SCENE:1‐3 17時25分 海砦レムレス 管理区 桟橋

かつて歴史的な戦いから人々を守った砦があった。


 海上にそびえるその砦は「レムレス」と呼ばれ、戦後は不治の病を抱えた患者たちのつい住処すみかとなった。


 幾本の戦線をかいくぐり、幾多の死者を看取った砦は、近年三度目の転身を果たした。


 あかたも、土の中に眠っていた種子が芽吹くように……。


 最先端の技術を搭載した、IT要塞として……。


「災難だったね、りっくん……」


さりゅは曖昧な笑みを浮かべ、陸太を見下ろす。マシンの修理に没頭しているためか、返事がない。


 二人の間には段差があるので、さりゅの目線からは忙しなく動く金のつむじしか見えない。


 今、さりゅがいるのはレムレス管理区の桟橋の上。係船柱にはアクアバギーが繋がれている。


 車体からは黒い煙が立ち上り、焦げた臭いが鼻をつく。エンジンモーターが焼けついているのだ。


 汐生町の船着場から一メートルも進まないうちに、マシンは小爆発を起こした。運転席に座っていた陸太は内部から噴出した爆風に煽られて海に放り出された。


 動かなくなった車を、海砦へ運び込んだのが一時間前のこと。


「ん? なんか言ったか?」


怪訝な顔でアクアバギーから顔を出す陸太。両手に工具を持ち、水中に潜ってはモーターの取り外しに躍起やっきになっている。頬から鼻にかけて着いたすすの痕は、水中でも落ちないほど強くこびりついているらしい。


「災難だったねって、言ったの」


「災難? そんなことないぜ。リアルな爆発が見られて面白かったぞ」


「りっくん、キケンなことを面白がったらいけないよ」


「お前な、オレからキケンを取ったら何も残らないぞ。頭の悪い、ただのチビだぞ」


「だから、そんな悲しいこと言わないでってば……しかも真顔で」


いつもの応酬を繰り返す二人に、ビーチサンダルをする小さな足音は届かない。


 近くまで来てようやく、ささやかな人の気配に気づいた。


 人工海岸の砂浜を、一人の女がふらふらとこちらへ向かってくる。


 歩調に合わせて足首まである青色の長い髪がさらさらと揺れる。


 眠そうにしているが、美しい顔立ちだ。手足はすらりと長く、肌は透き通るように白い。


 ハッと息を呑むほどの美しさを生あくびでかき消すと、低い声でつぶやいた。


弊社へいしゃの出張代は高くつくぞ」


小柄ながら、迫力あるその声に陸太は震える。


 女は緑色の目で陸太を一瞥いちべつし、壊れたマシンに目をやる。


「可哀想に……飼い主が乱暴だと苦労するな」


弱った生き物を労るように、小さな手でボンネットを撫でた。


 女の名前は楠木くすのきネムル――「海砦レムレス」を統括とうかつする支配人であり、稀代きだいの発明家である。レムレスを二分割した片側、「管理区」に居を据えていて、砦の警備をしているそうだ。


 彼女について、陸太はあまり詳しくない。


 知っていることと言えば、楠木悠久の唯一の家族であること、レムレスから一歩も外へ出ない筋金入りの引きこもりであることくらいだ。


 さりゅを通じて知り合いになったのは少し前で、美しい外見も相まって、どことなく人間離れした雰囲気を感じている。死から蘇った「レムレス」にぴったりの、水先案内人だ。


 ネムルは肩にかけていた子供用の小さな浮き輪をすっぽり被ると、つま先をそうっと水へひたした。白衣がするりと足元に落ち、むき出しの細い肩先が水の反射を受けて白く光る。水着の上から工具箱を背負い直すと、久しぶりの海泳に気が張っているのか、口をすぼめて息を吐いた。


 これも違う。


 これもハズレだわ。


 頭の中で同じセリフを繰り返しながら、ユークは抱いていた小動物を地面に置く。


 大きなしっぽを一振りし、太い足を動かしながらのたのたと歩き去っていく。幼体で良かった。記憶の底からひっぱりだした「動物図鑑」のページを繰ってみると、この種は成体になると1メートルを超えると書いてある。


 ユークの周りには、五十を超える爬虫類がうごめいている。まだらと縞が混じったような派手な模様の大トカゲたちだ。


 日当たりの良い原っぱで日光浴をしている軍勢ぐんぜいに混じって、依頼人のペットがいる。預かった写真を思い出しながら、眼の前のトカゲと見比べてゆく。


探すという言い方は適切ではない。


ユークの場合、記憶した写真のトカゲと、腕の中にいる現実のトカゲとを「照合」させているのだ。


瞬間記憶能力カメラ・アイ――まるでカメラのように、見たものを完璧に記憶する力。まさか実在するとは思わなかったよ」


にこやかに海斗はトカゲを差し出す。


「その言葉、何回聞いたかしらね」


トカゲを受け取りながらユークは言う。


「実際は、こんなことくらいしか役に立たないのよ」


「陸太が聞いたら、うらやましがると思うな」


「誤解のないように言っておくけど、期末テストの結果は実力よ。身の回りにあるものを何でもかんでも画像化させていたら、脳みそがいくつあっても足りないから」


腕の中で柔らかくもがく生き物の頭を軽く撫でる。傍では海斗がシャツの胸元を仰いでいる。


 まだ六月だというのに、うだるような暑さだ。


 自分の首筋に触ると汗が浮かんでいた――正しくは、汗を模した塩水が流れているのだが、どちらにせよ、気持ち悪さは変わらない。


 完璧な記憶力を用いても「モノ探し」がやや効率化されるというだけで、虱潰しらみつぶしであることには変わりない。


終わりの見えないこの仕事に、疲れが見え始めた頃、


「これじゃないかな?」


海斗が一匹のトカゲを差し出した。受け取ったユークが丹念に調べると、確かに記憶した写真の柄と一致している。


「貴方も探してくれたの?」


「うん。君みたいな力はないから、写真を見ながら、一つ一つね」


その言い方が恩着せがましくもなく、謙遜けんそんしているようでもなく、ただ会話の延長線でしかなかったので、こんな風に海斗の日常は「困っている人を助けること」と共にあるのだと感じた。


 なるほど、学内での異様なモテ具合は、しっかりと本人に起因するところがあるようだ。


「助かったわ。ありがとう」


ユークが礼を述べると、これまた常套句じょうとうくのようなさりげなさで彼は言うのだった。


「陸太の面倒を見ることに比べたら、どうってことないよ」


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