SCENE:1‐4 18時15分 海砦レムレス 管理区 港

 ハンドルをひねると、何ごともなかったかのようにエンジンが掛かった。

八字を描くように浅瀬を滑ってみる。すこぶる調子がいい。エンジン以外にガタが来ていたところもすっかり良くなっている。


「原因は、冷却水の水切れによるオーバーヒート。大事故に繋がりかねない故障だったぞ。他にも気になったところは修繕しゅうぜんしておいたが……」


「すげーよ、ネムル博士! 新品みたいに乗り心地がいいぜ!」


「ちゃんとメンテナンスしたまえ。機械が悲しむだけならともかく……」


「これで新技を試せるぞ。動画で紹介されてたやつ、今日は成功しそうな気がする!」


「反旗をひるがえすこともあるんだから……って、人の話を全然聞いてないな」


桟橋の上で水に濡れた長い髪をしぼりながら、ネムルはため息を吐く。陸太は水しぶきを派手に上げながら、アクロバット走行の練習に夢中だ。さりゅが困った顔で笑いながら、その走りぶりを眺めている。


「ごめんね、ネムルちゃん。りっくん、楽しいことを見つけると、周りが見えなくなっちゃうみたいで……」


「僕からも謝ります」背後で声がする。


ネムルとさりゅが振り返ると、海斗とユークが桟橋を歩いてくるところだった。


「せっかく直していただいたのに、陸太のやつが恩知らずですみません」


海斗が頭を下げる後ろで、ユークが褐色かっしょくのトカゲを抱えている。頼まれていた仕事が終わったらしい。にっこり微笑んで、「今日は海斗のお手柄よ」と収穫物トカゲを突き出した。


「お互い様だよ。君にはユークが世話になったようだから」とネムル。


「そしてユークちゃんには、うちのお兄ちゃんがお世話になっているのね」とさりゅ。トカゲ探しのことを言っているのだろう。


 彼女の兄は街の裏通りに店を構える私立探偵だ。厄介な依頼が舞い込んだとき、ユークは持ち前の「瞬間記憶能力カメラ・アイ」の能力を使って、仕事を手伝ってあげている。


「あの人、事務所にいるかしら?」


ううん、とさりゅは首を振る。


「お兄ちゃん、今日はお家にいるの。しなきゃいけないことがたくさんあって、お仕事はお休みしてるんだ。それで、ネムルちゃんとユークちゃんにも、ぜひ家に来てほしいって言っていたんだけど……」


遠慮がちな笑みを浮かべて、さりゅはお下げ髪の先端を指でくるくると回す。


ユークはじっとその仕草を見ていたが、やがて凛とした声で言った。


「さりゅ、来てほしくないんでしょ」


「えっ……」


目を丸くするさりゅ。本音を言い当てられて、返す言葉が見つからないようだ。ネムルと海斗の注目を浴びて、その顔が真っ赤に染まった。


 数秒の沈黙の果てに、さりゅは恥ずかしそうに口を開いた。


「あの……、どうして分かったの?」


「簡単よ。あなたは迷っているとき、髪の毛を触る癖があるのを記憶していただけ。その仕草をするということは、この誘いを伝えることを迷っている――つまり、家に来てほしくないんじゃないかと思ったの」


「そんな癖がわたしに……? ユークちゃん、うちのお兄ちゃんより探偵みたい」


「そうね、今はあの探偵が、嫌な企みをしている犯人のように見えるわね」


「おい、さりゅの家に行くのか?」


耳ざとく会話を聞きつけて、陸太が桟橋にアクアバギーを乗り付ける。アーモンド型の目がさりゅを見上げた瞬間、嬉しさいっぱいに輝いた。


 まるでご馳走を見つけた子犬ね。この子のおしりにしっぽがついていたら、がむしゃらに振っているところでしょうね、とユークは思う。


「どうしてもって言うんなら、行ってやらないこともないぜ」


「来なくていいわよ。あなたは招待されていないんだし、さりゅも乗り気じゃないみたいだから」


「お、お前はなんでそんなに意地悪なんだっ!?」


「なんでかしら。陸太を見ていると、無性にいじめたくなるのよね。これは私の悪い癖」


ぷんぷん怒る陸太を見て、ユークはくすくす笑う。


「それはさておき、さりゅを助けるつもりで、行ってみましょうか。私もあの探偵に、トカゲを渡さないといけないから」


「陸太が行くなら僕も行くよ」と海斗。


「冒険は子どもたちに任せよう。ボクは砦を守る仕事があるのでね」とネムル。


「それでいいかな、さりゅ?」


一同がさりゅを見ると、再びおさげを弄びながら、さりゅは遠慮がちにうなずいた。

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