SCENE:1‐2 16時40分 汐生町 港

 放課後になっても後ろめたい気持ちが抜けない。


 思わずあげた「ぅうぅ~」といううめき声に、


「もう、いい加減に立ち直りなさい。これじゃさりゅの方が失恋したみたいじゃない」


 溜息交じりにユークが答える。


 前方を歩く陸太が振り返り様に笑う。


「こんなウジウジ虫のどこが良いのかオレには全然分かんねーや。身長も、男みたいにデカイしよー」


「もー、なんで背丈のことばかり言ってくるのっ! 今の話と関係ないでしょー!」


 ぷんぷん怒るさりゅを見て、ケタケタと陸太は笑う。


「ひょっとして、海斗かいとより高いんじゃねーの。ちょっと並んでみてくれよ」


「海くんの方が高いよ! ほらっ」


 隣を歩いていた海斗の腕を掴むと、背中を合わせに立ち並ぶ。確かにさりゅの頭の先は海斗の額にも届かない。


 されるがままになっていた海斗は、目を細めてにっこり笑う。


「女の子の中では背が高い方だけど、気にするほどじゃないよ。僕はチャームポイントだと思うな」


 夏至を超えた汐生町は夕方といえどもまだ明るく、雲間から差した光が海斗の茶色い髪を淡い金髪に染めあげる。髪の色が近くなると、兄弟の陸太と顔立ちが似て見えるから不思議だ。


 金原陸太、金原海斗は汐生中学校でひときわ目立つ二人組だ。成績優秀で人当たりの良い海斗と、運動神経の良さでは他の追随ついずいを許さない陸太。


 外見も性格もまるで違う二人は、何を隠そう双子の兄弟だ。


 個々でも目立つ上に、対照的な性格の双子というギャップがウケているらしく、校内では一目置かれる存在になっている。もっとも、先生から注目を集めている海斗と違って、陸太の方は「目をつけられている」と言ったほうが的確だが。


 ……そういえば、海くんはものすごくモテてているけれど、彼女がいるって話は聞かないし、どうやってお断りしているんだろう?


 ふと、さりゅの脳裏をよぎった疑問は、陸太の威勢にかき消された。


「海斗の身長は、何センチなんだ?」


「春の健康診断で測ったときは175センチだったかな」


「じゃあ、さりゅは170センチくらいだな」


「海くんを使って予測しないで! わたしは168センチだよ! 毎晩、寝る前に測ってるもん!」


「……普通、女が測るのは体重だろ」


「りっくんなんか、海くんと双子のくせに、背が低いままじゃない」


「うるせーな! 二卵性は似ないんだよ! オレは母ちゃんの腹の中にいたときに、海斗に良いところ全部持っていかれたって諦めてるの」


「りっくん、さらっと悲しいこと言わないでよ! りっくんにも良いところたくさんあるよ!」


「適当に褒めんな、デカ女! オレの人生はシビアなんだよ!」


 よく分からない方向へ進み始めた言い争いを、にこにこ顔で眺める海斗と、呆れ顔で眺めるユーク。四人で帰る放課後は、常にこんな調子なので慣れている。息切れした二人が何も言い出せなくなるのを待って引き離す。これが二人の役目であり、日課である。


 ぜいぜいと息を弾ませながら、二人は「ぷいっ」と顔を反らした。もちろん束の間の絶交も、互いの帰路が別れるころには、何らかの形で修復されている。これもいつもの通りだ。


