を見ていれば分かる。


 一方、さりゅは先を行くことの多いユークが、今日は先導せんどうゆずっていることに新鮮さを感じていた。


 学校生活をそつなくこなし、テストの成績も学内トップクラスに近く、大人っぽい考えを持っている彼女を、無意識のうちに姉のように慕っている自分がいた。

 彼女に守られていると感じたし、現にユークは用意周到よういしゅうとうに立ち回り、さりゅのことを守ってくれていた。


 だからこそ、今日は彼女のことを守ってあげたい。安全な場所へ導くことで、少しでも日頃の恩返しができたらいいと思う。


 繋いだ手に力を込めても、ユークの手は温かくならない。血が通っていないのだ。


 それは彼女の肉体が人間を模した作り物だから。

 脳以外のすべての器官が機械で出来ているからだと分かっているものの、その冷たさはユークが抱えている孤独を象徴しているように思えた。


「ユークちゃん」


 さりゅの声は夜の帳が下りた廊下に優しく響いた。


「わたし、ユークちゃんが中学生になってくれたらいいのになってずっと思ってた。長い時間一緒に過ごして、もっと仲良くなれたら良いのにって。ほんとに夢が叶うなんて思わなかった。ありがとう、ユークちゃん」


「……」


 背後でユークが笑ったのが分かった。ふふっ、と小さく。

 滅多に聞かない柔らかな声で。


大袈裟おおげさね」


「そうかなあ」


「でも、嬉しいわ」


 冷たい手がぎゅっと握り返してきた。


 さりゅは思わず立ち止まる。


 二人がいる場所へ、窓型に切り取られた月明かりが降り注ぐ。まるで二人の誓いを永遠に繋ぐ秘密の魔法陣のように。


「さりゅは私のいちばんの友達。これからも、ずっと一緒よ」


「ユークちゃんはわたしのいちばんのお友達。これからも、よろしくね」


 顔を見合わせて、くすくすと笑いあう。

 少女たちの密やかな微笑は、誰に聞かれることもなく、闇の中へ消えた。


 トカゲを安全な場所へ置き、水の入ったポットを用意すると、二人は帰りも手を繋いで、元来た道を引き返し始めた。


 キッチンへ近づくにつれ、陸太と渚が軽口を叩き合う声が聞こえてきた。


「またお兄ちゃんとりっくんが喧嘩してる。どうして仲良くできないのかなぁ?」


「たぶん、あなたが原因なのよ」


「えっ? わたし?」


 疑問符を浮かべる親友の側を通って、ユークが先に扉を開けた。

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