 案の定、船着き場へ下るころには陸太の機嫌もすっかり直っていた。それどころか、不敵な笑みさえ浮かべながら、こんなことを言い出した。


「お前らに、見せたいものがあるんだ」


「そう言えば、あなたたちの家は、こっちの方向じゃなかったわよね」とユーク。


 さりゅもきょとんとした顔で首を傾げる。


 陸太はふっふっふと笑いながら、係船柱けいせんちゅうに繋がれた一台の乗物に近づくと、船には見えない小型のそれを、覆っていた布をひっぺがした。


「オレの、水上自動二輪アクアバギーだ!」


 現れたのは、真っ赤に塗装されたバイクのような車体の乗物。


 キラキラ光る外装パーツは新品そのもので、エンジンを覆うボディに牙をむくライオンのシルエットが入っている。


「わあ、すごい! かっこいいね!」


 素直に感想を述べるさりゅ。


 えへん、と胸を張る陸太。


 ニコニコ顔を崩さない海斗。


「……」


 ユークだけが訝しげだ。


「……あなたにアクアバギーを買えるほどの財力があるとは思えないけど」


 海の上を走る乗物はいくつかあるが、中でもアクアバギーは群を抜いて高額だ。


 一部の趣味人しか利用しない乗り物を、一介の中学生が所持できるとは思えない。


「まさか盗……」


「ち・が・う!」


 ユークのセリフを予測してか、陸太はすぐさま否定した。そして勿体ぶった素振りで、鞄の中からきれいに折りたたまれた紙を取り出した。


 「じゃじゃーん!」とお手製の効果音つきで差し出したのは、新聞記事。


 『お手柄! 中学生フィッシャーマン!』と書かれた白抜きの見出しが目についた。それから写真。白黒印刷で細部が見えにくいものの、カメラに向かってピースしている陸太の姿がある。陸太の隣には漁師のおじいさんがいて、陸太と同じテンションでポーズを決めている。


 彼らの背後にはクレーン車にぶら下がった魚。一見すると大きなマグロを吊り上げた写真に見えるが、魚は細く、口の先は尖っていてマグロと似ても似つかない。


 記事を読むために無言になった二人をそわそわしながら見守っていた陸太だったが、待つことに耐えられなくなり、もどかしげに口火を切った。


「〝虹色カジキ〟って知ってるか? 漁師の間で噂になってる伝説の魚。誰一人としてその姿を目にしたことはないという……」


「それがこれ?」


「そう。オレとじーちゃんで釣ったんだ。虹色カジキを釣ることがじーちゃんの長年の夢で、オレも暇なときは手伝いをしていたの。そんで、この春、ついに三十年越しの夢が叶ったってわけ」


「りっくん、春休みの間、全然見かけなかったけれど、漁に出ていたんだね」


「おうよ。まさか本当に釣れるとは思わなかったけどな」


 すごいなぁ、と月並みなセリフを素直に感嘆の言葉として述べるさりゅ。えへん、えへんと反り返るほど胸を張る陸太。威張りながら語る後日談には、魚を売ったお金の一部で、祖父がアクアバギーを買い与えた話も混じっていた。


 二人から少し離れたところで話を聞いていたユークは、小声で海斗に尋ねた。


「アクアバギーのこと、どうして黙っていたの?」


「免許を取るまで、知られたくなかったんだよ」と海斗。

 生時にして数分の違いしかないはずだが、陸太を見守る目は保護者のように温かい。


「バギーの運転は、車より難しいって言うでしょう? 陸太も免許の講習中に何回も海に放り出されていたから……」


「さりゅにはカッコ悪いところを見せたくなかったのね」


 腑に落ちたユークを見て、海斗は小さく笑った。


「まったく、陸太らしいよね」


 そのとき、柔らかな海斗の声をかき消すように低い声が聞こえた。


 それ以前に面倒な予感を遠方の男たちから感じ取っていたユークだったが、本当にこちらへ近づいて来るとは思わなかった。


「かーのじょっ!」


 真っ先にご機嫌な声を掛けられたのはさりゅだ。ビクッと肩を震わせる。


 振り向けば男の子二人組が満面の笑みで立っている。背丈はさりゅよりも少し高いくらいだが、年齢はさりゅたちより二、三歳年上のようだ。


 シワの寄ったワイシャツをだらしなく着崩し、ファッション雑誌に載っている流行りの髪型を真似ている。


 絵に描いたような「チャラ男くん」。


 呆れ顔で溜息を吐くユークに、臨戦態勢で相手を睨みつける陸太、好相を崩さず成り行きを傍観し続ける海斗。三者三様の友人を見回し、さりゅは自身を指した。


「わたしのこと?」


「そうそう、キミキミ」


 男の片方がにっこり笑って頷いた。


「驚かせちゃってごめんね。さらに驚かせちゃいそうだけど、これから俺たちと遊ばない?」


「このまま帰るのも暑いしさ、どっかで涼もうよ」


「俺たちがおごるよ」


「そっちの女の子も一緒に……」


 矛先が自分に向いたので、ユークはつんと明後日の方向を向く。


 あからさまに不機嫌な態度を示すユークから気をそらすように、さりゅは尋ねる。


「もしかして、ナンパですか……?」


「ナンパじゃなくて、お茶のお誘い」とオブラートに包んだナンパの常套句を、ちょうど三日前にも受けたばかりのさりゅである。


 そのときはユークが断ってくれて、なんとかやり過ごすことができた。


 しかし、今回は援助の手は伸びなさそうだ。先ほど視線を交わしたところ、「頑張って!」とばかりに真っ直ぐな視線で激励された。


 「頼みごとを断れない」という欠点を悔いたばかりだ。この誘いはさりゅを強くする修行の一環だと思っているのかもしれない。とにかく、ユークは海斗と同じく、見守りの態勢に入っているようだ。


「ええっと……。そ、そうですねぇ……」


 早くも心が折れそうになりながら、断り文句を考えるさりゅ。

 その間も、男たちの強引な誘いは大気圏に突入した隕石のように勢いを増してゆく。


「とりあえず、日陰に行こうか」と男の子の一人がさりゅに手を伸ばしかけたとき、


「だーっ! オレを無視すんな!」


 さりゅの胸のあたりから陸太が吠えた。


 これにはさりゅもびっくりしたが、向かいの男の子たちはもっと驚いたようだ。


「な、なんだお前? どっから出てきたんだ?」


「最初からオレはここにいた! なんで気づかねぇんだよ!」


「ご、ごめんね、りっくん……」


「さりゅ、お前もか!? ちくしょー! みんなしてオレを無視しやがって!」


 ダンダンと地団駄を踏む陸太。しかし、すぐさま気を取り直すと、自分より20センチは背の高い高校生を睨みつけ、「がるるるるるぅ!」と唸りを立てる。


「お前ら、オレ様を誰だと思ってるんだ。汐生一ケンカの強い男・金原陸太の名を知らないとは言わせないぜ!」


「金原陸太? ……お前があの金原陸太か!」と男の一人が思い出したように言った。


 腑に落ちない顔のもう一人にヒソヒソと告げる。


「ひとたび勝負を受けたら最後、殴っても蹴っても気絶させても立ち向かってくるという、伝説の〝狂犬チワワ〟……」


「げっ! コイツが、金原陸太?」


「参ったな。こいつに喧嘩を売られたら、負けを認めるまで帰してくれない」


「中には一週間、家の前に居座られたやつもいるみたいだぞ……」


 明らかに盛り下がり気味の男たちを前に、陸太は低く腰を落としてゴングの響きを待っている。


「おらぁっ、どっからでもかかってこい! オレにケンカ売ったこと後悔させてやる!」


「俺たち、ケンカは売ってないから……」


「よりにもよって〝狂犬チワワ〟かよ……」


 二人は困り果てた様子で顔を見合わせていたが、可愛い女の子をデートに誘う労力に対して、〝狂犬チワワ〟に付き合う労力は割に合わないと感じたらしい。


「負けだよ。俺たちの負け負け」とうそぶき、どこかへと行ってしまった。


「オレの二つ名を聞いて逃げ出したか。まあ、ケンメイな判断だな」と得意げに胸を張るのは陸太である。


 残りの三人が困り笑顔を浮かべているとは知らず、上機嫌でアクアバギーに飛び乗ると揚々と鍵を差し込んだ。

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